火と制限

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2:50  ホテルに着くまでの間、二人がしみじみと、こんな話をしていた。 「……キャノ、今日お前の部屋に泊まっていいか」 「いいけど、シングルだから狭いよ」 「構わない。家がない」 項垂れたクルフィにキャノがため息を吐く。だけど嬉しそうだった。この人どこで寝るつもりだろうと琴は密かに心配していたが、宛があって良かったと思った。  さすがに自分の家に連れ帰るのは、いろいろ問題になるかもしれないと思ったし、宿代を貸すほどお金もなかったから、密かに安心する。 「……まったくそそっかしいんだから。宿も取らずに旅してたの? 昔からだよね。肉が足りなくて生き倒れてたのを私が拾って、全部世話してさ───」 「感謝はしてる。世話になったよ、いや、今もか……また世話になるとは思わなかった。まあ、なるべくならなりたくなかったけど」 「なんで!? なんでなんで!」 「うるせーからだよ……頭痛い……」 「それ風邪だよ! 僕ちゃんは悪くないし」 「カメラないんだから、そのしゃべり方やめろ……」  拾われて飼われてたのか、と琴は衝撃的な気分になったものだが、言えはしなかった。だから言いづらそうだったのだろうか。あまり深く突っ込むと、聞いちゃいけない部分まで聞いてしまいそうなので、気にしないことにした。 人のことなどあまり深くは知りすぎない方がいい。 「お前は帰るのか」  入り口が見えてきた辺りでクルフィが聞いた。琴は頷いて、反対方向へと歩き出す。少し寂しく思ったが、家に帰らないのはまずいし、なによりもホテルに泊まるわけにはいかない。  彼女は、歩き出した琴を、名前を呼んで、振り向かせて聞いた。 「大丈夫か?」  心配そうに投げ掛けられて、琴は首をかしげる。 「あなたこそ、具合悪そうですが……」 「いや、私は大丈夫。──でも、コト。お前、もしかしたら」  彼女は何かを言った。なんと言ったのか、琴は理解し難かったので、とりあえず聞かないふりをした。 「じゃあ、また──えっと……明日」 キャノが手を振っている。クルフィは何か考えている、難しい顔をして琴を見ていた。歩道を渡りながら、琴は彼女に言われた言葉の意味を考える。 朝が来そうだったが、どうでもいい。 (少し、ふらつこう。コンビニくらいなら、空いてるだろう……)  琴は、複雑な顔をしながら、近くに見えたコンビニの明かりを目指し、まっすぐに道を歩く。駅の近くの通りは、ホテルや飲み屋、観光関係の施設でこんな時間も賑わっていた。ビルの液晶テレビが、さっきの焼肉屋の不審火についてを、もう取り上げている。 専門家の男が話すのを、ぼんやり聞きながら、あの人は本当にどうやって逃げたのだろうと思った。  彼女の、叫んでいたところを思い出す。 (力を持つことが、必ずしも素晴らしいわけではないよな……)  テレビでは、自分は人間で、人間はあらゆる要素を自分の外部のものとして扱ってきて、今では僅かにしかいないらしい魔族種との違いは、内側に組み込むかどうかだと、男が語っていた。  そして、自分に組み込んだ物があるということは、外部からの影響も、同じように受けやすいらしい。 火を扱える物であっても、油断すれば燃やされて命を落とすことはあるらしく、過去にそういうことが多発していたようだ。 『火を扱えるなら、火では死ぬことがない』という、誤った認識が巻き起こしてきた惨劇の様子が、テレビに流されている。  でも、誰も信じないような現代で、本気で扱っているわけではないだろう。どうやら、オカルト系の番組らしい。映る専門家も、ゲストの芸能人も、笑っているだけで、誰も本当には信じてなさそうに見えた。信じていようがいまいが、琴には関係なかったが。  数百年前ほどに、各地であった《その出来事》は、後に再来の魔女狩りと呼ばれていた。