音闇クルフィ

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「あー、あー、あー、だーりいー! なんだよなんだよー、あちーしさ」 少女、17歳(人間としての年齢)は嘆いていた。  少女と言っても決まった呼び名は特になかった。 実際にはあるのだが、長ったらしいからいいや、という彼女の投げやりによって、ガールとかそこの人とか、無難に呼ばれてきた。  彼女の、今は亡き母国では、産まれた子が自分で名前を決める。 『自分のことを自分で決める』ことこそ、力そのものなのだというのが、古くからの教え。名前も一番最初の「力」。  とはいえ、まだ小さくて、言葉もほとんどわからない頃なので、候補のカードを選ばせる、とか、そういったものだ。(中には、最初から言葉を口にする者もいるらしいが)  彼女も確かに自分で決めたはずなのだが、実はまったく、思い出せなかったので、適当に呼ばれるだけ。  その国は力を持つものの住むところだったが、ある日不幸にもそれ以外の標的、研究対象になった。早い話、サンプルとして狩られたのだ。 生き永らえたものは、人間として隣国やあちこちの土地に逃げ込んでおり、彼女もその一人。    いろいろあったけれど、この街にはドラゴンがこないし、平和だ。 「力」が、人々の間でどう呼ばれているかは国や村の土地柄で呪いとか、魔術とか様々だったけれど、彼女はそれを生まれもっていた。  戦後はいづれにしてもあまり公にはされなくなっているそれだが、かといって体から消えるわけでもないのでなんというか、中途半端な感じ。  いつまでも、何かが満たされないような、そういう漠然とした物足りなさが自分を蝕んでいる気がした。 ※202006022259加筆 「ここで言うと、魔法とかってやつなんだっけ? 私魔族? なんでもいいんだけど取り締まり厳しい! なーにがいけないってんだよー! あのねーちゃんも、空港のにーちゃんも、すぐに見分けやがるしさー!」  もともとは小さな隠れ家で、つつましく暮らしていた彼女に、手紙が来たのは、つい最近のこと。 『日本という町に来て、やってもらいたいことがある』 差出人不明。  なんだこりゃ、と彼女は眉をおもいっきり寄せた。変な態勢で座っていたこともあり、スツールからずり落ちかけながら、文面に目を通して、それから、鼻で笑って捨てようとした。 だが、封筒から漂った、何か嗅いだことのあるにおいに、手が止まった。力のあるやつはわかる。 力のにおいがする。香りというのには細かく分類出来ないだろうが、普通の、誰かとは、何かが違うものを、彼女は感じとれた。  手紙から、伝わってくるのは、ひたすら、強く、燃えるような、熱い感覚。どこか、懐かしい。 熱くて熱くて、熱くて――燃えている―― 「ん――今日は肉だな。焼き肉……」  炎を想像して腹が減った彼女は、そう締めて、後に行き先を辿った。  ただの、暇潰し。 いや、少し、手紙の差出人に興味が湧いたのもある。 良い報酬が出ると締めくくってあったのもあり、とにかく、悪くはないと、深くは考えずに、話に乗ってみたのだ。  彼女は、昔から、それなりの、生きるに足る力だけはあった。 しかし社会での一般常識に興味を持たないため、作れるものを、わざわざ受け取って使う意味を理解してこなかった。  能力の存在やその対策が、まだゆるそうに見える場所では特に、楽をするために力を使って遊んでいたのだが……  ほとんどの対策はとられていなくとも、見分けることに関しては、この場所は、彼女が今まで経験した中にはにないほど正確なようで、彼女は少し舐めきっていたと反省し、ひやひやしながら追跡を逃れていた。 「んーで、待ち合わせ、こーこだったかなー」  赤い郵便ポストの横に立って、彼女は腕を組んだ。 少し錆び付いたそれは、長年、雨風を浴びてきたのだと感じさせる。 