ムーンライトホテル

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 流れ者の男。名前をジャクソンとしておく。  彼は旅の途中。どこへ行くという目的のある旅ではない。「こんどは、南へいってみよう」とか、その程度の目標でおんぼろのバイクを乗り回している。  そういう旅のしかたに羨望を覚える人もいるだろう。彼自身、そういうものに憧れていたわけではなく、若いときから長い間には一片の郷愁も持たない流れ者になろうなどとは思っていなかった。こんな風に流れ者になる前は、世間に流されて生きていた。それが原因で、言われるままに訓練を受け、その結果見いだされて、危険な仕事をするようになった。それが本当に、命と引き換えで釣り合う報酬であったかというと、そんなわけはなかった。命を取り合うような仕事というのは、命が軽い者に依頼されるのであって、依頼する者が最も大きな利益を得るものと相場が決まっている。そういう、割に合わない仕事を請け負う、彼のような酔狂な者がいてこそ成立する。ジャクソンは若い時間をそういう理不尽さの中で生きて身に染みて理解したし、クタクタになり、「そういう仕事」をやめた。彼のような仕事は自分の考えだけで仕事から離れることは難しかったが、宇宙は広い。どこへなりと逃げ出せば、もう、追いかける方が無駄なのである。  道があるのかないのか分からない場所にあった一軒家で宿を求めたとき、家主の老人に、 「少し季候のいいところへ行きたいんだが。この近くにあるかな?」聞いてみた。すると、すぐさま高い声で返事が返ってきた。 「あー、それならこの先に、そうだなあんたのバイクなら4,5時間でつくだろう。ここをまっすぐ行けばつく。看板が出てるよ『ムーンライトホテル』」 「ムーンライトホテルか。いわゆる、旅行者向けの安宿かな?」 「ああ。高級なところがいいのか?」 「いや、そうじゃ無い。眠れてシャワーがあればそれで」 「なら充分だ」 「それじゃ」 「ああ、気をつけてナ」  ジャクソンは老人が別れ際に言った、気をつけてということばに少し気がかりを覚えたが、聞いたとおりに走り、しばらくして遠くに青い星を見た。  確かに、この辺で青い星はここだけだろう。  彼はバイクのスピードを上げて星に接近した。  荒れ野とわずかな植物とで構成された広い土地の上空に『ムーンライトホテル』があった。  このホテルは高空に浮いていて、地球の人間には見えないようカムフラージュされていた。  地球には、こういう施設がいくつもあった。高級リゾートホテルもあったし、ビジネスマン向けの安い宿も。そして、それらの施設に泊まる者は、様々な目的と素性と状況に置かれているのは地球人が使う宿泊施設と大差がない。 「何日の予定で?」  ムーンライトホテルのフロント係は見ていたテレビから立ち上がってカウンターに来るとジャクソンに、事務的で少し強い調子で言った。 「わからないが、多分数日」 「建物の外に行くときはカムフラージュを。地上を歩くときは地球人の容貌をして。問題になるのはゴメンだ。……部屋にある地球と地球人の資料を見て行動してくれ」  フロント係は見た目まるっきり地球人だった。どこの星の人間かは判別がつかなかった。  どこの星であっても、ホテルという施設があると言うことは、この場所がどこかのあるいは誰かの支配地であって、一定の規律に従って統治されている場所だと言うことになる。  ジャクソンは指定された部屋に入り一息ついた。地球で言う夜中に近い時間だった。今夜はこのホテルも利用客がそれなりにいるようだった。右隣の部屋も左隣の部屋も明かりが点いていた。ジャクソンはこういう安宿に泊まるのは慣れてはいるが、用心はしなければならない。それに、お隣さんとあまり顔を合わせたくもない。彼は少しの間、左右の部屋の様子をうかがい、妙な動きがないことを確認してから部屋を出た。  ホテルの敷地にドライブインがある。ろくなものは食べさせてくれないだろうが無いよりはマシだ。彼は部屋からドライブインまでの短い距離に空を見上げて歩いた。確かに名前の通り、月がよく見えた。 寂れた感じのドライブインだが、こういう所でも、たまには旨いものがあるし、郷愁をそそるようなメニューがあることもある。  