彼ら、彼女らを殺してきたのは人間だった。それは、昔なにかの本で読んだことがある。家にあった、古い絵本だろうか。琴は、誰にも言わなかったが、それを密かに、ずっと信じていた。 「おれは、本当に、人間じゃないのかな──おれは」  よくよく考えてみたが、違ったら、なんだっていうんだろうか。なぜおれは苦しかったのだろう。 びっくりはしたが、そういえば、今の生活が変わるわけではない。隠して生きることを選ぶくらいだろう。  力がどうあろうがなかろうが、理解されないものは、無いも同じ扱いをされるのだと琴は思うし、自分も完全信じているわけではない。誰にも迷惑をかけないように、人一倍気をつかい、違和感や自己矛盾を抱えても、生きていける、それだけのこと。 そう。なにかのファンタジーみたいに、自分自身で、その力を誇りに生きられる世界でないと、こんなものは、苦しいだけだと、思う。 「だったら、見ないふりをしていたいのに」  クルフィの言ったことばが、脳内に繰り返される。なんとなく嫌な気分だった。さっきまではいい気分だったのに。そう思うことで、自分自身が、また嫌いになってしまいそうで、考えたくない。 「おれって、なんだったのかな……」 ずっと、人間として生きてきたのに。何度考えても、答えがわからなかった。 8:00  携帯電話のアラーム(金平糖の精の踊り)で琴が目を覚ますと、見慣れた部屋の中だった。どうやって帰ってきたのかあまり覚えていない。 自分の部屋にいるらしい。壁にかかっている黒に白い文字盤の時計を見てみると、朝の8時だった。 同じく、黒いカバーのかけられたベッドから起き上がり、小さく息を吐く。なんとなく携帯電話を開くと、着信が2件。 いつだったかに、教えてもらった、怪しげな会社の番号だった。日常の現実感が強いほど、非現実を感じるのは確からしい。見慣れた待ち受け画面(牧場にいる羊の写真)に、見慣れない着信アイコンや名前が映っている。複雑な気分だった。 こんな組織と関わって、本当に、おれはおれでいられるだろうか。自分の選択は果たして正しかっただろうか。 ピンポン、と玄関のチャイムが鳴り、またぼんやりしかけた意識が呼び起こされる。 「なんだよ……父さん、帰ったのかな」 布団の柔らかい感触がやや恋しかったが、ひとまず離れ、玄関に向かって歩く。しかし扉を開けてみて、驚いた。そこに居たのは、華奢でスラッとした、髪の長い少女だった。 「ク……っ、なんで、ここ」 「よぉ、兄ちゃん。驚いた面してんな」 「……当たり前、でしょう!」 「へーぇ、結構いいとこ住んでんじゃん。どうも、この辺窮屈な建物ばっかりだけど、その中だったら、なかなかいいランクじゃないか?」 「……変な詮索しないでください。何しに来たんですか」  彼女、クルフィは、琴の家に突如押し掛けたかと思えば、そのままいろいろと興味深そうに眺めている。琴は焦っていた。寝起きで出てきてしまったのもあるが、彼女はなぜ家を知っているのかと思った。 疑問を感じ取ったのか、クルフィはああ、と言ってから琴に視線を合わせ、あっさりと答えた。 「会社から聞いてきた。調べるくらい、ちょろいんだと」 「こ───個人情報を……!」 「いやー、にしても、急に祖国に売ってたヤツが食べたくなって、慌てて探したら、こっちだとヨーグルトっていうらしいじゃん。買って来たんだけ、ど──」 「……もう、いいです、帰ってください……」  自分の領域に、予期せぬ形で土足で踏み込んで来られた気分だった。個人情報を抜き取るのも容易で、わけのわからない子どもを働かせていて、どう考えても、まともじゃない。 そんなことは最初からわかっていた。だけれど、そこで会う人間は、むしろ、その辺を歩く人よりも── (濁りすぎていて、逆に、濁りがわからない……)  琴は考え始めかけたが、ちょうどそのとき、だん、と彼女のスニーカーが、目の前で威嚇のように音を立てた。びくつく琴に、彼女は優しく笑いかけ、近よる。 