「よーぉ、兄さーん、なんとかタワーって、なんだ?これか?」 ポストのそばを、気の弱そうな少年が通りかかったので、捕まえて、深く考えずに聞いてみる。 びく、と彼は肩を小さくし、キョロキョロとあたりをみた。 「あ・な・た・だ・よ、そこの、キョロキョロしてるあなた」 「あ……っと、すみません」 「な、タワーってこれか? おーいお茶タワーではないよな」  ぼやーっとした返答が珍しく、彼女は興味深げに訪ねる。 身内や、同じ学校だったが今は隣国にいる仲間は、気が強くてがさつなのが多い。なかなかお目にかかれないタイプだと、気に入った。中途半端に切られた、だらしない長い前髪に、ぼんやりした目。華奢な肩。ついでに、同じ駄菓子を20個くらい袋に入れている。 「あ、タワー……外国、の方……? ポストか……えっと、確かにそれも赤いけど……」  彼は、自分に向けられた質問とわかった途端、のんびりと呟きながら考え出した。合間に、んー、とか、そうだな、とか聞こえる。  あっ、としばらくして閃いた彼は、やたらバッジがついたメッセンジャーバッグから、メモ帳を取り出した。 「あの……地図……描きますか?」  うつむくと、長い前髪が、ぱさ、と鞄にかかる。 お菓子を別に持ち、鞄にしまわないのはこだわりだろうか? それとも今食べているところだったんだろうか。 「絵! お願いします! 字はちょーっと、読みづらくてさー!」 「……あ、はい……ちょっと待って……」  メモ帳に挟んでいたサインペンで、通りの数字や目印をところどころ入れ、細かく書かれたそれは、1分ほどで出来上がった。 「おー、すげー、こういう形してんだな! タワーって」  手渡された紙をみながら興奮気味にしゃべる彼女は、タワーが何であるか自体からよく知らないらしい。 (この人、どっから来たんだ)  少年は不思議そうにしながら、ふと、何か薄々気付いていた様子で口を開いた。 「あ、あなたって……その、もしかして異能力」 「おい、ちょっと黙れっ!」  少年のぼそぼそした声より、あきらかに彼女の方が、声がでかかった。 しかしどちらも、町の雑踏で目立たない。 「来い!」 「な、なんで、おれ……」 少女は彼の腕をぐいぐい引っ張って歩く。 もちろん、地図の方向にだ。 早足で進む。早く、早く、早く。 「あ……えっと、タワー、行くなら、向き、反対…………」 「なにっ、これって、全部、紙の内容と反対向きか!」  ぴく、と反応した彼女がショックで顔をひきつらせた。  東西南北の記号も読んでないのか、文化が違うのか、そもそもわかってないのかもしれなかった。 「あの……わかりました、案内します、えっと、だからその、腕を……」 少年は仕方なさそうに、言い、痛そうに、細腕を見た。おそらく、赤くなっているだろう。 それに安心した彼女は、腕を離して礼を言い、とたんにぶっきらぼうに変わった。 「ああもう、ちっくしょ……なんで、お前にはばれたんだ? 目眩まし対策は万全なはずなのに」 ショックで苛立った彼女は、あなた、と呼ぶのも、礼儀も忘れて、少年に、敵を見るような扱いをする。 「……おれ、わかるんです、昔から。なんていうか、そういう人が、いるって」  腕を離してもらった彼も、とことこと小さな歩幅で、後ろからついてくる。 彼が身につけているのは、たい焼きのワッペンがついている、奇妙なシャツだった。ここに着て、最初に買った昼飯が、たしかそれだった、と彼女は思う。 道に迷っていたときに屋台を見つけて、「おじょうちゃん、たい焼き買ってかないかい」とのことだったので買うついでに道を聞いてきたばかりだったがやはり迷ったのが先ほどだった。 「――それは、大変だなあ。つらく、ないのか?」 心配そうな瞳を向けられ、少年は戸惑ったように聞き返した。 「どうして」 「だって、自分だけがわかることって、辛いだろ。他の人と、壁が出来たみたいでさ。