店に入ると客は3人。その3人はひとつのテーブルについている。マスターは地球人の姿だが、彼もカムフラージュでそうしているのだろう。カウンターの向こうで静かに「いらっしゃい」と言ってジャクソンの挙動を見ている。  ジャクソンはメニューを見て、 「コーヒーってなんだい?」 「この星でよく飲まれてるもの」 「試してみよう。それとサンドイッチというのも」  マスターは頷いて背を向け、ジャクソンも背を向けてカウンター左奥の窓際のテーブルについた。窓際と言っても駐車場と地球の星空が見えるだけだ。時折、地球人には見えない宇宙船の航跡が尾を引いて行く。  今、店にいるジャクソン以外の客は3人だったが、その3人は地球人のカムフラージュはしていない。素の姿のままだ。地球人が見たら、それはおぞましいと思うかも知れないし、宇宙人だといって大喜びするかも知れない。そんな見た目だった。  地球のような、ほかの星との交流がまだ成立していない場所では、万一の場合に備えてその星で違和感の無い姿に成っておく者が半分、あとは向こうのテーブルの3人のように素の姿で気にせず過ごす者。だが、そうして素のままで過ごす者は、自分というものを主張する発想からそうしているので、カムフラージュしている者よりも「当たりが強い」ことが多い。近くに寄ったりするだけで、なぜカムフラージュするのか、素を晒したらどうだと絡んでくることもある。だから、そういう相手からは近づきすぎず、かといってあからさまに遠く成りすぎない距離にいるのがいい。  ジャクソンが座って程なくして、マスターがコーヒーとサンドイッチを運んできた。 「これはコーヒーの匂いか?匂いはいいナ」 「ああ。そのまま飲むのもよし。この砂糖とかミルクを入れるのもよし。どうしても飲めないなら匂いを嗅ぐだけでも。サンドイッチの方は、自分で食べて見るしか無いな」 「ありがとう」  ジャクソンはマスターに礼を言って、まずコーヒーカップに手をかけた。そして一口、少しだけ飲んで、そして納得したように頷いて、もう一口飲んだ。  ドライブインの窓の外に小型の宇宙船がよろよろと一機停まった。その宇宙船はあまり遠くへの飛行には適さないタイプのものだった。恐らく地球からでは、月までしか行けない。  その小型宇宙船から1人の地球人の少女が降りて来た。その姿には違和感があった。ジャクソンは少女が小走りにこのドライブインに向かってきてドアを開けるのをサンドイッチをかじりながら見ていた。少女は一見、本物の地球人に見えた。それがジャクソンに違和感を与えていた。  地球人らしき少女は店に入ってきてすぐに左右の席を見渡し、ジャクソンの方へ歩み寄り、断り無くジャクソンの対面のイスに座った。彼女は窓の外を一度見てそれからジャクソンを見て、 「座っていい?」といった。  ジャクソンはその少女が地球人としては10代後半くらいで、まだ親の保護下にあるような年齢であることを推察していた。そして、彼女が今しがた涙を流したのでは無いかと思われた。 「ん」  ジャクソンは、声に成らないような音を発して頷いた。それから、この少女が何を目的にどうして自分の前に座ったのかを考えなければならなかった。 彼女から自分に対して友好的な提案がされることはあり得そうに無かった。さしあたり、彼女自身が何か危険な行為に及ぶことは無さそうに見えた。こういうとき、ジャクソンはいつも、自分の過去の仕事について考慮しなければならない。何かと恨みを買うような危険な仕事も数多くしたし、それらの仕事について彼の口を封じたいと思う者もいただろう。それらの仕事の場所からは、今はかなり遠く離れているつもりだったが、それでも彼にはいつも何かに警戒しなければという気持ちを与えるのだった。 「『連れ』のフリをしてくれれば……」  少女はうつむいて、ジャクソンにしか聞こえない声でそう言った。 「コーヒーでも?」  ジャクソンはカウンターの向こうからこちらを見ているマスターに配慮して何かを頼むことを少女に提案した。そして少女が頷いたので、 「コーヒーをひとつ」とマスターに告げた。  見た目に間違いなく地球人である少女が小型宇宙船で、地球外の者しか立ち寄らないドライブインにやって来て、恐らく地球を訪れるのが初めてだろう男のところへ来て同席を求めている。