『そんなのじゃない』で検索

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冷やかしの拍手と口笛に、鼓動が速まる。向いに座って目を閉じる男には、この程度の緊張なんて無縁なのだろう。 「緊張するか」 目を合わすのは、1ヶ月ぶりになる。左腕を覆う包帯と、左頬に残る傷が痛々しい。他の傷は、制服に隠れているだけだろう。 「まあ。慣れないことはするもんじゃない」 確かにあの日、会わなくてよかった。どんな顔をして、どんな言葉を掛ければいいのか。見当もつかない。 「続いて―――」 舞台上で、自分達の名前が呼ばれる。目を閉じてひとつ息を吐けば、緊張の理由(わけ)がわかった。 今朝、やけに面白そうに近づいてきた島田のせいだ。 「いいか、何があっても慌てるなよ」 カンペはスカートのポケットに入れた。一応、覚悟は決めてきたつもりだ。 「あと、今回の話を受けた理由は、自分で訊けよ」 あっさり教えてくれたと言うのなら、そのまま教えてくれればいいのに。何が、安心しろ、だ。 「ニシは勝負強い男だからな。訊くまでもないかもしれんが...言葉が足らんのはヤツの通常運転だろう?」 モヤモヤを抱えたまま、覚えた答えを飛ばさないようにするので精一杯だ。だから、早く済ませてしまいたい。「実行委員の念願叶っての出場です」とかどうでもいい!私はそんなの念願してない!まして、こんな時に! 「お二人は中学からの仲だそうですが、お互いの第一印象は?」 西川さんから、と指名されて声も手も震わすことなく答える。 「速くて強い」、と。 意味を掴みかねた観衆の中、吹き出す不細工な音。こらそこ、聞こえてるぞ。 「わ、私も自転車に乗ってたので、たぶんその」 「あー、そうなんですね」 冷や汗を拭いたくなる心地は、この進行役と分かち合いたい。 ちなみに、須崎さんは? 右に立つ横顔を盗み見る。 観衆の反応の意味もわからないのだろうと思うと、少し可笑しい。 「無口な堅物で、共通点がないと友人にならないタイプ、です」 「友人」を強調する。とりあえず、拍手に一安心だ。 「では、お互いの好きなところは?」 進行役がプリントを丸読みしてくれるタイプで助かった。余計なことまで喋らずに済みそうだ。 「たとえ自分が乗れなくても、自転車にまっすぐ向き合う姿勢は、美しいと思います」 キャーと悲鳴が響く。これはダメだ、心臓に悪すぎる。頬を左手で扇いでから、自分も続く。 「不器用なくせに見捨てないでいてくれた優しさには、感謝しています」 こんなこと、面と向かって言ったことはなかった。焦ってマイクの電源を落としてしまう。足下に落ちた視線を持ち上げる気力が湧いてこない。そのまま歓声に呑み込まれて消えてしまいたい。 「でっでは、お互いに直して欲しいところ?なんかは?」 「ありますよ」「あるに決まってる」 2人の即答は、盛り上がった場を急速冷凍する。 だからお前、一番前の真ん中に陣取ってるお前、肩を震わせて笑ってるお前!何が言いたい!! 「...女子大志望なんて聞いてない」 何を言い出すのかと思えば。 「言ってないからな。でも、関係ないだろ?」 どこから聞いた。 「4日目、来てくれなかった」 そしてすぐに痛いところを突いてくる。 「行った。ジュースなら山崎に預けただろ」 そういうことじゃない、と着実に追い詰めてくる。わかっている。行くなと言われたから、なんて建前だ。 「恐かったから」 何が、とは言わない。自分の怪我を思い出すのが、と思ってくれればいい。間違いじゃない。 「冷たいやつだな」 「...冷たいのは、そっちだろ」 こぼれ落ちただけだ。お願いだから、拾わないで。 「何?」 ああ、ダメだ。 「『そんなのじゃない』って言うんなら、こんなことするなよ!私の気持ち知ってるくせに!!」 静寂。 終わった。両手で顔を覆っても、床が濡れていくのがわかる。 惨めだ。人前で無様に殺されるくらいなら、気まずくてもあの日に終わらせればよかった。 そうすれば。 「...あのう」 すっかり忘れていた、進行役にも申し訳ない。もう、やめよう。 「すまないが、続けてくれないか」 「はあっ!?」 複数の声と重なった。流石に、こちらを伺うような視線が送られる。もう、いいや。涙を拭って、渋々頷いた。 「...須崎さん、2人の将来については?」 「自転車に乗る彼のことは、遠くからでも応援します。自転車は、嫌いにはなれないので」 まばらな拍手が、刺さるように痛い。 「西川さん、最後はプロポーズなんですけど...」 そうなのか。じゃあ、終りにしようか。冷たい人。
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