21. Nearly There

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21. Nearly There

 俺の厨房内にいつもの甘い香りでは無く、パンが焼ける香ばしい匂いが漂った。 「どの串も卵の液が付いてこない感じだな。もう少し表面に焦げ目が付いたら出来上がりだ」 「もうアカン。めっちゃ旨そう。鬼さん達が来る前に丸ごと1つ食いたいわ」 「俺も同感。やっぱ総菜系の方が好きだな」 「義晴残念、もうバレちゃったみたいだ」 「何でやねん。どっかにカメラあるんやで」 「だな~」 「どうだ調子は? 今回は何を作ったのだ。香りがいつもと違うようだが」  監一は本当に鼻が利くようだ。否、監一だけではない鬼の嗅覚は、犬なみかもしれない。大きな足音がゾクゾクと近づいてきた。 「本当に恐れ入るよ」 「仕事せんで、ええんかいな」  近頃の俺は出来上がった料理の1部を冷凍保存するため、早く来れなかった鬼は食いっ逸れるのだ。そのためか最近では、焼き上がるや否や挙って登場するようになった。 「まだ焼けてないし、切ったりするから直ぐに食べて貰えないのに、早く来過ぎだよ」 「奥の方のは焼けてると思うぜ。また半分は隠すのか?」 「どうしよう。鬼さんに気に入られるようなら、カフェメニューの1品になるから、せめて3個くらいは、冷凍しておきたいよな」 「ケーキよりも簡単だったぜ」 「そう?」 「僕は鬼さん達が、気に入らん方に期待するわ」 「俺もそれに1票。今回のは丸ごと食ってみてえ」 「だな~」  俺達は同時に本音を吐き出した。  焼き上がりは見事だった。パン生地だが十分キッシュと呼んでも過言ではない仕上がりだ。早速いつもの様に、耕作鬼と厨房鬼へ1つずつと、コンの分も取っておくと、3つは念のために監一さんに隠して貰った。そして残りを鬼達に切り分け振舞った。  残念ながら義晴の期待は外れ、そして鬼が甘党だと言う俺の予想も裏切り、地獄キッシュは超が付くほどに好評だった。 「は~あ」 「まぁまぁ、義晴、また作ろう」 「玄、今回のはいつもの様に甘くないが、絶品だぞ」  監二は、頬っぺたが落ちそうなほどの、満面の笑顔で褒めてくれた。 「ま、いっか」  俺達は鬼達の喜ぶ顔に弱かったのだ。  しかし陽気な気分が一転して、不穏な空気が漂った。 「また現れたな。気を付けろよ」  先程まで、キッシュの話で盛り上がっていた監一であったが、殺気を感じたように顔色が変わり、少し屈むと俺達の頭上で囁いた。  獄卒がまた出現したのだ。他の鬼達と足並みを揃えて現れないが、監一の懸念が増すほど比較的高い確率で、ここに出現するようになった。 「うん、俺が持って行くよ」 「勇、あの一つ目さんがヤバいん?」 「らしい。監一さんに用心しろと言われてる」 「確かにあそこだけ、異様な雰囲気やな」 「人喰いらしい」 「げ」 「でも監一さん達に会うまでは、俺のイメージしてた地獄の鬼って、あんな感じだぜ」 「そやなぁ、僕も鬼って人を食べると思ってたな」  勇と義晴は、危惧の念を抱きながら、玄の後ろ姿を見送った。  俺は切り分けたキッシュを、他の鬼との対応と差別なく、しかし慎重に獄卒の元に運んだ。  獄卒は巨大な鬼ではなく耕作鬼と同等であったが、1つ目で鋭く長い牙が剥き出しているからだろうか、巨大であるが温厚な雰囲気を持つ、監視鬼や厨房鬼とは全く違う毒々しさがあった。 「何だこれは?」  始めて声を掛けられた。 「ちっ」  と言う監一の大きい舌打ちが耳に届いた。何かあれば監一が守ってくれるはずだ。信じるしかない。 「今日は初めて甘いのではなく、キッシュと呼ばれる卵料理を作ってみました」  このセルフは今日何度も他の鬼に言い続けていた。そして俺は出来る限り、平常心を保ちながら獄卒を前に対応した。  獄卒の2鬼は俺の肩越しに、恐らく俺の後ろで仁王立ちしているであろう(俺には見えないが)監一を一瞥すると、 「そうか」  と一言だけ溢すと、キッシュを口に放り込んだ。  旨かったのだと思う。他の鬼達と同様に 「もっとよこせ」  と要求してきた。  獄卒が他と違ったのは、ここへ頻繁に来る鬼達は、俺達が大量に作れない事を理解していた。そのため、決して無理強いはしなかったのだ。 「ただ言ってみただけだ。もしかすると余ってるかと思ってな」 「こんな旨い物は他の奴等にも食わせないとな」  と口々に気遣いの言葉をくれたのだ。 「こんな量じゃ味見にもならんぞ」 「そこにまだあるではないか」  しかし残念ながら獄卒は容赦がないようだ。 「あれは、まだ来られていない方用です。皆さんも同じ量しか召し上がっていません。少ししかお出し出来ずに申し訳ありません」 「人間の分際で物申すのか」  カフェルージュで働いている時も、何度か悪態をつく客の対応をやってのけた。