音闇クルフィ

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<font size="5">18:00</font> 男の説明によれば、どうやらここは、中芯タワーの地下にある、避難スペースらしかった。何から避難するのかは、見当がつかなかったが、だからこんなに広いのだろうか。 「無駄に目立たないでくれないか。きみの悪事やなんやらの後処理は、こちらに来て大変だった」 男の靴が、タイルを軽く蹴る。正しくは、茶色い事務用スリッパだ。  仕事のプラン、という十枚ほど紙を束ねたものを渡された彼女は、仏頂面で目を通しているところ。  なぜかそのままその場にいる事態になっているコトは、不満も表さず、興味深そうに、近くからそれを覗いていた。  ノーマルホールド、アクションホールド…… 長い名前が並んでいる。 魔法の圧縮率、波動…… (魔力のサンプリングレートについて?) モノラルの場合とステレオの場合、それぞれから抽出できる固体が異なっている。 こういった本を読むのが好きな彼は、内容についつい興味を持って読み込んでいた。  力の中にはなんらかの方法で、急速にゼロクロス(マイナスからプラス、プラスからマイナス値に変化する部分のゼロ地点)に戻そうとする時に結晶化するものもあるらしい。 こういう漠然としたのにもいろいろ理論があるんだな、と思う。  しかし、こんなことばかりつらつらと並んでいるのは、いったいどういう業務なんだろう? ところどころに、『ラブソング』とか『恋愛感情』という項目があるのがやけに気がかりだが…… 「しっかしよー、いきなり後ろから来んのはヒキョーだろ! 手荒な歓迎にも、程がある!」 むすっとしたクルフィがぼやくと、男はハハハハ、と笑った。 「きみみたいな人以外が紛れこんだら、厄介だからね。警備は厳重にしていた。きみが、突っ立って何かに巻き込まれても、また厄介だからね。さっさと回収しないとと」 余裕の態度に苛立つクルフィが、拳を握りしめる。コトは、無表情で首を傾げながら男を見て呟いた。 「何か……調べる人だ…………とても…………うん、強大な力………力自体を否定するような……」 「きみは、いい目を持っているんだね」 「…………」  これは褒められているのだろうか、それとも、睨まれているのだろうか。 男が全く笑いもしないので少し考えてしまった。もしかすると勝手にそんなことを言ってはいけなかっただろうか、あのときの少女のように――と、少し慌てているうちに、少女のほうははしゃいでいた。 「だろっ、すげーんだぜコイツ! 広範囲で見分けられるやつって、なかなか見ないしさ」 「あ、あの……別にその……おれ」 コトがすまなさそうな顔でうろたえると、クルフィは少し冷静になって言った。 「コイツは、組めると思ったんだ」 「……ふむ」 男がコトを見た。 コトは、どうなるの、と言いたげな表情で、肩を小さくしている。 「……彼女には、手紙などで、ざっと説明しておいたが、うちは、世界に散らばる力の源を、回収する業務をしているんだ」 「それは、何……どうして……そんなこと……するんですか」 男が、クルフィに目を向けて、聞いた。 「きみは、薄々気付いていただろう。この国ではね、他者に影響を及ぼす強力な力は、ほとんど使えない。一定を保たれてしまうんだ。国が、ものすごく複雑な、均衡呪文をかけているからね。幻術や暗示系は、ギリギリ。でも、他要素が必要になるような強い力はほとんど出せない 「出る杭は打つ、ってことか……なるほどな。相手がいつもより強いんじゃなくて、こちらの力を制御されていたのか」 「結果の現象としては、同じだ」 「そうだけど!」 「それを、なぜ……回収……」 「ああ、そうだったな。目的のために必要な力を――集めている、と言っていいかもしれない」 男は淡々と答える。 「でも、やつらにとっても、良いことだろうよ。使うことが出来ないエネルギーは、蓄積していくと、脳や、精神に著しい影響を与えるんだ。 他の者の力と反発しあうと、制御が効かないほど攻撃的になる。それを助けるのが主には『この場所』のお仕事ってわけだ」 「それに、組んでくれってことですか……ほかに、誰かは……」 「極秘につき少数精鋭でな、さらに他の奴らは今は、いない」 「はぁ……今は、ですか」 「痛ぁっ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」 ふいに、クルフィが悲鳴をあげた。