【2】最果ての絶望

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「痛ッ」  ミアは、派手に転んだ。暗くて良く見えなかった岩につまずいたのだ。 「歩いて、首都へ帰れるのかな」  木々の隙間から月を見上げた。首都を出た時は新月だった。それが満月を半分に割ったような上弦の月。つまり、七日近くも旅したと言うことだ。 (いったい、どうやって空を飛んだのだろう……)  相当な距離を北上したに違いない。が、まさか狼の生息地までは来ていないだろう、と言うのがミアの楽観的見解だった。  しかし、不安は拭いきれない。  先ほどの壁画――。  ホッキョクギツネの生息地で、当時の人間が信仰していた宗教についても調べたことがあった。自然信仰と言うものがあるからだ。その時に、たまたま見かけた壁画と同じだった。色合い、表情まで同じだったような気がする。しかし人間が地上を捨て、九百年の月日が流れている。人間が残したものがそのまま現存するなんて、ある得るのだろうか。  首都でも当時の建物は多く残っていて、そこに獣人たちは暮らしていた。長年の環境変化で、朽ちている物も多かった。あそこまで綺麗に壁画が残っているとなると、きちんと管理されているのではないかと思う。そして、壁画が知っている絵と同一の物であると仮定して、この気温と考えたミアは血の気が引いた。  森には狼がいる。 「私は馬鹿ではないから、これが無謀すぎたってことはよくわかった。何事も体験して実感することが大事だ。帰って、謝ろう。――ちょっと待て、なぜ私が謝る必要がある。失礼なことばかりしてきたのは、あっちの方じゃないか」  少し小高い岩の上で、一人で喋っているとカサッと音がした。 「そ、そもそもだな。私は動物に興味があって、それで派遣試験もパスしたようなもので……」  先ほどから聞こえる木の葉が擦れる音が無視できなくなった。まさか、ミアの独演会に立ち会っている誰かがいるとは考えづらい。わずかにハッハッと荒い息遣いも聞こえる。視線だけで周囲を見渡したミアの手に、じっとりと汗が滲んだ。  取り囲むようにある、暗闇に浮かぶ無数の赤い光。特殊な構造をしている狼の目だ、間違いない。 (本当に狼の生息地域まで北上していたのか……!)  鼓動が早くなるのを感じ、ミアは拳を握った。背中を向けて走り出してはいけない。動物の性質上、背中を向ければ追いかけて来る。頭では分かっているのに、すぐにでも逃げ出したかった。 「ど、どうしよう」  ポシェットから護身用の小型銃を取った。これを獣人や獣に対して使うと言うことは、その事について獣人四長と呼ばれる各種族の長に状況説明に上がらなければならなくなる。  使うべきか、状況をもっと見極め、使わない方法を見出すべきか。  地上派遣研修で、初めて持った拳銃は重すぎてミアには扱えなかった。他のメンバーは長身でやすやすと構えていたのが悔しくて、交換された小さな拳銃で的の真ん中を100%射れるよう、手に豆ができるまで射撃場で練習した。 (これは、自己防衛だ。私が判断を間違えることは無い……!)  今まで大好きだ、と思っていた動物に引き金を引こうとしている。心臓がバクバクと鳴り、安全装置を下げた自分の手が震えているのをミアは見てしまった。
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