これで店の中が緊張に包まれていた。  少女の前にコーヒーが運ばれてきて、ジャクソンはコーヒーをおかわりし、空いたサンドイッチの皿は回収された。  ジャクソンと少女の前にはコーヒーカップがそれぞれ置かれている。 「君は地球人じゃ無いね?うまく地球人そっくりに成っているけれど」  少女はジャクソンの問いに頷くだけだった。 「何もワケを話さないで、ずっとここにいるつもりかな?わたしが帰ったら、君はどうせ一人に成るが」 「よかったら、部屋にも連れて行ってくれると助かる」  今度はジャクソンの方が何も言わずに彼女に頷いた。これは彼女の提案に了解したという意味では無く、単に彼女の発言を理解したという意味での頷きだった。これはもう、相手がどういうつもりなのかという腹の探り合いで、彼女は恐らく、自身の行動に関する細かい理由は話さずに済ますつもりなのだろう。こういう場所では、時たま、こういう危険な匂いのする女を見かけることがある。それはジャクソンの経験から来ることだが。宇宙にもさまざまな生命の種があるけれど、体力的に弱い者は大概、立場も弱く虐げられるのが定説になっている。それは生命全ての摂理だろう。そして少女のいう提案は、ジャクソンに、部屋に危険を引っ張り込めというのと同義だった。 「俺も、もちろん地球人では無いが。君を危険と承知でかくまえというのは……」 「そうだね。ムシのいいはなしだよね……」  窓の外に一隻の運搬用宇宙船が停まった。操縦席から2人の男が降りて来た。この2人は見た目が地球人だったがカムフラージュの地球外の人間だった。彼らは、のっそりと歩きながら駐車場のほかの船を一回り目配せして、それから店のドアを開けて入ってきた。そのときの少女のしぐさからして、今入ってきた男たちが彼女の危険の元であるのは間違いなさそうだった。  入ってきた男たちは店の中でもまた周囲を一回り見回して、それから入り口から近いテーブルについた。  ジャクソンは入り口を封じられたのを見て取った。彼ら2人は、ジャクソンの前に座る少女が目当てであるのだろうというのは、彼らの目を見れば分かることだった。  ジャクソンの前に座る少女は入り口に背を向けていて、今入ってきた2人にも背を向けている。だから彼らのその顔をまだまともには見ていないが、背中は緊張で硬直しているのが分かる。  ジャクソンは、これからしなければならないことが二つあった。少女の身の安全を考えること。それには、入り口に居座った2人を排除しなければならないこと。  ジャクソンは自分の携帯端末を取り出して見始めるとしばらくして店のマスターを呼び、またコーヒーのおかわりをした。マスターはテーブルの上に置かれたジャクソンの携帯端末を見たようだった。  コーヒーを飲みながら時間が過ぎる。  店の入り口に陣取る2人は、このままいつまでも時間を少女に与えるつもりはないと踏ん切りを付けたようだ。2人は顔を見合わせてから立ち上がり、ジャクソンと少女の席へ近づく。だが、彼らのこの行為もリスクがあるのは分かっているだろう。少女の前に座る男が何ものなのか分かっていない。ジャクソンにしてみれば、こんな時には相手が自分を知っていれば無用の危険を避けるだろうと思えた。だとしても、彼らは少女に用があり、どうしても取り戻したいようだ。  夜中に店に入り、もう夜明けが近くなった。  例の2人組が無言で近づいてくる。それに応えるようにジャクソンもゆっくりと立ち上がった。2人組はジャクソンの行動に一端立ち止まる。  2人組の方が先にジャクソンと少女に突っかけていくつもりが、ジャクソンが先に話し出した。 「……いずれにしろ、俺との話し合いは避けられないだろう。先に外へ出ないか?」  ジャクソンがそう言うと、相手の2人はしかたないといった顔で、それでも薄笑いを浮かべながらジャクソンが歩くあとをついて店を出た。  駐車場の中程で1人と2人が対峙して立った。  恐らく血を見る。それは周囲の者には察しがついた。 「なんで彼女を追っているかは知らないが、諦めてはどうだ?」諭すような口ぶりでジャクソンはそう言うが早いか機先を制してジャクソンが先に手を出した。  