第9章 濃いコーヒー、薄いコーヒー

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まあ、気持ちはわかる。気を回し過ぎてぐちゃぐちゃ言い募るだけの台詞を最後まで聞いてるだけ時間の無駄なのは確かだ。 気を取り直して自分の両頬を軽く手のひらではたいて気合を入れる。これから柘彦さんがわざわざここまで降りてきてくれるんだ。絶対に美味しいものを作らなきゃ。 …まあ、パンケーキはともかく。ローストビーフは澤野さん謹製だし、バゲットは買い置きなのでこのサンドイッチをわたしの味と言い張るのはそもそも詐欺的所業と言って過言ではないが…。 店の棚に置いてあった店員用のカフェエプロン、つまりわたしと哉多と澤野さんの分を洗濯してきっちり畳んであったのを引っ張り出してくる。サイズ的に哉多のやつのを柘彦さん用に借りるか…、まあそれしかない。だけど彼に貸したってあとで知ったら哉多はわあわあ文句言いそうだな。あくまでカフェの備品であって私物ではないんだけどね。 などと考え込んでるうちにサンルームの入り口から爽やかな風が吹き込むようにして彼が姿を現した。 冬の低い場所からの陽の光を浴びて薄青く感じられる白い髪がきれい。すっとした立ち姿を初めての場所で見られることで自然と目が喜ぶ。 いつまでもうっとり見つめていたら阿呆丸出しなので、わたしはカウンターからあたふたと出て行って彼を迎え入れた。 「すみません、かえってご面倒かけて。お時間大丈夫なんですか」 「問題ないです。特に用事も何もありませんし。…ああ、こんな風になってたんだ。懐かしいですね、ここは」 ゆっくりと室内の中心へと足を進め、微かな感慨を込めてぐるりと天井に顔を向けて全体を見回す。 「だいぶ綺麗に直したんですね。僕が子どもの頃、既にここはかなり古びて傷んでいました。おそらく創建以来一度も改修されていなかったんでしょうね」 「柱とか天井も足場を組んで掃除して塗り直していました。それでか、前より明るくなったみたいです。柘彦さんは、小さかった頃にここで遊んだりもしてたんですか?」 カフェエプロンを手渡しながら下から彼を見上げる。柘彦さんは穏やかと無感情の中間くらい、といった目でわたしをまっすぐ見下ろした。 「…当時は打ち捨てられて何にも使われていない場所でしたから。ここでぼんやり過ごしたりもしていましたね。何となく庭を眺めたり、本を読んで時間を潰したり」 きょうだいがいないと一人で潰す時間が多くなるよね。その感じはわたしにもよくわかる。 「本はやっぱり小さい頃からずっとお好きなんですね」 「あなたも、ですよね?」 まさかのそのまま問い返されて肩をすぼめる。踵を返してカウンターの中に入り、彼を招き入れようと手振りで示しつつ受け応えた。 「勉強できないくせにまさか、と思われそうだけど。本を読むのだけは好きです。ていうか、それが子どもの頃からの習慣で…。自分一人でできてお金のかからない唯一の娯楽なので。どこでも図書館は誰にでも無料で開かれてますから。地域でも学校でも」 これは本当。高校に入ってバイトするようになるまでスマホ持つお金もなかったから。図書室に通い詰めて片っ端から本を借りるくらいしかなかった。まあただ愉しみのために読み漁ってただけで特に何も身についてもいないってのは、ちょっと情けないというか。もの悲しい話ではあるけど。 自嘲気味にそんなことを呟くと、彼はカウンターの内側でカフェエプロンを身につけながら僅かに首を傾げた。 「あなたが読書をする人だってことは何となく話しているとわかります。言葉の使い方とか、言い回しですね。耳からだけ言語を取り入れる習慣のある人は少し独特ですから。逆にあなたは普段から書き言葉に慣れていて、それを自然に取り入れてるのが伝わってきますよ」 「ははぁ…、そんな観点があるのかぁ」 思わず唸る。でも、それはそうかも。 一人でいることが多いから脳内で自問自答してる時間が長い。そこで使ってる言葉は確かに、本から取り入れた文章や言い回しに影響を受けてるかも。 それでかな、柘彦さんて多分世間的には独特な話し方をする人なんだと思うけど。 こうしてたまに会話をするときもすっと馴染めるというか。個人的には意外に違和感がない。それは彼も書き言葉から語彙を構成する習慣のある人だからなのかもしれない。 我ながら自分はどうも今どきっぽくない喋り方だなって自覚はなくもなかったが。初めてそれがよかった、と心から思う。同年代の子たちよりおそらく十歳近く歳上の、超上流階級の大人の男の人の方にむしろ近しさを感じることになるとは。活字の力ってすごいなぁ。 手を洗って、本格的に調理に取りかかる。とりあえず彼にローストビーフサンドの下拵えをお願いして、わたしの方はパンケーキを担当することになった。 バゲットのスライスを頼んでその間に駆け足でキッチンから食材を取って来よう、と踵を返しかけると後ろから彼に呼び止められた。 「一人で全部一度に運べないでしょう。僕も行きます」 「すみません」 言われて見ればそうか。わたしは思わず肩を縮めた。
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