第9章 濃いコーヒー、薄いコーヒー

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どう考えても異性として意識している相手と二人きりで一つ屋根の下、どきどきの夜を過ごしたあとって様子はかけらもない。そういう意味では間違いなくわたしは女性として見られてはない。ええそうですとも。 ていうか変な意味でもなく。彼と二人きりで館で何日も過ごすのが茅乃さんでも澤野さんでも、多分常世田さんでも。柘彦さんはもう少し構えてしまいそうというか、あそこまで肩の力を抜いてナチュラルに振る舞えるのか怪しい気がする。付き合いは誰よりも短いけど、おそらくわたしには彼を緊張させる何かが決定的に欠けてるんだと思う。 相手を身構えさせない、ってなんかいいことみたいに聞こえるけど。…もしかしてわたしは彼にとって一人前の大人としての『他人』じゃなく。 家に上り込んで勝手に住み着いた犬とか猫とか。小動物、物言わぬペットみたいな存在に近いんじゃないかな…、と。 がっくりと肩を落とすわたしの脳内を見透かしたわけでもないだろうが、哉多はすかさず肩でもぽんと叩きかねない態度で(もちろん実際にはしない。運転中で手が空いてないから)親切にもわざわざわたしを慰めた。 「まあ、どっちかっていうといいことじゃん。ロリなら何でもよくて隙見て襲ってくるような男と同居してるってわかるよりはさ。向こうから空気みたいに思われてる方が断然リラックスできるだろ。俺もひと安心だよ、ほんとにどうかしたらいよいよクローゼットの中にでも潜んでお前をガードしなきゃなんないかと心配してたんだから。これであいつは数に勘定しなくていいってはっきりしたね。こっちも空気みたいに向こうをスルーしてやりゃいいんだよ」 「異性として見てないことと相手の存在を空気として扱うのは別にイコールじゃないでしょ。対象として意識しないのは相手を丸ごと無視するのとは全然違うと思うけど」 何であんたがそこまでしてわたしをガードする義理があるのか。ときどきこいつの言ってること今ひとつわからない。 「そもそも彼のことを一番よく知ってるのはいとこの茅乃さんや古くからあそこに勤めてる澤野さんたちの方でしょ。二人がわたしを彼とあの館に残して大丈夫って確信してるくらいだから。最初から危機なんて存在しなかったんだよ。哉多の方が余計に気を回しすぎなんだよ」 両肩に首が埋まりそうになるくらい助手席に深くもたれてぶすっとした顔つきでそう返してやると、哉多は気を悪くした風もなくむしろ嬉しそうにその台詞を受け流した。 「何だよ、心配されて不服なの?別にいいじゃんお前のこと守んなきゃって義務感に駆られる奴がいても。まあでも、確かに余計な気遣いだったな。そしたらロリコンに怯えることなく年末年始限定の家政婦のピンチヒッター、せいぜい頑張んなよ」 わたしはますます深く自分の襟元に首を埋めて憮然と言い返した。 「ちゃんとやってます。わたしの作るご飯、みんな美味しいって褒めてくれたよ。…コーヒーを淹れるのが上手いって。こんな美味しいの初めて飲んだ、って感心してくれたんだけど」 ちょっと釈然としない思いが残っててそれが曖昧な語尾に滲んだ。案の定奴はあっけらかんと遠慮なく断じた。 「あの、カフェのマシンで淹れた無難なよくあるコーヒー?いや不味くはないけど。俺が淹れても多分同じ味だよ。何なら俺、今夜押しかけてあいつのためにコーヒー用意してやろうか」 ちょっと本気でこいつ、やりかねない。わたしは慌てて上体を起こし、きっぱりと断った。 「いやあの方人見知りだから。哉多は絶対ペース合わないと思うし、まじやめて。多分あんたが行ったらあの人、また部屋に引っ込んで出てこなくなっちゃう。せっかくのびのび過ごしてるのに、邪魔したら気の毒じゃん」 山道を下りきって駅の近くまで来た。踏み切り前の信号で慎重にブレーキを踏み、窓を開けながらちょっと微妙な表情でちらと隣のわたしの方を伺う。 「…お前の前ではのびのび過ごしてんだ。部屋から出てきてんの、あいつ?」 「う。…ご飯のときは、だけど」 そうかな?頭の中を目まぐるしく探ってこの二日間のことを急いで思い返す。 元サンルームのカフェでお昼を食べて、そのあと夕食以降はキッチンのダイニングテーブルで。図書室で一緒に年越しをした。…そういう意味では。あの人の普段の生活パターンとは大きく違ってるのは確か、なのかな。 「多分。わたしはちゃんとした大人じゃないから。顔合わせてても他の人よりは多少気楽なんじゃないかな。ほら、小さい子の前でなら寛げるとか素でいられるとかあるじゃん。そういう状態に近いんじゃないの」 「ふん」 奴は何だか気を悪くしたみたいに、いきなりぐいと力を入れてアクセルを踏み急発進した。危ない。 「ちゃんと周り見てよ、哉多。気をつけて運転して」 「大丈夫だよ。それより、初詣さ。予定よりちょっと遠くまで足伸ばしてみるか。箱根とか行く?今から頑張って」 「絶対道混むよ。渋滞したら夕食の時間までに館に戻れなくなるんじゃない?」 歩いて行くにはきついくらいの距離にある、山を一つ越えたところのややマイナーだけどちょっと雰囲気のある神社に連れてってくれるって話だったはず。
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