頭を押さえて痛みに呻きだす。尋常ではなかった。コトは病院に連絡しようと、携帯電話を鞄から漁る。男は、それを止め、彼女にゆっくり手をかざした。次第に、彼女の、頭を押さえていた手から、力が抜けていく。 「……あたたかい波動」  男の、その顔には似合わないな、と琴は密かに、失礼なことを思った。 「あれ、楽になった……?」 クルフィは少しだけ潤んだ目で、俯いていた顔をあげた。男が、回復系の力を使っていたのがわかり、密かに、そんなに悪いやつではないのかもしれないと感じる。  先ほどから見ている限り、彼も、彼女も、何らかの力がある……  それについてもコトは少しだけ前向きな感情を覚えていた。 「今になって反動が来るとは、遅いな」 「反動? なんのだよ」 「力を無理に押さえられているからな。力を使うたびに、反動で力に見合った痛みがくると、覚えておくといい。場合によれば、死ぬぞ」 「筋肉痛……みたい……」 「なんだ、じゃあ……筋トレしろってことか?」 「お前ら、聞いてたか?」 自身が死ぬ、なんて言われても、クルフィはピンと来なかった。死んだ人は幾度も見てきた。吐き気がするようなおぞましい光景も、いくつも知っている。でも、結局は他人事だった。 自分は、他者にはなれないのだ。 ただ、気を抜くと、猛烈な痛みになって返ってくることは、理解した。 「――特に、持続性のある、外部に向けた呪文は、一気に使うと、お前が死ぬ。定期的に解除すれば、いい話だが」 「――持続性っていうと、誰かを操るとか、そういう類いのやつか。いや、あれは、暗示系だと思うし、ダメージなんて」 「それは、やったことがないが、例えば、そう――何かの封印、とかな」 「封印……」 黙るクルフィの隣で、琴は、自分がここに連れて来られた理由をまだ聞いていないと思い出した。 初めは、ヤバそうな人が来たから、さっさと姿を眩ませようと思っていたのに、気が付いたら、体が植え込みの影になる場所から動かなくなっていて、戸惑っているところを、倒れたクルフィを担いだ男に、来てくれと言われた。  逆らうと、どうなるかわからないと思って、ついてきたのに。 「力の回収……」 想像よりは平和的とはいえ、なぜ、こんな物騒っぽい話になってしまっているのだろうか? クルフィと呼んでいるこの少女も、実は案外──というところまで考えて、自分の感覚を疑わないことにした。 話しかけようとしていると、天井に雑にかかったスピーカーから、盛大な警報が鳴り響く。 「う、うわ、な、なに!?」 クルフィが相変わらず元気良く跳びはねた。琴は、お?というくらいの反応を示した。 男がにやにやしながら、扉を指差す。 「さあ、初出勤だ。プリントは、さっき読んだな? 行って来なさい」 「うぇーい」 「そ、そんな、社会見学のしおりみたいな……」 帰るに帰れなくなったコトが、涙目でいるが、誰一人として助け船は出さない。 「んー、振り込みはあの口座だったな?」 「報酬より、まず仕事をしろ。それに、月末に払う。今回のことだが、まあ、要は、外にいるお客さんをもてなせということだな!」 じゃ、と男が出ていくと、残された二人はきょとんと目を合わせた。 「饅頭、全部食べてしまいました……」 「いや、たぶん、本当にもてなせということじゃ、ないと思うぞ」 18:32 いつのまに、こんなに暗くなったのだろう。そろそろ、秋に近づいているのかもしれなかった。やや肌寒い夜の町は、相変わらずうるさくて、電気がピカピカと、寂しい足元を照らす。 彼女は、琴と二人で、エレベーターに乗って、まだ地下の範囲から出ていないガラスの向こうを眺めていた。光の中で、辛うじて残り続けるような、狭い闇は、無性に、心の中の弱い部分を、引っ掻き回すみたいで、彼女には、少し不愉快だった。 絶望的な孤独感は、どろどろした、真っ黒な感覚を生み出す。他者を巻き込んで、引きずって、落としていく、飲み込んでいく。 それのせいで、何人の友を失っただろう。寂しい、なんて思ったところで、鬱陶しい感情が止まらなくなるだけだと、知っているのに、なんだか感傷的になってしまう。 すべてが、嫌いで、憎くて、たまらなくなる。 