だからきっと今回も何とかなると、高を括っていたのだ。  獄卒が放つ威圧感は、現世でのクレーマーとは比較にならない。俺は恐怖のあまり硬直し頭も真っ白になってしまった。 「おい、獄卒ども。文句があるなら俺が相手をする」  見兼ねた監一が救いの手を差し伸べてくれた。 「ちっ」  獄卒達は舌打ちをすると、 「こいつらが、何をしたのか忘れたか」 「こんな飯如きで人間の手駒にされよって、腑抜け共が」  まるで俺の厨房に居る全ての鬼達に、警告するように吐き捨てると消え去った。 「は~」  俺はその場でしゃがみ込んでしまった。 「玄、お前はよくやった。しかし次からは俺が飯を運ぶ」 「出来ればもう来ないで欲しいがな」  監一の後ろに控えていた監二の本音がこぼれた。 「分かった、そうして貰えると助かるよ。監一さん有難う。監二さんもサンキュー。俺、絶対に喰われると思ったぁ~」  獄卒は監一達に任せる事で、問題は解決したと、この時誰もが信じていた。  あれから耕作鬼と厨房鬼からも、1つずつキッシュの追加注文があったため、冷凍して保存するのを諦めた。そして、残り全部も一瞬で後から来た鬼の腹におさまった。 「これはマジで旨いわ。もうちょっと食べたかったな~」 「毎回味見だけだからな」 「まぁまぁ、味見出来るだけでも有難いって」 「玄が時々修行僧に見えるわ」 「何やそれ」 「あははは」 「さてと、いよいよだな」 「あ~ 待ちに待った、コーヒーの焙煎だ」  キュアリングをさせているコーヒー豆の1袋を、先程耕作鬼から転送して貰ったのだ。 「ホンマにコーヒー豆やん。凄いな。ちゃんと乾燥出来てるし」 「だな~ 地獄に来てコーヒーを作ろうなんて、まじ尊敬するぜ」 「同感や。凄いとしか言えんわ」 「そんなに褒められたら、くすぐったいよ」  俺はあまり褒められる事に免疫がなく、対処方法を知らず少し困惑した。 「玄、焙煎しようぜ」  もじもじしている俺に勇が処方箋をくれた。 「おう」  俺達は円陣を組んだ。その様子を監一達は不思議そうに眺めていた。 「フライパンはあっちだったっけ?」 「そういや、フライパンってまだ登場してなかったな」 「パンケーキするようになったら、超活躍するけどね」 「パンケーキ? うわ――楽しみやな」 「義晴は何でもアリだな」 「厳しい食事制限なしで、しかも自分等で作って食べるって最高やわ」 「俺もそう思うぜ」  話している間に、フライパンに辿り着いた。地獄に来た頃は、毎日のようにフライパン業をさせられていた。随分遠い日の出来事のようだ。 「久々に見るな」 「だな~」 「あ、そうなん? 僕はつい最近までお世話になってたわ」 「じゃあ、義晴に任せるか」 「え~ そんなん」 「勇は義晴弄るの好きだな」 「あははは」  俺が先にフライパンによじ登ると、勇と義晴がコーヒー豆の入っている袋と木ベラを渡してくれた。  フライパンがある場所には、炒り終わったコーヒー豆を入れるバケツやボールも持参し、念のために監一にも付いて来てもらった。 「うおぉ~ 久々に足が熱いな」 「コーヒー豆が焦げないように走りまわるしかないか」 「時計回り?」 「時計って右に回ってたっけ?」 「多分そうやったはず」  俺達は3列になり先ずは時計回りに走ってみた。 「木ベラ持って来て正解だな」 「うん、こうやって、ほうきを持って前に進みながら、掃除してるみたいやで。おもろいわ」 「義晴の発想って現世でもそうだったけど、地獄だと更にポジティブだな」 「僕、掃除なんてしたことないから、楽しいで~」 「お前等本当に良い奴だな~」 「何だい今更」 「コンビ名付けたいくらい、僕等気が合うな」  地獄一帯にコーヒーの香りが漂い始めた。 「うわ~ 懐かしい匂い」  俺は走馬灯のように様々な記憶が頭をめぐり始めた。カフェで働いていた頃のことだ。  注文伝票をオーダークリップに挟むと、先ずはコーヒー豆の入ったミルにスイッチを入れる。すると、キッチンに新鮮なコーヒーの良い香りが漂うのだ。 「玄、げーーん」 「おーーーーい」 「大丈夫か? 木ベラの動きが尋常じゃないくらい早いぜ」 「え?」  3列の真ん中だった俺は、2人の木ベラを押しのけ猛スピードで、フライパンの中をグルグルと回っていたらしい。 「あははは、ちょっとカフェルージュに転移してた」  勇と義晴はお互いの目を合わせると、 「嗅覚とかって記憶を呼び覚ますっていうけど、玄は飛んで行ってたぞ」 「ほんまや、ぜんまいを巻いて生き返った、ブリキのおもちゃみたいやったで」 「あははは」  俺は、自分の行動を想像して大笑いした。 「ごめんごめん」  白っぽかったコーヒーの生豆が上手に焙煎され、俺のよく知るコーヒー豆の姿を現した。
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