フランケンシュタインの嘘

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レオンは徴兵の布告がなされたとき、いたって冷静だった。レオンはわかっていた。状況はよくない。周りを見ればわかることだった。 新聞やラジオは協商国軍の圧倒的有利を謳っていたが、市場に出てくる食べ物の量が減ったり、日用品の価格が高騰し始めたりしているところを見ていると、報道が真実だけを伝えていないことは明らかだった。 レオンは駅で荷物を受け取って泣き出す女の人を見た。出兵していった夫の荷物とのことだった。日に日に駅に集まる女の人が増えていった。レオンは荷物だけが故郷に帰ってくるところを何回も見ていた。 徴兵検査の合格通知が届いたとき、レオンの両親はおいおい声をあげて泣いた。父ラグノーは怒って軍事務局に抗議の電話を何回もしていたし、母リーズはラグノー以上に怒り狂い、レオンが幼少期に患った失語症の診断書を軍事務局に持っていって再検査の申し出に行こうとした。 レオンはひぃひぃ言いながら力強い両親を宥めた。猛獣使いの苦労が身にしみてわかった。しかし、感情的になった二人を見て、レオンは胸が熱くなった。両親の行動はレオンが戦地に赴く十分な理由になった。 その日の夕食のことである。 父ラグノーはやけ酒をしていた。母リーズも止めようとしなかった。そういう日もある。大事な息子が遠くへ行ってしまうかもしれないとわかった日は尚更だ。 「国はこういうときに何もしてくれねぇ。俺たち庶民が困ってるのに税金をあげたり、食べ物を横取りしていったり、俺たちの宝物まで奪おうとするじゃねぇか。人に意地悪をしちゃいけねぇって、偉い人たちは教わらなかったのかよ」 父ラグノーは珍しく酒をがばがば飲んで、顔を真っ赤にしながらべろべろに酔っ払っていた。 「ねぇ? 私考えがあるの。マメーリにいる姉のところに行きましょう? あの国は戦争に参加しないで中立を保っているし、教皇領に行ってしまえば軍も手出しできないはずだから」 母リーズの目は据わっていた。母リーズが静かに怒るのも珍しいことだった。その怒りは地下火山の中でぐつぐつ煮えたぎるマグマのようでいつも以上に恐ろしいとレオンは思った。 「そりゃいい考えだ。手紙を書いて義姉さんに言ってみようじゃねぇか」 「もう、手紙も出していて、話もつけてある。いつでも来ていいって言ってくれているわ」 「さすが、俺のかぁちゃん!」 父ラグノーは唇をにゅっと突き出して、母リーズに抱きつこうとした。母リーズは両腕で父ラグノーをあしらった。父ラグノーは「ケチ」と言って少年のように拗ねて座っていた椅子に戻った。 レオンは二人のやりとりに口を挟むことなくじっと眺めていた。目に焼き付けておこうと思ったのだ。死ぬつもりはこれっぽっちもないが、万が一ということもある。運命は神さまが振るサイコロのようなものだ。もし、そのときが彼の意思に反して来てしまったら、もう一度この光景を思い出したい。いい両親だ。胸を張って高らかに言える。レオンはそう思っていた。 両親はレオンの視線に気がついた。二人は寡黙な息子の視線の中から『俺は戦場へいくよ』という落ち着いた声を聞いた気がした。二人は顔を曇らせた。レオンの頑固さを二人はよく知っていたからだ。 父ラグノーは酒の入ったグラスをあおってからいった。 「レオン。お前はまだ若いんだ。親より先に死んじゃいけねぇ」 母リーズはレオンの手を取った。 「レオン。あなたは国のために戦う必要なんてないの。もともとこの戦争に参加するって決めたのは偉い人たちなんだから、偉い人たちが戦えばいいの」 レオンは言葉を選ぶようにしてゆっくりと話た。 「うん。わかってる。俺は国のためには戦わない。正直に言って、俺は他の人なんてどうだっていいんだ。俺は二人を守るためだけに戦ってくるよ」 父ラグノーと母リーズは立ち上がってレオンを抱きしめた。 「いい子。本当にいい子。あなたはこの世にいる唯一の天使よ」 レオンはリーズが冗談を言ったと思って笑った。 「母さん、それは言い過ぎだよ」 ラグノーはドンと音を立ててグラスをテーブルに置くと、大きな声で否定した。 「いいや! そんなことはねぇ。お前は俺とかぁちゃんの子供だ。天使みたいに素晴らしいに決まってる」 左からは酒臭い父の匂いが。右からは乳(ミルク)のようにまろやかな母の匂いがした。 心が温まる匂いだった。
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