フランケンシュタインの嘘

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レオンはできる限りやり残したことがないようにしようと思った。 レオンはまず親孝行しようと思った。 特に反抗期があったわけではないし、グレたこともない。しかし親孝行をしてはいけないという理由がないのもまた事実だった。 レオンは出兵する日まで学校を休んだ。昼間は父ラグノーと家業であるパン屋を切り盛りし、夜は母リーズの家事を手伝いながら彼女の愚痴を黙って聞いていた。 いつのまにか子供の頃にはできなかったことができるようになっていた。パンがのった鉄板をオーブンから引っ張り出すこともできるようになったし、洗濯物を物干し竿にきちんとかけられるようにもなった。会計もできるようになったし、人参の皮剥きだってできようになった。 二人はレオンが何をやっても褒めてくれた。十八になっても親から褒められるのは嬉しかった。 一日の中でレオンがやることはもう一つあった。荷造りだった。 レオンは黙々と出兵の準備をした。軍事務局から送られてきた手紙を見て必要なものを揃えた。毎日少しずつ揃えることにしていた。街のあちこちに行って買い物をするなんて久しぶりだった。こんな機会もそうそうない。それなら、せっかくだから楽しもうと思っていたのだ。金は軍が送ってきた小切手を換金してあるので心配はいらなかったことも大きな要因だ。懐があたたかいと気が大きくなるのは人間の本性なのだろう。 レオンはぶらぶらと街を散策した。その途中で買い物をした。 小さなたらい、歯ブラシ、下着、筆記用具、便箋などなど。服屋、文房具屋、雑貨屋などなど。普段行かない場所にまで足を伸ばした。十八年ガスコンの街に住んでいて知らないところなんてないと思っていた。しかし、そんなことはなかった。いつの間にか無くなっていた店もあったし、いつの間にか出来た新しい店もあった。うまく安いものを見つけた日は余った金でジェラートを買ってた。公園のベンチに腰掛けてゆっくりとジェラートを味わった。しかし、荷物が鞄に詰まっていくに従って少しずつ楽しい気持ちは無くなっていった。その気持ちもまた人間の本性なのだろう。 出兵の日の前日のことだった。 必要なものもほとんど詰め込みが終わり、後は財布やら時計やら当日身につけていくものだけとなった。 昨日のうちに挨拶も済ませた。ジョドレ師匠と最後の手合わせも済んだ。リニエール先生は出兵することを言ったら即興でバラードを詠んでくれた。キュイジー爺さんは相変わらず矛盾をついてきた。ブリサイユ博士は戦場で死ぬ確率についての論文をくれた。 色んな人からの贈り物をもらうと自分がこの街で十八年も過ごしていたんだとはっきりと実感することができた。 俺は人間でよかった。木は自分の年輪を一生みることはできない。でも人間ならこういうふうに自分の生きてきた人生をいきているうちに振り返ることができる。 レオンは明日着ていくホリゾンブルーの軍服を試しに着てみることにした。新しい軍服はノリがよく効いていてぱりっとして新品の爽やかな匂いがした。 袖を通してボタンを閉める。ズボンをはいてベルトを通す。ブーツの紐をぎゅっと結んで、つま先で床をとんとんと蹴った。 詰襟の軍服をきっちり着てみると立派になった気がした。 レオンは鏡の前で敬礼をした。 鏡の中のレオンは若かった。若いということはそれだけで宝石のように光り輝く尊いものだ。そんな希望に満ち溢れた青年が着ている服は死装束になるかもしれない不吉な服だった。いくら真新しく清潔で立派な服だったとしても本性を隠すことはできない。戦いに赴くための服ということは死にに行くときの服ということでもあった。 鏡の中の自分を見て、レオンはもしかしたらもう戻ってこれないかもしれないと思ってしまった。すると急に怖くなってきた。今までは津波が起こる前の引き潮と同じだった。しかし、今まさに引いていた波がレオン目掛けて押し寄せてきていた。今まで冷静でいられたのは現実を受け入れられていないだけだった。レオンは鏡の中の自分を見てそのときが近づいていることを感じた。そして、この鞄だけが、この家のこの部屋に戻ってくることも想像できた。 レオンはいてもたってもいられなくなった。このままでは死ねない理由が彼にはあった。レオンは椅子に座ると机の中から便箋を取り出した。ペンとインク壺を用意すると真っ白い便箋に手紙を書き始めた。 手紙を一気に書き上げると封筒に入れて軍服のまま部屋を出た。台所にいた母リーズに外に出てくるとだけ言って家から飛び出すように出て行ったた。 レオンはどうしても思いを伝えないといけない相手がいた。その相手はロクサーヌという女の子だった。
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