「なあ、コト。そうはいかねぇんだ。聞いてくれよ、私がどうしてわざわざここまで来たのか。こんなに厚着なのか」 言われてみると、彼女は、ベージュのムートンコートを着ていた。明らかに、今の季節には噛み合わない。 「……なんですか」 ただならぬ雰囲気に、少し背筋が寒くなるが、琴は声を絞り出す。  対面する彼女の真っ暗な目は、この場で琴を殺してもおかしくないほどに、淀んでいた。だからこそ琴は、嫌な予感がした。クルフィは、目をそらさなかったし、彼にも目を反らすことを許さなかった。苛立ちがこもる、震えた声で、彼女は言う。 初めて聞く声だ。 「お前のせいで、私の中の火が──凍っちまったんだよ!」 何を言われたのか、最初はわからなかった。  この世界における魔族に宿る《力》は、生命に直結しており、彼ら、彼女らは、エネルギー源を作り出せなければ簡単に死に至る。その生成が、突如うまくいかなくなったと、クルフィは語った。  それはあの日、コトがなにかを使った後からではないか、という。彼女は、彼から暴走というものではなく、しっかりと安定した波を感じていた。 彼自身は操られていたわけではない。あれは、コトが自ら施した術で、しかしそれが無意識で、不完全だったために、彼に触れたクルフィも影響を受けてしまったのではないか、とも。  説明を聞いても、よくわからないことが多かったが、要するに、『彼女』は、生命維持をするのに精一杯であり、《そのエネルギー》を外部に使える余裕がない。生命維持も、持久力が無くなれば危うい。 「つまり力が使えない……人間だ、これじゃ」 「……おれのせいって、おれが、その原因ってこと……ですよね、実は……あのときのこと、あんまり覚えてないのが、正直で──……どうにかしたいのですが」 解決出来るとしたら、術を施したコトがなんとかするのが早い。だから彼女はコトを訪ねて来たのだ。 「あー、ちくしょうイライラする……イライラなんてしたくないのに、お前にあたっちまいそうだ……さみいし……体温調整がうまくいってないみたいだ」  琴はあわてて部屋に戻り、引き出しから使っていない携帯カイロを探し出すと、彼女に渡した。 知らないらしく、なんだこれ、と言っていたが、袋を開けて軽く振って手渡し、しばらくすると「おお! あったけー!」 と興奮しして騒いでいた。季節からはずれたその様子を見ているうちに、琴はますます罪悪感が募るように感じる。 「……おれに出来ることは、やります、償います」 「ああ、ありがとう」 少し元気のない声が返ってきた。怒りを鎮めるためか、寒さで元気がなくなっているのかの区別がつかない。なぜ、礼を言われたかも琴にはわからない。 「私さ」 「はい」 「ずっと人間になりたかったんだよ。──この体は意思が強すぎると、いつ、それがとんでって憎いやつの首を跳ねるか解ったもんじゃないからな。制御出来なきゃ、大抵のわがままが通っちまう。社会的にはダメだろうと、いくらでも隠蔽して殺せる。だから、魔族出身者は闇の人間に買われることが多いんだ」 「闇の人間、ですか」 「政治、宗教関係、呪術、殺し屋──まあ、そんな感じかな。私の友人の半分が『殺人兵器』になって、壊れ、ついてなかったやつは、みんな捕まった。指名手配されてるやつもいるな──どんなに力があっても、その意思を働かない状態にしちまえば、無防備な種族だからな。拘束なんてチョロいのさ」 「人間になりたかったのは、簡単に首を跳ねたりできないからですか?」 「さあな。今になっちゃ……わからねぇ。ただ、私は欲張りらしい。力を失うと失うで、あったものが恋しくて仕方ねぇ」 琴はなにも言えなかった。ただ、どうにかしなければと考える。彼女のことを、もう少し聞いてみたいような気もした。  危険な行為だ。あまり人についてを知りすぎるのは良くないと、思っているはずなのに。 「──どうして、あなたはあんなところで仕事をしようと思ったんですか?」 