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一限目
「掃除もしないで何してんだよ!」
カレーの匂いが立ち込める夕飯時の自宅。
ソファでうたた寝していた葛城由紀子は、キンとした男の声で起こされた。
「んぁっ!」
間抜けな声と共に慌てて目を開けて振り返ると、そこにはいつの間にか部活から帰宅していた中学二年生の息子、瑛太の姿があった。
「あ……、おかえり」
「おかえりじゃないよ、全く!母親入試も近いのに、そんな所で寝て風邪でも引いたらどうすんだよ」
「……」
ちょっとうたた寝しただけじゃない!……と喉元まで出かかった反抗をどうにか嚥下し、のっそりと食事の準備に由紀子は取り掛かる。
「で、この前の母模試の結果はどうだったの?母性大学、D判定から上がったわけ?」
瑛太は掛けていた野球鞄をさっきまで由紀子が寝ていたソファの上に遠慮なく置き、変わらずケンケンとした口調で聞いてくる。
「……うるさいなぁ」
「あぁ?! 何だって?!」
お玉でルーをかき混ぜている内に抑え切れなかった感情が思わずポロリと口からこぼれたのを瑛太は聞き逃さず、取立て屋のように更に語気に力が入る。
「こっちは母さんの今後を心配して言ってあげてんのに、何だよその態度!この前だってなぁ……」
と、瑛太が続けようとした所に「ただいま~」とくたびれた声が割って入る。
「なんだぁ~、玄関まで聞こえてたぞ」
「あ!父さん、聞いてよぉ!母さんったらさ~……!」
あ~、口うるさいのがまた増えたと、お玉を握る由紀子の手がイラつきで軽く震える。
ネクタイを外しながら、興奮して話しかける瑛太の言葉を「ふん、ふん……」と受け流しつつ、夫の誠一が席に座る。
「まぁなんだ、うちの家計的にも私立マザー大学より、国立母性大学に行ってくれた方が助かるのはお前も分かってるだろ?」
誠一は机に肩肘をついてカレーを食べながら続ける。
「良い大学を出れば、良い母親になれるんだ。昼寝してる時間があれば家事に勤しんで、A判定くらい取ってみろ」
「……わかってるわよ!!」
少しの休憩の対価には見合わない男性陣の追及ぶりに、由紀子はとうとう耐えきれなくなり、食卓を「バン!」と叩いて自室に引っ込んだ。
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