フランケンシュタインの嘘

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さて、ロクサーヌと同じクラスになったはいいものの、レオンは遠くから見ているだけだった。レオンは取り巻きに属していなかった。レオンは取り巻きの中に自分も入って少しでもロクサーヌとお近づきになりたいと思っていた。しかし、レオンはこれと言ってアクションを起こさなかった。 『どうしよう』と思ってしまうのだ。目の前にロクサーヌがいると彼は何もできなかった。憧れの人が目の前にいて、話しかければきっと会話をすることもできる。でも、いざその局面になると何を話していいかわからなくなる。一つ歯車が狂いだすと、体が途端にギクシャクしだして指一本思い通りに動かせなくなってしまう。レオンはそういうどうしょうもない弱気に苛まれたり、悔しがったりしていのだ。 新しいクラスになった初日、ホームルームが終わるとレオンは背後から声をかけられた。 「こんにちわ」 振り返ると、そこにはロクサーヌが立っていた。レオンは学年で一番大きな体を動揺でがくっと揺らした。 「ロ、ロビノーさん、どうしたの?」 「初めて同じクラスになった人に挨拶してるの。よろしくね、レオン」 「そ、そうなんだ」 突然のことで目を見て話すことができない。レオンはロクサーヌから視線を外すと、教室の中で、魂が抜けたように棒立ちになっている男子を三人見つけた。おそらく、ロクサーヌに魂を抜かれた人たちなのだろう。 「そんなに緊張しなくていいのに」 「す、す、すまない」 「謝らないでよ。面白い人ね、レオンって」 「そ、そ、そ、そうかな」 「私、面白い人は好きよ」 「!?」 ただでさえ緊張しているのに『好き』の一言はまずい。致命傷だ。レオンは顔が熱くなっているのが自分でもわかった。 「ねぇ、私のこと名前で呼んでよ。そうすれば緊張もやわらぐわ、きっと」 ロクサーヌは両手をぽんと重ねて、名案が思いついたようにそう言った。しかし、レオンにとってはとても重大なことだった。憧れの人と同じクラスになれた幸運を喜んでいた矢先に、今まで遠くからしか見れなかったその人が目の前で自分だけに話しかけてくれている。そんなの幸運を通り越して事件事故の類だった。気が動転しないわけがない。 「いや、でもいきなりは失礼なんじゃ」 「ふふ、律儀な人なのね。でも、私がいいって言ってるんだから、いいの! 私はレオンに名前で呼んで欲しいな」 ロクサーヌはそういうと、レオンのことを覗き込むようにして上目遣いで見つめていた。 「!?!?」 あー、どうにかなっちまいそうだぁ。 情報が多過ぎた。目の前にいるロクサーヌを嫌が応でも見てしまう。遠くから見ていたときは絵画を見ているのと同じだった。ありふれた風景の中に彼女がいればそこは途端に美しい世界に生まれ変わる。しかし、今は目の前にいる。手を伸ばせば触れられる距離にいて、でも絶対に触れることはできない。丁寧に梳られたさらさらの髪も宝石みたいにきらきら輝く大きな瞳も上等な絹のように光を弾く白い肌もつぶさにみることができた。 レオンは太陽に近づきすぎた。いや、正確には向こうから来たのだ。銀河系の中心にいて動かないはずの太陽が宇宙の法則を無視して超スピードで一人の人間に近づいてきたのだ。 レオンにはなすすべはなかった。ゆっくりと落ちていたはずの穴の中へずどんと引きずり込まれていった。その速さは宇宙の法則を無視した超スピードと同じだった。 レオンはどろどろにとけた脳みその残りカスを総動員して口を動かし、喉を震わせ、言葉を発した。 「ロ、ロクサーヌさん」 「さんはいらないは、友達だもの」 ロクサーヌが何故か、一歩だけレオンに近づいた。何故だ。解せぬ。そんな考えが頭を周回軌道していた。レオンが口にできる単語は一つしかなかった。 「ロクサーヌ」 レオンがやっとの思いでロクサーヌの名前を口にすると、彼女は天使のように笑った。 「うん! これから卒業までよろしくね。レオン」 ロクサーヌは満足したのか、教室の入り口で彼女を待っていた女友達と一緒に教室を後にした。 レオンは四本目の柱となって教室の中にそそり立っていた。忘れ物を取りに来た担任の教師が教室にそそり立っている四本の柱を見てぎょっとしたのは言うまでもない。 しかし、幸せな時間はあまり長く続かなかった。出兵が決まったのは夏季休暇に入った直後だった。それまでの間にロクサーヌと喋ったのは片手で数えられるくらいしかなかった。それでもレオンは満足していた。美しい絵画を眺めるのは心地よかった。好きな人のそばにいてずっとその笑顔を見る。それはどれだけ幸せなことなのだろうと何度も思い描いた。
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