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「ああ、ああ」
【イケニエくん】はまた絶望する。ずっと解っているくせに、今でも絶望するなんてバカバカしいな、と思いながら俺は林檎の口真似をした。
自分の地声より少し甲高く、笑ってやった。
「これからお前を女にしてやるぜ。抵抗した分いつもよりねちっこくな」
「サトル」
「そうだ、そうだよ。俺はサトルだ」
「違う、違う。やまもと」
「違う、俺は林悟だ。お前の友人のな」
「う、うう、負けんぞ。俺はお前なんかに負けてたまるか」
先生は俺の中に林檎を見て、俺を睨みつけて唸った。
すると俺も俺の中に林檎が生まれて、俺は手ひどく先生を犯すことに決めた。本物の林檎は先生を黙って見下ろしている。
いや、誰が本物だろう。俺か。それとも奴か。
奇声を上げて林檎は【イケニエくん】を犯す。
俺は見下ろしている。
俺じゃない。いつものように林檎が【奥本先生】を犯しているのだ。
俺はいやだ、いやだ、と思って見ている。俺が犯しているのではない。
歯を剥き出しにして笑っているのは俺じゃない。
そう思いながら、なぜ、俺は快感を感じているのか。
【イケニエくん】が悲鳴をあげている。
なぜか俺は、俺を見上げている。
俺が囁く。
俺は、お前だ。
お前は、俺だ。
「俺が憎いか」
情事を終えた林檎は、林檎箱で漫画を読んでいる。俺は林檎箱の横に立って林檎を見下ろしていた。
キャロットの喫煙ブース【16番】、それが林檎の住まいだ。
いいえ、と俺は言った。
そうか、と林檎は言った。
それから林檎は漫画をパソコンの置かれた備え付けの机に放り投げて、ゴロンと横になった。
「来いよ」
そう言われて俺は返事をしてから、靴を脱いだ。フラットの狭い箱。満足に横にもなれないような場所。
それが俺と、林檎の住まいだ。
ぎゅうぎゅう、と俺達は密着して寝転ぶ。
お互いの息が顔にかかる。
扉を閉めて、俺は林檎の頭の下に腕をおいてやる。すると林檎は俺を見つめる。
……きっと俺だけが、本当の林檎を知っているのだ。
本当の林檎は、ただの冷静で思慮深い男だ。
「俺はおかしいんだ。それぐらい知っているさ。だから、もし俺が死んだらあいつを頼むよ。俺は、あいつが堪らなく好きなんだ」
「あなたを死なせやしませんよ。先に俺が身代わりになって死にます」
俺はなぜか、林檎を憎んでいるのに憎んでいると言わず、死にたくもないのに俺があなたを守ります、というようなことを平気で言う。
どうしてだろうか。俺達はお互いの唇をついばみ、舌を入れ、そして眠りにつくのだ。
林檎箱で、林檎が二つ。
一つは半分腐りかけている。
だからもう一つもきっと、同じように腐るのだろう。
【腐った林檎が、います】完
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