ひたすら寂しくて、すべてがどうでもよくなって。 ときどき、自分では抑えられない。 「……あの町も、ここみたいなだったかな。私も、あんな感じだったかな」 小さく呟いたそれに、意味などなかった。切り替えないとと思うのに、惨めな気分が止まらなくなる。 「いいじゃないですか……おれは、誰とも違いました」 ふいに、隣に立っていた琴が、彼女の胸の内をなぞるように呟いた。 「……だから、町にも……人にも、繋がりみたいなの……感じられなかった」 彼女──クルフィが、意味を聞き返そうとしていると、ちょうど、エレベーターが、緊急停止した。 狙い済ましたかのようなタイミングに、ますます眉が寄る。首を傾げるコトを引っ張って、フロアに降りた。どうやらここはB2Fで、地上に出るにはあと2フロア足りなかった。 「おいおい、故障か?」 「……あ、おれの、ミニカツ、あのとき落としたのかな」 「ミニカツについて、今、閃かなくていいだろ!」 「でも、おれのミニカツ……」 ミニカツって大体なんだ、とクルフィは言おうとしたが、すぐに切り替えた。 それは、不思議な直感だった。 「最下にいるときは、気付かなかったのに……暴走した力の、においがするぜ。このタワー内」 互いに、無理に歩み寄ったり、噛み合う必要はない。割り切ってみるのも、それはそれで、心地が良い。 納得した気分になっていると、琴が、ぼやっと歩き出す。転ばないか、クルフィは内心で心配した。 「そう、ですね……、電気の、痺れるような痛みが、熱くて、頭が揺れるような、焦げた感じが……する……」 目を閉じる琴に、無防備さを感じつつ、クルフィはそのそばに立った。 ここで、問題だった。 彼女は今さら、気付いた。力の感じはあるが、敵の姿が、目視では全く見えないのだ。 「──で、どうやって、そのミナモトさんを、回収しろっての?」 「……見えない……ですね。てっきり、人が、使ってるのかと、思ってましたが。っていうか、お客さんは外にいるんじゃ……わっ」 頭が揺さぶられるような頭痛に、琴が一瞬、体勢を崩した。なんとか持ちこたえたものの、少しの間、痺れが続くようだ。 「大丈夫か? あのジジイ、なんとか回収して、箱に詰めて、頑張ってねーほし印ーくらいのことしか言わなかったよな。ちくしょ、騙されたかな……」 「ああ、わかった。リスクがあるなら、体から切り離して使うスタンス、と……なるほど……勉強になります……」 「あのさ、勉強になってる場合じゃねーよコト!?」 仕事内容についての説明を聞いた際、実体や、どんな姿で、どんなことが出来て、そもそもそれは何であるのか、という質問に対して「未知だ」で貫かれては、どうしようもなかった。 お前はお前の存在を説明出来るのか、という話になりかけて、退散したのは、少し前のことになる。 帰ろうかなーと文句を言いながら、ひとまずは外に出ないといけないので、エレベーターに乗った辺りで、出ていったはずの男が、にこにこ見送っていたりもした。腹立たしい。 しかも、がんばってねー、害虫駆除みたいなもんだから。と言ってどこかに、早々退散したのだ。 「あー、せめて、位置が特定出来ればいいんだけど……うわっ」 クルフィが、何かに右足を取られて転んだ。受け身はとったものの、中途半端で、少しアザが出来る。 「いたた……あ」 壁を見た。固そうな素材だった。床も、多分そうだ。薄暗い闇で、周りがどうなっているのか、実はよくわからない。 しかし、途方にくれていては、帰ることが出来ないのだ。どうにかしなければ。クルフィは、難しいことを考えるときの癖で、親指の腹を噛んだ。少しだけ、落ち着いて、何かがわかったような気がしてくる。 小さく息を吸うと、自分の髪の毛を一本引き抜いた。 「コト」 「なんですか……」 「なんか、個体、持ってない?」 「えっ……そんな、アバウトに言われても……えっと、何でも良いんですか?」 はい、と渡されたのは、やけにリアルな、赤い斑点のイカのストラップだった。金具が壊れたので、ポケットに入れっぱなしだったようだ。 「サンキュー」 イカに髪の毛を巻き付けて、少し念じてから放ると、バチっと音がして、何かがそれに食いついた。 クルフィが、納得した顔をする。 「……ああ、わかった。これ、遠隔操作じゃなくて、システムエラーだ」 「え? え?」 「……波が、一定だった。意思を感じない。