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「よせ、サトル!」
「この、オカマ!お前なんてな、俺の女でしかないんだよ!」
「やめろ」
林檎が乱暴に【イケニエくん】のシャツに手をかける。
シャツの胸元に両手を。そして一気にボタンがはじけ飛ぶくらいに激しくシャツを…。
「…ほら、見ろよ山本。これは何カップに見える?少なくともCやDはあるよな。どうしてこんなにあるんだと思う?見た目はいかついおっさんが、どうしてでかいおっぱいなんかあるんだと思う?俺がつけてやったからだよ。こいつがあんまりにもいつか帰れると希望を持っていたから、そうじゃないと分からせる為に、俺がつけてやったんだよ。食べ物に睡眠薬を混ぜてな、知り合いの医者に持っていったのさ。起きた時のこいつったら、すごかったんだぜ。俺がおっぱいをもみもみしながら起こしたら、なにがなんだか解らない顔をして、それから、叫んだんだなあ。悲鳴をあげて、止せ、なんだそれは、取れ、取ってくれ、だと。取れる訳ないよな、だってくっついているんだもの」
はだけられたシャツからは、男性が持ち得ない二つの豊かな乳房が見えていた。
【イケニエくん】はそしてまた、絶望する。
その顔がいいのだと、林檎は思っているから【イケニエくん】は永遠に救われない。
「これからお前にはワンピースをずっと着てもらおうかな。赤いワンピース、胸元の大きくあいたワンピースを」
「やめろ、やめてくれ」
「その前に駅前でブラジャーを買ってやろう。ええ、お前の元教え子のさゆりちゃんがいるあの店で、俺の好みのブラジャーを、お前は試着室でつけるんだ。似合うかな、なんてカップルみたいに俺に確認させるんだぞ」
「サトル、頼む」
泣くな、せんせい。俺は思う。泣いたら負けだ。また泣かされるぞ。
「いえに、かえしてくれ、いえに…、かえりたい。おれは、おまえのものじゃないんだ、たのむ、かえりたい、かえりたい」
「魂は、ここにねえんだろう?だったら、体はおれのもんだ」
林檎は笑う。歯を剥きだして笑う。林檎箱に入っている時は大人しい林檎は、ここでは単なる狂人だ。悪魔だ。
泣きそうな、【イケニエくん】。
もうせんせいの顔はどこにもなかった。【イケニエくん】の顔をした【イケニエくん】だ。
拝んだってご利益のない神様にすがっている、本当の生贄だ。
誰も救ってくれないのだ。
林檎の災厄を嫌ってせんせいは生贄に差し出されたのだ。
【イケニエくん】が、【奥本先生】だったとき。
俺は【奥本先生】の生徒だった。家庭環境も成績も素行も悪い俺に優しくしてくれたのは【奥本先生】だけだった。俺はきちんとした大人になります、と就職先もきちんと決めて高校を卒業したが、やっぱり家庭環境も素行も変わりがなくて、仕事も半端にして悪い仲間とつるんでしまった。
悪い奴は、悪い奴といると心が落ち着く。案外皆心が繊細なのだ。
苛められると、虐めたくなる。
にやにやされると、殴りたくなる。
なにもしない奴を見ても、幸せそうなら憎みたくなるのだ。
俺はもっと、幸せになれたはずなのに。その運命を誰かが横取りしたに違いないとなぜか、誰にもそんなことは教えていないのに、俺はそう思ってしまった。
ふらふらして、悪さをして、そんな時に林檎に出会った。
お前、●●高校の生徒か。奥本って奴、知っているか。俺の友達なんだけどな。今でも家族ぐるみで仲良くしているんだぜ。
俺は素直だから、素直に答えた。いい先生でした。こんな俺でも優しくしてくれた、唯一の先生でした。
そうするとその男は歯を剥き出しにして笑った。そういうやつなんだよ、あいつ。それに俺にはわかるんだ。どうしてお前に優しくしたか。
それはさ、
「俺とお前はよく似ているもの」
林檎は笑うと気味の悪い生き物になる。
でも、俺はそれを強さだと思った。俺の元にいればいいよ。
友達のよしみだから。そう言った林檎の言葉を俺は信じた。
【奥本先生】は実際林檎の友達だった。林檎を介して先生と5年ぶりに再開した時、【奥本先生】は悲しそうな目をして俺を見た。
林檎が俺が面倒をみるから問題ないさ、と言った時、【奥本先生】は頭をさげてくれた。
山本、もう堕ちるなよ。口数は少なかったが俺を心底心配しているようだった。その横で林檎はこいつはこういうやつなんだとのたまった。
「俺とこいつは腐れ縁なんだ。幼馴染の同級生でね。俺は悪ガキ、こいつは生徒会長もつとめた優等生。いつも俺を心配したが、仕方ないよな。悪い奴は悪いんだ。堅物のこいつにはわからんから。だけど奥本。こいつのことは任せてくれ。俺が面倒を見るから。お前の生徒だものな」
「頼むぞサトル。俺はお前のその、義理堅さは信用する」
「任せてくれ」
そう言って林檎は【奥本先生】の肩を女に触るような手つきで抱いた。
俺はなんだか妙な気分になった。
でも、言わなかった。いや、言えなかった。
そして二年前。
最初に裏切ったのは、【奥本先生】の女房だった。
林檎から紹介された若い男に夢中になって、林檎の会社から二百万借りた。
トイチの利息に女房はあえいだ。そこへ林檎はつけ込んだ。
「奥さん。旦那をくれれば借金はチャラだぜ」
次に裏切ったのは、【奥本先生】の娘だった。
林檎から痩せ薬だともらったシャブで薬中になって、林檎の会社から何回も金を借りて林檎に日に日に高くなるクスリ代を気狂いのように手渡した。
林檎はクスリ、クスリ、と呻く娘にこう言った。
「なにもかも悪いのは父親だ。父親を俺にくれたらいくらだってクスリはくれてやる」
娘と母親はすぐに頷いた。俺はそれを近くで見ていた。
ある日、家に帰った先生は家族に借金があることを告げられた。
先生が林檎の元で働いて借金を返すならチャラだと聞いた。
先生は黙っておかしな様子の家族から事情を聞いて、学校をやめ、家を女房と娘に渡して林檎の元へ来た。
普通に働けばいいのだと思ってやってきた。
林檎は事務所の応接室で頭を下げる【奥本先生】を笑った。
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