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「そこの扉の奥がバスルームになっている。足枷は外せないが、鎖は届くからシャワーを浴びてきなさい。着替えはまた用意しよう」
手錠を外しながら仁科はそう言い残して、孝司を残したまま部屋を出て行く。
両手が解放され楽になったが、顔や首筋にまとわりついた髪がわずらわしい。
不快感から逃れるように、孝司はバスルームへ駆けこむ。
鎖のせいで扉を完全に閉め切ることができずに、孝司は苛立った。
ズボンと下着を脱ごうとしたが、またもや鎖のせいで衣類を脱ぐことができず、シャワーを浴びることを諦め、結局顔だけを洗った。
視線を上げると、正面の鏡に自分の顔が映る。そこにいたのは一年前の自分。それから兄の顔。意識をせずともしばらく連絡を取っていない兄の面影を感じ、孝司は顔をしかめる。
「俺は、お前とは違う……」
ただでさえ苛立っていた心を抉られ、孝司は先ほど髪を切り落した男を恨んだ。
「早かったね、長瀬くん。そんなにお腹が空いていたのかい?」
「……着替え」
「着替えはまた用意する。それまで辛抱していなさい。それよりも、君は食事を摂りなさい」
こちらの要求は聞き入れられないのか。仕方なく孝司は連れて来られた時と同じ服を着ているが、いくら寒い時期とはいえ、同じ服を着続けるというのは気持ちが悪い。
それに払いきれなかった髪の毛がチクチクと気になった。
「先生、着替えを用意していただけないでしょうか」
心にもない言葉がするすると出てくる。
――何が先生だ。俺はあんたの生徒になった覚えはない。あんたを先生呼ばわりする理由もない。だけど怖い。
時折垣間見える仁科の不気味な表情の奥にある何かが怖くて、孝司は逆らえなくなっていた。
「着替えはまた用意するって言っただろう。先生の言うことはよく聞いておくのだよ。いいね、長瀬くん」
――心だけは屈しない。
「長瀬くん。返事をしなさい」
「…………はい」
――だけどこれから先、何が起きようとも心だけは屈するものか。
「よくできました。さあ食べなさい。冷めないうちにどうぞ」
「先生、ありがとうございます」
――本当に先生はろくでもない連中ばかりだけど、ここを出るためだ。俺もあんたの先生ごっこに少しだけ付き合ってやる。
孝司と仁科の奇妙な先生ごっこは、まだ始まったばかりだ。
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