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「ねぇ? 覚えてる? あなたと私が出逢った日のこと。
満月の夜だったわ。
お客さんの入りが少ない日で。ぼんやりと二階から窓の外を覗いたら、あなたが通りかかったの。キョロキョロと辺りを見回していて、花街に慣れてなさそうなところが一目見て気に入ったわ。だからわざと手拭いを落としたの。
『これ……君の、だよね?』
拾い上げたあなたと目が合ったのもこの時だったわね。
『ここまで持ってきてくれる?』
暇な時にお客さんを捕まえる時の常套句よ。わざと手拭いを落として、持ってこさせて、部屋に上がったらお客さんとして扱うの。
でもあなたは手拭いだけ渡して帰ろうとしたわ。顔を真っ赤にしながらね。拾ってくれたお礼にと、お酒を勧めても、断って。指一本触れることなく、すぐに部屋を出てしまった。
あの時の悔しさったらなかったわね。この私を袖に振るなんて。
あの日から私は窓の外を見続けたのよ。あなたを探すために。
あなたを見かけるたびに手拭いをわざと落として、部屋に持ってこさせたわ。でもあなたは顔を赤くして、いつも私をまともに見ようともしなかったわ。手拭いを渡すとすぐに帰ってしまう。
一度だけ、手拭いを手渡される時に立ち眩むふりをして、抱き抱えらたことがあったわ。心の臓が激しく打ってて。いつも以上に真っ赤な顔をして。逃げるように帰ってしまったの。
触れたのはその時だけ。
その日から手拭いを落としてもあなたは拾ってくれることもなく、目を合わせることもなくなってしまった。
後で聞いて知ったのはあなたが米問屋の番頭で、その店のお嬢様と婚約していた、ってこと。お嬢様に御祓を立てて、他の女に目もくれない堅物だ、って噂を下女達がしてたのを聞いたわ。一週間後に結婚式を控えてる、ってこともね。
その時にはもう、私も意地になっていたのね。何がなんでもあなたを振り向かせる。それだけを考えて考えて考えて……でもそれ以来、あなたは花街に姿を見せることはなかった。
あなたに執着したのはあなたが振り向いてくれなかったから。決して、私があなたのことを好きになったわけじゃない。
あなたを振り向かせて、『好き』って言わせてみせる。たったそれだけ。それだけを胸に、私は次第に復讐を考えるようになったの……」
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