【2】最果ての絶望

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(ここは、どこだ……)  恐怖の限界を超え、途中から気を失っていたミアの鼻先を甘い香りがくすぐる。首都のマルシェにあった蜂蜜売りの店から香った花のような匂いだ。  高い天井部にぽっかりと空いた穴。  そこから降り注ぐ鈍色(にびいろ)のさめざめとした月の光を受けたミアは、まるで光をまとっているようだった。  左目のアイスブルーの瞳とは対照的に、右目は東方の染物にある百入茶(ももしおちゃ)のような色をしている。その異なる色をした左右の瞳を白いまつ毛を携えた瞼が何度か隠し、ミアはぼんやりと穴の真ん中にある月を眺めていた。  どうやら、そこは洞窟のようだ。辺りは少し広くなっている。 「身体が、熱い」  月を見つめたまま、ミアは火照る額や頬に触れた。  こんな身体の不調を感じるのは初めてだった。『不調』という言葉は少し違うような気がする。高揚感から来る気だるさ、そんなもののようにも思う。  と、トクトクと鳴る鼓動を感じた。  自分のものではなく、背中から肌を通して伝わってくる。伸ばした手がふわっとやわらかい毛に沈み込み、ミアは何度も瞬きを繰り返しながら身を縮こまらせた。  あの巨獣の腹に、身体を預けていたのだ。悪夢から覚めていないことに気づいたミアは、どうしたら良いのか分からなかった。  ホッキョクギツネは巣穴で生活すると言うから、この洞窟がそうなのかもしれない。 「――こんばんは」  我ながら、なんて間抜けな一声かと思う。  言葉が通じるか分からないが、ミアを大きな尻尾で包み込んでいるのだからこの巨獣に敵意はないのだろう。  遠く狼の遠吠えが聞こえ、ミアはビクッと震えた。ホッキョクギツネは寝ているのか、目を閉じたまま「大丈夫だ」とでも言うように大きな尻尾を優雅に揺らし、ミアを撫でている。  ふかふかの毛の表面は固いが、中はとても柔らかい。とても触り心地が良く、ミアは我慢できなくなってホッキョクギツネの腹に顔を埋めた。 (すごい、モフい……)  そこからはエキゾチックな針葉樹の香りがして、妙に気持ちが安ぐ。それとは別に、この洞窟中に充満する甘い香りが、つい先ほどよりも濃密になっているような気がした。  ふたつの香りがぶつかって溶け合った匂いを嗅ぐと、身体の奥でジクジクと何かが煮えたぎるような感覚がして、ミアは小さな体を抱きしめて丸くなった。
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