【2】最果ての絶望

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 部屋を出た瞬間、ミアはぎょっとした。  廊下の壁に描かれた人物と目が合ったのだ。  目が覚めるような鮮やかな青を基調とした壁。まるで雲一つない抜けるような夏空のような色をしたそこには、ミアがたまたま知っている宗教画とよく似た絵が描かれていた。  翼が生えた天使に女性が何か囁かれている。  おそらく『受胎告知』――。  口元は女性の耳へ向かっているのに、こちら見つめる天使とミアは目が合ったのだ。その絵の続きは左へ向かって絵巻のようにあるようだったが、あいにくミアが目指すトイレは右だ。 (あった……ッ)  建物の構造からして、窓があるか心配だったがトイレの扉を開けた瞬間、ミアはアバヤの中で小さくガッツポーズをした。  思ったよりも先ほどの部屋からトイレは近く、悠長なことは言っていられなかった。  ミアは音をたてないよう、慎重にアーチ形の窓を開けた。幸いなことにここは一階。地上へ派遣されたときに支給されたブーツの靴紐をしっかりと結び直し、窓をよじ登って外へトンと降り立つと、何やら柔らかい感触に足を取られそうになった。苔の絨毯だ。 (あ……ッ)  よろけた瞬間、ベールのようなヒジャブが窓枠へ引っかかり、ビリっと音をたてる。腰辺りまで伸びた生まれながらのミアの白髪(はくはつ)が、こぼれるように露になった。 「ここ、どこ?」  月明りだけを頼りに辺りを見渡すと、城壁のような高い壁に少し開いた木製の扉があった。迷わず、その扉を開けた先には小高い丘が広がっている。 「寒い」  首都は夏だった。それなのに震えるほど寒く、走ればいくらか暖かくなるだろう、と身震いをしたミアは一目散に走り出した。  この選択は利口ではないとわかっていながら、ミアは走った。地上派遣試験では運動能力もテストされる。三時間くらいなら走り続けても平気なはずだった。 「はぁ、はぁ」  どれだけ坂道を登ったかもわからず振り返ると、ミアが脱出した建物の全貌が明らかになった。  三つほどある玉ねぎのような屋根の一番高いものには十字架がある。内部のあの鮮やか壁画の色を考えると、玉ねぎにも色がついているのかもしれないが今は暗く、シルエットのように見えるだけ。その小さな都市のような、要塞のような左右に大きく広がる建物の一番裏手から、ミアは出たようだった。 「教会か、修道院か」  それ以外、周りには何もない。建物の窓から温かそうな橙色の灯りが漏れ、夜景のように壮観だった。  まるで闇に浮かぶ浮遊都市。  思わず、見とれていると建物からわらわらと松明を手に獣人が出てくるのが見えた。  ミアがいないことに気づいたのだろう。 「私が、何かしたとでも言うのか」  ミアは真っ暗な森の中へ逃げ込み、奥へと入って行った。
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