右の男が懐にした銃を抜こうとしたところへパンチを見舞って、相手の腕を押さえ込んだまま振り回して、もう一人の足元へ突き飛ばした。2人が巻き込まれて倒れる。相手は銃さえ出せれば、握れればこちらのものと思っただろう。起き上がりながら、なんとか懐から銃をともがいたが、肝心のその銃を逆にジャクソンに奪われてしまったうえに後ろから股間を蹴り上げられて泡を吹いて倒れ万事休すとなった。ジャクソンは、容易い相手でホッとしていた。  そのとき、上空から銀色に黒のカラリーングを施した特徴的な船が数隻、サーチライトを浴びせながら降下して来た。 「動くな。手を上げてゆっくりと伏せろ!」拡声器の声が響いた。 「警察か!」  思わぬ大部隊が来襲して、ライトに照らし出された男たちに艦船の機銃が照準を合わせていた。下手に抵抗すれば木っ端みじんにされてしまう。2人は諦めてその場に伏せた。そして、今度は、 「コイツの方から先に殴りかかってきたんだ。コイツを逮捕してくれよ」  2人組は取り囲んだ警察官にそう訴えた。 「そうはいかないんだ。……おい、その貨物機の中を調べろ」  警察が2人の乗ってきた貨物機を調べると中には眠らされた地球人の女性が多数乗っていた。 「おまえたちは人身売買の容疑でリストアップされているだろうと思ってたよ。デカい取引なら警察もすぐに動いて、こんな僻地でも駆けつけてくるだろうってね」  ジャクソンが連行される2人に言った。 「ああそうかよ!……コイツも逮捕しろよ、おまわり!俺たちに先に暴力を振るったのはコイツなんだぞ」  だが警察はジャクソンには目もくれなかった。ジャクソンの経歴は大方警察にもバレていたが、それが逆の効を奏した。警察の指揮官は、 「アイツは放っておけ。捕まえても何をするか分からない。引退した狼を煽ることは無い」  警察に連絡すれば、人身売買組織という大がかりな犯罪の摘発には乗り気で、ジャクソンという自分の底知れない恐ろしさには警察は目をつぶるだろうという計算があった。  警察の空挺はすべて飛び上がり、駐車場のジャクソンを照らしていたライトが消えた。  ドライブインはまた元の静かな店に成った。  店に入ると少女はまだ元の席に座ったままだった。  彼女の前の席にジャクソンは座り、 「コーヒーをおかわりしては?」  少女は首を振った。 「なら、これから家に帰るか。送ろう」 「こんな時間に家に帰るの」 「宇宙人に拉致されてたんだ。妙な時間に家に帰る方がそれっぽくていいんじゃないか?」  ジャクソンはエミを彼女の家の前の道路に降ろした。彼女は元の世界へ戻って来た。このまま家の中へ彼女が戻れば、それで彼女にも彼女の家族にも以前の平和が戻ってくる。 「最初に言ったが。君は地球人に見せているが、違うだろう?」  少女は頷いた。 「地球人の少女に成りすまして生きてるのか」 「この家の本物の娘は、重い病気だったの。死にかかっているところをわたしが入れ替わったの。それからわたしが娘として生きている」 「そうか。そういう生き方もあるか」 「……わたしの母星は、わたしには生きにくい。地球がよかったの。どの星にもいいことも悪いこともあるワ。わたしには地球がいいの」  人身売買の奴らが地球人の女性を連れ去ろうと計画したのなら、少女が地球人でないとバレれば始末されていただろう。彼女は地球人として拉致されることと、その後に地球人で無いことで殺されることの両方を恐れていたのだった。  エミはジャクソンが地球を離れて行ってしまうのを惜しんだ。 「地球で、わたしを助けてくれそうな人は、なかなかいないわ。またいつかこんな時はあなたを呼びたい」  ジャクソンは頷きはしたが何も言わなかった。偶然に起きる個人的な正義の結末を他の誰かにも当てはめて生きることはできないからだ。 「俺は正義のヒーローじゃ無い。1人ですべての人を助けるわけにもいかない。1人のためにジッとしているのもゴメンだ」  彼女は黙って彼を抱擁し、彼も彼女の肩を抱いた。それから彼女は手を振って小走りに家のドアの前に行き、鍵を開けてドアの向こうに消えた。  家の中から歓声が聞こえた。  
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