気が付けば、そう聞いていた。 <font size="5">9:00</font> 曇天  結局、答えてはもらえなかった。 私の過去は……まあ秘密だな、と彼女は言って、曖昧に笑う。あまりいい内容ではなさそうだということだけは、感じられる。 「悪い。言いたくないってよりも、今、さらにシリアスになると、ちょっと私もな」 「違いますおれが悪いんです……」  嫌なことを好奇心で聞いてしまったのかもしれない。落ち込んだ顔になった琴に、彼女は驚いた表情をしていた。 「なんで私のことなんかでお前が落ち込むんだ? 変わったやつだな」 「……わかりません」  会話が止まってしまうのが嫌だったのだろうか。クルフィは、カイロを血の気のほとんどない頬に当てて、小さく息を吐いた。 言動のがさつさからは思いもよらず、どこか甘いにおいがする。香水だろうか。コートに寒そうに収まる体躯が案外華奢で、少し見つめてしまう。 「あー寒い。早いとこ、なんとかしなきゃな」 「はい……」 なんだか一瞬変なことを考えた気がして、気まずく目をそらして答える。  彼女は琴から興味がそれたらしく、あのジジィがどうとか、ぶつぶつ言っていた。  外に出ると、雨が振り出しそうな灰色の空が見えた。傘を持とうか迷って、玄関の靴いれの上にあった折り畳み傘を、彼女に手渡す。彼女がこれ以上寒くなり、風邪を引かれては、ますます悲しい。 自分は、まあどうでもいい。 「──これ、なんだ? 武器か」 折り畳み傘を知らないらしい。首を傾げて、ぺらぺらした防水の布部を引っ張る。 「傘です」 「え、傘? 傘って」  傘のことも、よく知らないらしかった。ぶんぶんと振り回すので、慌てて止め、ボタンを押して開いてやると、彼女は『やべえ、画期的だ!』と子どものようにはしゃいだ。  それにしても何をどうすればいいのだろう。琴には見当が付かないし、クルフィは今、まともに考えることをさせると、とんでもないことになりそうだった。 「でも、雨が降ってきたときに開いてくださいね。普段は道行く人の邪魔になりますから」 とりあえず、クルフィにそう言って傘を閉じさせて、畳みかたを見せながら畳む。  それから、横断歩道を渡るところにある、ガードレールの、袖ビームと呼ばれる部分を、ぼんやり眺めながら信号待ちをしていると、クルフィが小さく肩を叩いた。 「なんですか」 「なあ、私考えたんだけど」 「じゃ、聞くだけ……聞きます」 「お前、私をばかにしているだろう」 「まさか。綺麗なお姉さんとしか思ってませんよ」 「うわ、信じられない台詞だ」 「……で、なんですか」 彼女は、得意気に笑う。 それから、少しもったいぶったように、提案する。 「《あいつ》にお前が命令してもらうのはどうだ?」 にこ、とクルフィは笑顔を向けたが、琴は、なんだか嫌な予感がした。 <font size="5">9:30</font> 「わかった。けど。今、ぼくちゃん、ちょっと厄介なんだよね」 琴たちがキャノに電話をかけてみると、そう返ってきた。これには予測外だったので、二人とも驚く。 キャノは複雑そうに、笑った。 「どうしたんだよ?」 「え……今、追われてて──」 「おい! キャノ!」  追われてて、までを彼女が答えたまま、通話が強制終了。なにがあったのだろう。 彼女は手配されていたし、変装していない間かなにかにでも、見つかってしまったのか?   琴は考えそうになったが、そうしていても仕方がないと、一旦落ち着く。 「サイトのニュースで見ましたが、キャノさん、まだ手配中らしいですね──」 「そりゃ、あの場に居たには居たし、逃げたし、有名人だからな」 クルフィは黒い折り畳み傘を、しっかり右手に握ったまま答える。深刻な顔つきに、寒さによる血行の悪化で、透き通るように肌が白かった。 「あの……部屋で、なんならどっか店かなにか──風邪を……その……」 「だーいじょうぶだって! 