誰かが仕向けているなら、力とともにさ、強い意思を感じるんだよ」 「で……なんで、イカ、投げたんですか?」 「あー、そりゃあ、こうするため……」 クルフィが右手を軽く振ると、イカが右に、浮きながら引きずられるように走りだした。バチバチと、何かを集めている。 「……あ、こっち来た、逃げろ」 「ひぃ!」 イカが一周するために走ってきたので、何らかも、こちらに向かってくる。二人も避けるために走る。 「な、最上階まで、行けるか?」 ぜえはあと息を切らしながら、クルフィが聞くとコトはさらに辛そうに聞いた。 「え……エレベーター、ですか……」 「階段だ!」 「あ、あの……おれ……持久力が……」 「とりあえず、何かあったら、骨拾うから!」 「死ぬんですか! 嫌な前提です!」 疲れていても何がなんでも、とりあえず、走るしかなかった。 非常階段は、部屋を奥に進んですぐの、分かりやすい場所にあった。 鍵をこじあけて(なぜかすんなり力業で開いた)かけ上る。心臓が絞られて、ひっくり返っているような激痛に、喉が焼ける。琴は、本当に、虚ろな目で走っていることが、よく見えない闇のなかでも感じられた。 明日は、筋肉痛だろうか。 クルフィが、激しい股上げ運動に辟易し始めた頃、ようやく1階に着いた。 最上階までは、案外長い。 「つ、つら……お前、大丈夫か」 肩で息をしながらクルフィが訊ねる。 「……はい、今はまだ……骨格標本になりたくはありませんし……」 「知らなかった、お前、拾った骨を標本にして欲しかったのか?」 「ええ、せっかく拾うなら標本に……って、なりたくない以前に、死ぬ気はありませんよ!」 冗談を言い合いながら、一階を見回してみる。 今さらだが、走るのに必死すぎて、イカの操作を忘れていたことに気がついた。というか、あのイカのストラップは、鞄に付いていたのだろうか。 「──悪い、なにか間違えた。あれ、見失ったわ。イカを呼び戻すから、離れてろ」 空気を変えたクルフィに、琴は、はっとして頷く。それから、少し距離を空けた。 「じゃあ、召喚しまーす」 「なあ……お前は、わざとなのか?」 数秒後、太い声がして、イカのストラップを残酷に握りしめた、あの男が立っていた。 <font size="4">19:13</font> 「ひゃっほう、イカでおっさんが釣れたぜ、コト! さあ煮るか? 焼くか?」 「……即刻リリースします」 現象については、正しくは、システムエラーとは違っていた。 この場所は、最上階の司令塔から膨大なエネルギーで、タワー内の全コンピューターを一括管理しているため、少しどこかにエラーが起きたら本来エレベーターすらまともに起動していないのだ。 男によれば、誰かが放ったままにしていた、人間用に売り出された悪質な追尾系イタズラ用玩具の類いの、中身、が残っていたらしかった。 (しかし、なぜあの階でエレベーターが止まったのかは、謎のままである) 「純血の人間には、しっかり見える物だ。なのに、二人とも、見分けられなかったというのは、また、厄介だな」 「な、おっさんは見えた?」 「コト、この猫に首輪を付けておけ」 男が、クルフィの軽口を、険しい顔で琴へと流したが、琴は取り乱し、聞いていなかった。男がおや、と意外そうな顔をする。 それほどまでにショックなことだとは、クルフィも思っておらず、様子の変化に戸惑う。 「おれ……人間です、そんなはずないです、なのに、そんなはず……」 琴は、震えながら、握りしめた指の先をナイフのように滑らせて、爪で左腕に力を入れた。皮膚がわずかに割け、だんだん血が染み出てくる。それは一瞬の冷たさが、じわじわ、燃えるような熱さへと変わっていくようだった。 小さな傷痕が、それ以上に大きな彼の葛藤を、痛みに置き換え、必死に押さえ込もうとしている。うつむいた前髪が、涙を隠す。流れる血は、すぐに止まった。 「んー、よくわからないけど、まあ、そんなはずないってなら、信じるぜ。ほらさっさと笑ってくれっ。というか、とりあえず、なんか食いに行こう! 腹へった」 クルフィは下手に気遣うこともしなかった。食欲第一に見える言葉だったが、きっと彼女なりの優しさなのだと琴は思った。 「……はい! 何が食べたいですか」 「肉ーっ!」
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