第9章 濃いコーヒー、薄いコーヒー

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そういえば、それを目にしたとき本当にこれ二人前?一体何日食べ続けたら終わるんだろ、とうっすら目の前が暗くなったものだ。いや美味しかったけど、これまで食べたこともないくらい。 今朝は二人でそれを頂いたけど、お雑煮も作ったし柘彦さんはとにかく少食なのでまだ山ほど余ってる。昼も夜も同じもの出すのは気の毒、と思って昼ごはんは全然お正月っぽくない普通のパスタを作ってあげたけど。今夜あれをわたしが頑張って食べてもまだなくならないよなぁ…。 とどこかで引っかかっていた事実を思い出してしまい撥ねつける声が鈍った。それを敏感に察知してか、哉多が軽快に車を走らせながら弾んだ声を出す。 「大丈夫だいじょぶ、外から今日は夕飯要らないよって連絡することなんか余裕であるもん。それにどうせ朝も食べてきたお節料理の残りがそのまま出てくるってわかりきってるから。帰ってからちょっとだけ摘めばそれで義理も立つしさ。よぅし、決まり。今日はお屋敷でお前と一緒に豪華なディナーだな!」 「うちもどうせお節だよ…。哉多んちで朝出たのと大体同じだと。思うけど、多分」 あーあ。せっかくの柘彦さんとの二人きりの夕食の場が。 無駄かもと知りつつ一応奴の盛り上がりに水を差そうと一言突っ込むけど、案の定それくらいでへこたれる男じゃない。 「品目は同じでも澤野さんの手作りだろ?うちなんかスーパーで買い込んできたのを重箱に詰めただけだもん。絶対そっちのが美味しいよ。二人きりでお正月なんて、幸先いいな俺たち。大人がいないのもたまにはいいもんだね、うん」 もう二人きりなつもりになってるじゃん!お屋敷の当主はちゃんといるんだってば。留守じゃないよ。 だけど、哉多が来てるってわかったら絶対部屋から出てこないよなぁ。わたしはそれ以上奴の進撃を止めるのを諦めて再び力なく助手席の背もたれに深く背中を埋めた。 他のみんながお屋敷に戻ってくるまであと二日。そのうちの一回の食事は柘彦さんと過ごす数少ない貴重な時間だったのになぁ…。なかなか、上手くはいかないもんだ。 哉多がすっかり気をよくして何事か喋りまくってる車内で、久々に日を跨ぐまで起きていた大晦日の疲れがどっと出てきた気がしてわたしはそっと目を閉じ、ため息をついた。 やっぱりというか当然というべきか。柘彦さんはその晩の夕食では、キッチンに姿を現さなかった。 今、茅乃さんの従兄弟の哉多って子が夕食を食べに来てるんですけど…、と内線で声を落として遠慮気味に白状すると。僕の食事はあとで適当に済ますので、お構いなくあなたもその方とご一緒に召し上がってください。気になさる必要はないですよ、と穏やかに有無を言わせない口振りで言われて頷くより他なかった。 「眞珂んちのお雑煮って澄ましなんだな。やっぱ東京出身だからか。うちはさぁ、親父が西の出身だからさ。丸餅に味噌なんだよ。まあ地方によってはガチであん入り餅みたいで、それじゃなくてよかったとは心から思ったけど。大人になって」 「へぇ。お父さんの好みに合わせたんだね。そういうお家って結構あるのかな」 眞珂の作った雑煮が食いたい、とごねられて根負けして一人分を作る。美味しいよこれ、と褒められてちょっと気をよくしながらテーブルにお行儀悪く肘をつき、付き合いでお重の中身を軽く突つきながら話を合わせた。 「このお雑煮はでも、澤野さんから教えてもらったレシピだよ。多分能條家ゆかりの作り方じゃないかな。元は東京出身の家系だったはずだから…。うちはどうだったかな。醤油の澄ましだったとは思うけど」 母のお雑煮を食べた記憶はあるけど、こんなにいろいろ具は入ってなかった気がする。三つ葉に海老、彩りに銀杏。上品に切った紅白の蒲鉾と鶏肉と人参。撮影用か何かのお料理みたいだ。 全部何もかも美味いよ、と旺盛な食欲で大量のお節を片付けてくれたのは助かった。満腹になってすっかり上機嫌になった哉多を送り出し、ようやく柘彦さんの分の支度に取りかかったときには普段の夕食の時間を完全に過ぎていた。 あとで自分で済ませるからいい、って言ったとしても。現実にキッチンを哉多とわたしが占拠してるんだから彼はどう動きようもなかったはず。幸いまだ遅すぎるって時間ではないから、今からでも急いで用意すればお腹が空きすぎて部屋で気絶してるってまではいかなくて済みそう。 哉多に出す前に取り分けてきれいに盛り付けておいたお節をお盆に載せてしばし考え込む。朝と変化がなさすぎるし、これじゃ足りないかな。どのみちいきなり個室のドアを叩くわけにもいかないし、と思い定めて結局再び内線の受話器を持ち上げた。 『…はい』 ほんの少しのさざ波も感じられない静かな声。不機嫌ってことはないよね、この人に限って。と自分を落ち着かせてから努めて平静な声で切り出した。 「あの。今からそちらにお夕食お持ちします。トレイに載せて行こうと思うんですが…。迷惑ですか、わたしが、その。…お部屋の前まで行ったりしたら」 『迷惑?』 戸惑うような、僅かに笑みの混じったような柔らかな声。大丈夫、怒ってはいないみたい。 昨日からずっと同じ。温厚で優しいけどその感情を表に上手く出せないでいる、いつもの柘彦さんだ。
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