私、図太いからさ。それより、キャノに頼れないとなると、やっぱりコトがなんとかしてくれ」 クルフィは手をひらひらと揺らして冗談みたいに言う。琴は戸惑ったまま、ぎこちなく、頷いた。 そのときだ。琴のポケットから、ちょうど『メリーさんの羊』が聞こえてきた。急いで、さっき使ったばかりの通話ボタンを押し、スピーカーに耳を当てる。 「……はい」 『コトか。今、キャノがな』 男の声が、やや不機嫌そうに、話始めるが、琴が答えた。 「はい、追われているんですよね?」 『そういうことだ』 わかっているのなら、ということで、用件がすんだらしい。琴は慌てて、質問を入れた。 「クルフィさんの魔力が、危ないって……おれ、どうすれば──」 男は少し考えて、答える。 『そうだな。おまえらは、いいコンビだと思う』 「え……」 『似た者同士──じゃあないが、きっと互いに互いを中和して、うまくやるはずだ。では』 シンプルな謎かけで、ヒントだった。琴は通話をぶち切られたのも忘れて、ありがとうございます、と呟いた。コンビになった覚えはないが。 「あいつ、あんなに電話で喋れたのかよ……」 クルフィが呆れながら受話器を覗き込む。琴は、通話の切れた画面を見て、それからなにやら考えていた。 10:00  道を歩いていると、琴が突然『炎だ』と呟いた。 クルフィは、理解が追い付かず、聞き返す。現在は、通話を終えて、これからどうするか、と相談していたところだった。キャノにも会えないとわかったし、あの、活動してるのかわからない、男のいるタワーに戻っても、何かあるとは思えない。 「感じないですか? 結構、強いですが」 キョロキョロと、首を回して、気配の元を探している琴に、クルフィは違和感のような、奇妙なものを覚えた。なにも感じられない。同じような力を使う者がいるなら、離れていても、市内くらいの範囲ならわかりそうなものだが。 「全然感じないわ……魔力が、弱まってるからかな」 「あの。おれ、ちょっとそこまで行ってきますね。だから、あなたは戻って──」 「私も行く」 「だめです」  空は風が吹きはじめ、日が差さなくなってきていた。冷たい。空が本格的に曇りだした。そろそろ雨が降るのだろうか。行き交う人たちの格好は皆、夏らしく、半袖シャツや、タンクトップなどだったが、急に変わり始めた天候に、首をすくめたり、体を震わせているのが、ちらちら映る。 「なんで!」 不安が現れた、強い口調だった。苛立っている。風が強く吹いて、彼女の髪をわずかに乱す。 「危ないですから、タワーまでは、送ります。だから、お願いです」 切実に、琴が訴えたのを見て、クルフィの表情が変わる。落ち着きを取り戻し、気弱に笑った。 「そうだな。わかった。私は、力がないと、何にも出来ねぇもんな……ありがとう。素直に大人しくする」 自分が足手まといになるだけだというふうに、認識したらしい。少し、心配だ。気にかかる。彼女についていた方がいいのかもしれない。 だが、琴は、それでも自分には、今だからこそ、自分がするしかない使命があると思った。そして、急がなければならない。  心の中で、謝りながら、タワーまで見送った。急がなければ。もしかしたら彼女を、救えるかもしれないのだから。      □ 「……この辺りか──」 琴が来たのは、先ほど携帯のGPSの地図で確認した、キャノがいた辺りだ。 彼女の位置情報があるらしい、と、クルフィと分かれてから道を歩いている途中で、男が送ってくれた。  それから気付くが、なんと炎のにおいがしているポイントと、彼女がいた場所がほぼ同じだった。 頭上には大きな橋。さらに上は車が走っている。その下にあるこの場所は、「込神川」と呼ばれている。こじんかわ、と読むらしいが、地元の人は皆『こめかみ』と呼んでいる。とにかく、その場所河川敷の一角に、人だかりが出来ている。川辺に向かう階段を降り、そちらに向かってみた。  