現代の、この町だと、特に……まるで、存在自体を、否定されてるみたいでさ」 「……みんな、すごいって騒ぐか、白けたような冷たい目で見てくるかだったし……あなたの、その、反応……ちょっと、嬉しい。でも、平気です。普通にしていれば、気にならない」 「そっか」 「あの……こんなことを聞いていいかって、思うんですが……その……あなたは、そうだった、ですか?」 「そーだな……秘密」 「はあ……」 にこ、と笑った彼女に、少年はやっぱり不思議そうな返事をした。 「やっぱりお前良いやつだな! 名前はなんていうの?」 「いつ……見込まれたのか、知りませんが……あの、コトって、言います」 「コトか! 私はな……、んー、名前か……何がいい? まんま名乗ったら、ちょっとマズいんだよ」 「や……えっと……空港とか、名前、どうやって……んと……じゃ、クルフィで」 「菓子か! 好きなのか?」 「……いや、なんとなく」 ――彼女の故郷の町は、荒れに荒れていて、当時、魔法の町、として旅行客が描いてくる夢を、完膚無きまでに打ち破る荒れようだった。 誰かのために、わざわざより良いことをしようとするやつは、バカにされ、誰も、誰かのことは考えなかった。 あの国では、みんなが何かしら力を持っていた。とうとう規制も追いつかなくなり、それぞれが好き勝手していたのだ。 不自由はしなかった。 それなりに、楽しかった。悪いことも、良いことも、事実上、存在しなかった。悪いと言われれば、すぐに、何かしらで良い何らかに変えさせれば、それで良かったのだから。 不良も、優等生も存在しない。誰も、不満を漏らさないし、だいたい、不満を抱える前に、どうにかなっている場合が多くて、平和で、殺伐として──── 「なにか、懐かしいこと、考えてますね……?」 突然ぼやっと声をかけられ、なおかつそれが図星の内容だったので、彼女──クルフィは、うおあああ! ときゃんきゃん響き渡る声を張り上げた。 「うぉま、お前、居たのかよっ!」 「ぐ、耳が……」 頭を押さえる琴に、彼女は、少し冷静になって謝った。 「……ああ、そーだったな、悪い、案内頼んでたんだっけ」 「目的地なんでしょう……忘れないでくださいよ」 ふいに、思い付いたことがあると話を聞かない彼女の癖が、ここで出てきた。 注意されたことなど頭に入っていない。 「あっ、そーだ、お前さ! 仲間にならねーか? いーよな、そーだよな! 名案!」 「え……あの、はい? 初対面の人物に、なんで……そんな、ぐいぐい来るんですか……」 せわしないヒトだなあ、と呟いた琴に、クルフィは全く無関心で、勝手にきゃいきゃい跳ね上がる。 「報酬は山分けすっからさ! ダメか? あ、物騒な話じゃないんだ、って言ったら余計怪しいよな……んー、一緒に、こう……そうだな、今みたいにだな」 「大丈夫、おれ……わかるので……あの」 「え?」 「……あなたが、根は、悪い人じゃないってのは……その、そういうのも、その人の、ステータスというか……変かもしれないんですが、一回、見たらわかるというか……あの」 驚きで、固まったままぽかんとする彼女は、彼の言葉に、信じられないほどの奇跡を感じていた。 一方で、変なことを口走っている気がしてきた琴が、眉を八の字に曲げ、申し訳なさそうにする。 泣きそうな姿は、まるで甘えている子犬のようだ。 「あ、あ、あの……」 見た目は猫っぽいのに。と彼女は勝手に思う。 「それ、本当すげーな! お前、いや……コトさん! 是非ともお友達になってください!」 キリ、と目付きを変えて、右手から握手を求めてくる彼女に、琴は相変わらず不思議そうに、はあ、と呟き、両手で握り返した。 ため息ではなく、なんだコイツ? が凝縮されているみたいだった。 「あ、いいですよ……というか、うん……おれも、あなたみたいな人は、見ていて、飽きない気がします、よろ、しく?」 ぺこ、と頭を下げると、前髪が垂れてきた。それが、頭を上げると再び分け目の定位置に収まるのに、彼女はなんだか感動してしまう。 