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魔力が少し足りないだけで、理性は効かなくなる。少し多いだけで、狂ってしまう。本当にどちらかになれば、彼女は、もっと悲惨だったのだろう。
(だから──なんて言い訳にならないかもしれないけれど……)
それから──理由は、もうひとつある。だからなおさら、わからなかったのだ。首をひねる。
「でも──おかしいな。今までなら《このくらい》使った程度で、こんなことはなかったのに……」
一方で、なんとか立ち上がったフェネックみたいな生き物は、声ではないなにかで唸り、やはり彼女を睨んでいる。痛かったらしい。
「いやあ、悪かったって……」
生き物は答えない。わずかに足を動かした程度で、固まったように彼女を見ている。白くふわふわした毛が、床に小さく舞う。
「どっかから脱走したのかな……」
と、どうやら彼女のいるすぐ右側の壁にかかっていたらしい電話が鳴り出した。突然だったので、びくっと肩が震える。
「こ……今度は、なんだぁ?」
彼女は、こんな場所に電話あったのかよ、と思いつつ、恐る恐る受話器を手に取った。よくわからないが、もう泣きたくなってきそうだった。
「……もしもーし」
とはいえ、電話をかけてきた相手が気になる。混乱しかけているのを悟られないように、とりあえず受話器を耳に傾けた。
『あっ、リルっち! 聞いてる? 今コトちゃんと居るんだけど』
電話の相手はどうやら、キャノだった。どんな仲だとしても、クルフィは積極的に会話を広げるようなタイプではない。求められれば頑張りはするが、基本的に面倒なのだ。なので、最低限の相づちを落ち着いたテンションで打つ。
「あー、そうなんだ」
『うん。それでね、そっちにぼくちゃんのペットが』
キャノは、通話ができて嬉しくてたまらないといった様子で、早口に状況を伝える。いったい、私なんかのどこに、どうやったら惹かれるんだろう、とクルフィには、彼女が不思議で仕方ない。
……そういえば、彼女は女性が好きなのだろうか?
クルフィにはややこしいことはわからない。自分以外の女性や男性になにかアプローチをしていたという話は聞かないし、駅前の売店に売っている週刊誌の表紙にある『アイドルなのに男の影がないランキング』とかいうちょっと偏った名前のランキングに、彼女の芸名があったのを見たことがある。
……いや、もしかしたら、自分が肉をどうしようもなく愛しているように、彼女も──まで考えて、なんだか虚しくてやめた。
肉と同列に語る必要はないかもしれない。
「ペットって……《白くてふわふわしたやつ》か?」
『よくわかったね。異界砂漠フェネック! ──を、独自に再現しました』
「模造品かよ。あっ、ところで、キャノ、前から聞こうと思ってたんだけどさ、この会社さあ──」
『今そっちに居るんだ? 良かったー! ペットがね』
「手紙で話を聞いたとき、もう少し、人数が」
『ここに初めて来たとき、空港の時点で捕まっちゃっててさ、審査厳しいし、もう返ってこないのかなって、半分、諦めかけてたんだけど。最近どうも、自力で逃げてきていたみたいで──《反応》があってさ』
「いるって話だったんだが……、他のやつはどうした?」
『もし、見つけたら、迂闊に手を出しちゃいけないよ』
「……え」
『え?』
互いに噛み合っていなかった言葉が、ようやくそのとき、噛み合った。
『リルっち、今、なんの話を──』
キャノは、焦ったように真剣なトーンでクルフィに問う。クルフィもそれどころではなく、キャノに問うた。
「迂闊に近づくなって、なんだよ、また小学生の頃みたいに、危険生物を飼ってんのかよ」
『……。えっと。いやいや、手を出すなって言ったんだよー。危険生物って意味じゃ、リルっちがトップクラスだったけどね。実際、何度か死にかけた』
少し考えて、キャノは、結果的に自分の持ち出した話に乗ってもらったのだし、というふうにクルフィの出した話題を諦め、言い出そうとしていた話を再開した。
「……わりい、昔話は後だ。そいつ、今目の前にいるんだけど、とりあえずどうすりゃいい?」
──そのとき、クルフィには、軽口を言っている余裕はなくなっていた。キャノが自分についての話を始める前に遮る。
(……なんだか嫌な予感がする)
彼女の元同級生だったキャノは、学校の側で飼われている危険指定された魔物の餌付けや、飼い慣らすということをしていた。
クラスでは『生き物係』と呼ばれていたが、実際、魔物を飼い慣らすのは、メダカやうさぎ、おたまじゃくしの観察、といったようなこととは、種類が違っており、『洗脳』『支配』『催眠』などの魔力特性があった生徒、特性がなくても、呪文を扱えた生徒のみがなれた係だ。
彼女らのいた世界の魔物(魔力を持つ動物みたいなもの)は理性の切れが早く『暴走』を起こしやすい。緊急時には命懸けなので、最悪の場合、暴走した魔物を永遠に眠らせる措置を取らねばならなくなる。
焼くとか、切る、とか物理的な暴力ではないところが重要だ。あくまでも眠らせ、『存命』させる程度であることは、規約となっている。
──話がそれたが、とにかくキャノは、そのような係をしていて、高校を卒業後も『魔物病院で働く!』と言っていた魔物(特に危険なやつ)好きであり(アイドルになっていたが)、そのせいでいろんな目に合った経験があるので、クルフィも警戒せざるを得なかったのだ。
『元気にしてるのかな?』
「元気だよ。っていうか、睨んでるよ。今も背後から殺気がだな……」
『え、なに、何したの?』
「解除、忘れた……」
『ごめん小声でわかんなかった。なんて?』
「解除を、忘れたんだよ!だからそれに跳ね返されちまって……っていうか! あー、私はどんな顔をしてコトに──」
そのとき、僅かにクルフィの持つ受話器から聞こえる音に、ノイズが混じる。
空気の音。たぶん、笑われた。
『……クルフィさんは案外、おっちょこちょいなんですね……! その件なら、おれは別にもう気にしてないです』
「……」
そして、続いたのはコトの声だろう。そういえば、あいつら一緒にいるって言ってたな、とクルフィは思い出す。
へえ、あんな風にも笑うのか、と意外な気分になった後、変に気恥ずかしいまま言葉を返せずにいると、すぐに、通話相手がキャノに交代された。
『……弾いちゃったの!』
キャノが慌てたように言う。クルフィは肯定するしかなく、短く答えた。
「うん」
仕方がない状況だから、という風に、キャノは切り替え、ゆっくりと何かを落ち着いて伝えようとした。
『リルっち、その子ね──、幻、が、あ、界──って……』
「お、おい!?」
聞こえる音が徐々に飛び始める。次第に、ノイズだらけで会話が聞き取れなくなっていき、通話は切られた。
偶像.to be continued...
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