遠くからでもわかる、異様なにおいが、近づくにつれて、確信になる。混ざっているのは炎だけではない。これは。まるで── 「人が燃えてる」 「うわー、焼死体……」 「マジで。リアルタイムに起こってんだって!」 発見者らしき、五人ほどの女子高生が、携帯で写真を撮影して騒いでいるのが見えた。一人は電話して誰かに説明している様子だった。  『人』が燃えていた。誰かが通報したらしく、すぐに消防車とパトカーが向かって来た。琴は姿をよく確かめられなかったが、周りの話からして男性なようだ。やじうまはやがて帰って行った。琴も、ここにはなかった目的を探して再び走る。 「……急がないと」  琴は、キャノを探している。 または、リミッターに取り込まれたかもしれない魔力そのもの、だ。  もしかすると同じ条件で『あれ』に会えるかもしれない。 それを見つけるには彼女が必要だと思えた。  琴がなにかをしたときクルフィもそばに居たのを思い浮かべてみる。 彼に触れた彼女の魔力は徐々に『抑えられ』てしまったし、男は、力を失った。 共通したのは、彼が触れた相手という点だ。  琴自身が、あのとき、管理局に登録されやすい《要素系》の魔力のみを押さえるリミッターに《なっていた》のだとしたら。 滴定に使われるのが、 魔力がさほどない、 『人間』だとしたら?  押さえる力がなかったのではなくて、彼自身がそれを取り込んでいたとしたら。  または、それが彼自身の力なのだったら。 リミッターは、彼らと、魔女たちとの繋ぎ役として機能する仕組みでありそれになんらかのエラーで、琴が干渉してしまった結果、今の自体になるのなら。  彼女の中にある障壁をなくす。その力は自分が居なくても持続するタイプのようだから、恐らくは、琴自身の体力か何らかと、遠くから連動している仕組みのものだろう。たぶん、まだ暗示系などの制限は少ないはずだし、体力があまり消耗しないのはそのせいか?  琴自身の力を同じ力で打ち消してしまうか、なにかで自分を制限すれば、彼女の使えなくなっていたぶんの魔力の制限を、もう一度、解除することが出来るのではないかと思った。 彼はそれを伝えたのではないだろうか。結局、術士が《解かれた》と認めることが、術の終了なのならば、だが。  と、急に、体が引っ張られた。   「──え?」 正確には引っ張られたわけではなく、琴の脳に、外部から信号が伝わったような感じだった。そちらに向かわなければならない、と、足が動く。体が反応する。 「おれは、どこに行くんだよ……」 わからない。 気が付けば導かれるままに、琴は走っていた。どこをどう走ってきたのかもわからないが、たどり着いたのは、人気の無い、声が響く広い空間だった。 ──魔力を人工的に作る技術。  それがもし成功すれば、魔族に力で対抗することも可能だろう。それとも、表には隠して事件を起こし、責任を魔族に押し付けることも出来るのではないか。 「で、炎がどうしたの?」 「いえ、それは、あとでいいんです。だから──おれが、クルフィさんにかけてしまった術を──」 キャノが、ぽかんと固まった。予想外の反応に、琴は固まる。 「──きみは、何を言ってるの。本気でリルっちが、そう簡単に、封じられるんだと、思うの?」 「え……だって『わかった』って、そういう意味じゃ」 キャノは大きく首を振った。 「まさか。そんな簡単にあの子が封じられるんなら、世界はもっと平和だったよ。あんなことも、起こらなかっただろうし」 暗い目をして、静かに言う。琴は混乱した。だったら、なんだというんだ。おれのせいではないのか。 彼女は、どうして魔力が。 「……それはねー、こっちに来てすぐは、気付かないもんなんだけど、っていうか、リルっちが、来てるなんて思ってなかったから、言えなかったんだけど、多分、単に安全装置が働いたんだよ」 「安全、装置──」 「体に対するブレーカー、みたいなもんかな? 