「コトっ、よろしくな! 町で会ってもクルフィって呼んでくれ!」 「いや、そもそも本名、知りません……」 「いや、それがさ、んー……なんだっけな、リライトなんとか」 「……えっと……覚えてないんですか?」 琴は、そのとき、初めて笑った。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16:40、晴天 残念ながら、大手を振って中に入るようなことは、出来なさそうだった。 クルフィは、すっかり、一部の方々の間で有名人になっていたようで、すっかり人払い済みの中芯タワーは、異様な静けさで、お出迎えの準備、といったところだ。 入り口のガラス戸には、何やら緊急点検、の札が置かれているが、ほとんど、作業員らしき姿は見えない。中の点検だから、というにしたって、点検というにもなんだか違和感があり、むしろ徹底して警備をしている感が、すごい。 きょろきょろと、無線を持ってうろつくスーツ男ばかりが目立つ。 何より、視線が、数メートル先の歩道の、こちらにやたらと集中している気がするのだ。 「いや、これ確実に待ち伏せされてるって……イカした強面兄ちゃんが、正面に左右4人ずつで8人──と、別にまた、2人が、近くをうろうろしてる気がする」 「あの……いったい何を……、やらかしたんですか……」 「ちょうど良く乗り物があったからさ、ちょっと」 「え……ダメですよ、それ。お金、払わなかったんですか」 「いや、その……足りなくて」 「……はあ」 木陰からこそこそする二人だが、琴は至って冷静で、目が泳ぐのはクルフィだけだ。 「な、あの中に、見分けるやつが、いると思うか?」 「んー、正面8人中……一番右と、その隣と……3人、でしょうか……」 「おお、すげー、外の、しかも15メートル先でもわかるんだ」 「きみたち」 ふと、会話に、聞きなれない声が混じった。 背後を見ると、胡散臭そうな風貌の、ひょろひょろした男が立っていた。 着ているのは線が入っている紫のスーツだ。襟に、ひらひらしたものがついている。 うわあああ、ということもかなわないクルフィはびっくりし、琴はさっと姿を消した。彼はなかなか生きる知恵に長けていそうだった。 「な、あいつ……」 「ねぇねぇ、こんなところで、何をしてるのかな?」 男をよくよく見てみると、オールバックの髪をしていた。50代ほどだろうか。 優しげだが、どこか、ぎこちない笑みに、裏がありそうに感じられた。 「いや……その、遊びに来てたんすよ、で、なんか、ものものしいっていうか……近くを、通りかかったから……」 適当に喋りつつ、背中で隠しながら、くい、と曲げた彼女の指先が、小さく円を描き、彼女の背中を指す。彼女が小さく何か呟くと、しばらくの間、高い耳鳴りのような音が、彼女だけに聞こえていた。 「──んん? ああ……のら猫か」 少しして、男は、急に、目が覚めたようなことを言い出した。その様子からすると、彼女の使った、一番得意な幻術が、一応成功したようだった。 変身ではないので、自分に使うと、自分で確かめられない。 彼女は思わずほっとしていたが、ふいに、男の目付きが変わる。 「……ハハハハ、私は、猫が、大っ嫌いだ!」 (げげっ、やばい……) 逃げ出そうとしたが、服を摘ままれた。鮭みたいな色の、薄い素材の上着が伸びる。 「きみはもうちょっと……世間を知るべきだね」 バレた、と思ってはならなかった。認めた時点で、術は無効になる。しかし、無意識の感情というのは、鍛練しなければ、そうそう咄嗟に誤魔化せなかった。 男は、ハハハハと笑い、彼女の前に手をかざす。 「おやすみなさい、お嬢さん」 だめだ、と彼女はふと思った。だけど、遠退いていく意識ではどうにもならなかった。
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