昔、この国では魔力の使われ過ぎで過労死が相次いでね──それを、押さえてるんだよ。こっちは、攻撃系じゃなく、移動、転送みたいな、電力でも賄えるような便利機能から、生活に役立つ防護壁なんかを使うと付いてくるよ」 なんだって! 初めて聞いた。琴はいろんな意味で、力が抜けそうになる。 「ここは……」 どこかの駐車スペースだろうか。 剥がれかけたコンクリートの壁に、何かのマーク、数秒で描いたような似顔絵などの、数々の落書きがあった。隅にある『最強☆』などと掠れた白い文字が、やたらと目につく。カビのような、ほこりっぽいような匂いがする。 「あ、来た来た。琴ちゃん、やっほー」  声がして、奥の方の壁、やや薄暗く、見にくい所に、少女が寄りかかっているのに気付いた。棒読みのような疲れきった言い方だった。ひらひらと手を振られ、振り返す。 「……やっほー、です。あなたが、呼んだんですか?」 「まあね。転送は、体力ないと、ちょっときっついから、引き寄せるやつにしといたよ」 「そうなんですか……」 「いやあ、追っ手を撒くの、超大変だったよ」 「お疲れ様です……キャノさんは、感じましたか? おれ、さっき込神のあたりで、強い炎の力を感じたんですが」 キャノは、んー? と首を傾げて、少し考えてから否定した。 「そりゃ、ないよ。ここ、そこからそんな離れてないけど、強いならわかるもん」 ──だとすれば、あれは、魔力によるものでは無いのではないか。 薄々考えてはいた。 ──炎、という感じは伝わるのにどうしてか、個人の意思のようなものが、読み取れなかった。それは距離が離れているからだと思ったが、近くに行っても同じだったのだ。 あの男の人も、それには特に触れなかったが、彼は何か気付いていただのろうか。 「……だったら、そんな、強い力を、いつ使ったんですか?」 「ああ、夜……かな?」 「夜?」 「一緒に泊まったホテルのね、同じ部屋にいるのに、めちゃくちゃ強いバリアを張られたんだ。無理しなくていいのにね……で、その解除を忘れたまま、今朝も、いろいろと防御を──」 なんだかわからないが、何かが大変だったらしい。 「でも、三人で一緒に帰っているときから、寒さを訴えていましたよ」 「あー、あのときはたぶん、食べ過ぎのせいだよ。っていうか、あのときコトちゃんがどうにかなってから、結構たってたじゃん」  実は食べ過ぎで腹痛かなにかわからないが起こしていたのか。チャレンジメニュー、恐るべし。今度、胃薬を持って行こう、と琴は考える。 「紛らわしいですね……というか、バリアなんか使われるくらいに、何をやったんですかあなたは」 「いや何にもしてないよ。強くて出来なかったし」 キャノは不思議でたまらないと言ったようすで、手を横に振る。琴は唖然とした。 「……どうつっこめばいいかわかりませんが、とりあえず、その安全装置はどうやって──」 「ああ、それなら、休んでしばらく時間が立ったら治るんじゃないかな。でも、まあ、エネルギーの割合の関係に伴って、体調不良になりやすくはなるから……看病はわかった、って」 いや、看病に来ると余計に悪化しないだろうか…… 琴は考えて、考えないことにした。──意外に面倒というか、無理をして体を壊さないための仕組みみたいなのがあるんだなあ、と勉強にはなったが。 「じゃあ、あの人はなんの意味で、あんなことを……?」 謎が余計に深まってしまった。     □ 「強い、炎か……」 ポケットにある手紙を思い出して、クルフィはため息をついた。 「焼き肉、か──」  続いて、油の滴る肉を思い出して、クルフィはよだれが出そうになる。 タワー地下の、いつも来ている場所に向かいながら、どうしていいかわからない感情に押し潰されそうになってきそうだ。  コンクリートの壁に手を付くと、ひんやりしていた。  下がってきた体温には、あまり嬉しいものではない。ドアになっている壁をスライドさせ、中に入るが、迎えてくれるものはなく、がらんとしている。 特に家具もないので、本当に、引っ越した初日の、荷物を運ぶ前の部屋みたいだ。 「ふっ……久しぶりだなあ、こういうの」 あの町を離れたときも、そうだった。何もない部屋は、少し寂しくて、なんだかまるで、取り残されたみたいな気がする。 「──ばあちゃん、《向こう》で、元気にしてるかな……」  故郷にいる頃、先にこの世から旅立った祖母は、最後まで、幼かった少女を見捨てないで面倒を見てくれた。 『このどうしようもない、おてんば娘』と、何度も言われたものだが、それでも彼女から感じるのは優しさだったのを、知っている。 悲しくなるので、写真はすべて処分してしまったが、1枚くらい持っておけば良かったと、今は思う。  記憶の中の家族は、どうしても、歳と共に少しずつ薄れていってしまうのだ。 まだ何も知らない小さな頃、会いたくてたまらずに、墓前で何度も試みた蘇生魔法は、そういえば雑誌のデタラメだった。本当は、まだ誰も見付けていないらしい。 「あぁー! にしても、あいつに酷いことを言っちまった気がする……」  酔っていたかのような気分から、今さらのように目が覚めて、猛烈な自己嫌悪に陥る。体は寒い、が徐々にマシになり始めている気もする。 ──ふと、背後から何かが跳んだ。クルフィは隅っこで頭を抱えていたので、気付かなかったが、その何かは、跳んできた方向に、一気に跳ね返る。ビタンッ、と強く痛そうな音がして、ようやく彼女は振り向いた。 「……ん?」 手に乗るほど小さな、白い毛並みの恐らくフェネックらしき動物が、床に叩きつけられ、恨みがましく彼女を睨んでいた。どうやらこのフェネックみたいなのを弾いてしまったらしい。 「なんだ……お、まえ、大丈夫か。悪い……」 あわてて近寄ると、やはりこちらを恨みがましく睨む。とりあえず、元気ではあるらしいが、なぜこんなところに、このような生物がいるのだろう、と考えて、ひとつ思い当たった。 (……使い魔?)  詳しく考える前に、まずはとりあえず、昨日、どうしても理由があってギリギリ限界まで可視レベルを下げて使っていた結界を解除する。 生き物が、不自然にぶつかって倒れたお陰で、それを解除し忘れたのを、思い出したのだ。  この現代の世界で使用される結界、というものは、エネルギーで作り出された薄い膜で、外敵を排除するように働きかけている。外部の力に極端に弱い魔族たちが生き残るために編み出したもので、通常の人間はもちろん、害のある魔族にも有効な壁だ。  本人の体力を消費するものと、製品として売り出された使い捨てのものがあるが、彼女は自分自身の力で、結界を何重にも張っていたのだった。身を守るために。 「……あー、これがあったのかー。気が付かなかった。どうりで、疲れると思ったわ」  この解除は、そうしよう、と自ら思うだけでいいので特に作業はいらない。付けるよりは楽だ。  いつもは、この結界を、自分にだけには見えるように薄く色を付けていたのだが、この町だと、それをすれば監視カメラにしっかり映るので、そうもいかなかったのだ。人の目を誤魔化せても、機械は少し難しい。  ちなみに、解除を忘れると警告が出るようなアクセサリーを身に付ける者もいるが、彼女はあまりアクセサリーは好まない。  付けたり外したりが面倒だし、あんまり金属は好きではない。つまり付けていなくて、結果として、すっかり忘れていた。    解除を終えてからは一気に、体がやや楽になった気がした。少し、自分の体が温まり始めたのがわかる。それに、別の意味でも、顔が熱い。 「……なんだ、私はあいつに、当たっただけかよ。うわ、恥ずかしい」  制限されていたわけでも、凍結したわけでもなかった。そもそも、本当に魔力が停止すれば、自分の体験したようなものでは済まないのかもしれない。
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