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傘をささない男
2年前の冬、カイトは隣町の塾に行くために、雨の中傘をさして歩いていた。
夕方とはいえ、冬になると陽もほとんど沈んでしまっている。店や家も近くに無い、街灯がぽつぽつとあるだけの薄暗い道を震えながら歩き、バス停を目指す。
バス停と言っても、時刻表が置いてあるだけのお粗末なバス停で、屋根もベンチもない。
「せめて雨よけくらい置いといてほしいよな……」
恨めしそうに空を睨みながらつぶやく。
バス停に着くと、先客がいた。紺色のカンカン帽に、紺色のマフラー、紺色のコートを着込んだ、背の高い男だ。マフラーで顔の半分が隠れているため、さだかではないが、30代に見えた。
男は傘もささずに真冬の雨に濡れ、じーっと前を向いていた。
(傘、忘れたのか? こんな寒い日に、可哀想に……)
男を不憫に思ったカイトは、傘を持つ手を上に伸ばし、男を傘の中に入れた。それでも男は微動だにせず、相変わらず一点を見つめている。
(何も言わないなんて、失礼な奴だな……)
「あの、寒くないんですか?」
カイトが声をかけると、男は錆びたブリキ人形のようなぎこちない動きで、首だけをカイトに向けた。
男の顔を見た瞬間、カイトは悲鳴を上げそうになるのを必死で押さえる。男の青みがかった瞳は異様に大きく、白目がほとんどない。ビー玉のような目で見つめられ、カイトは困惑しながらも口を開く。
「あの、どうして傘をさしてないんですか?」
「傘をさすなんて、バカのすることだ」
小馬鹿にするように言われ、カイトはこんなヤツに傘をさしてやるんじゃなかったと後悔した。だが、今更引っ込めるわけにもいかず、背の高い男に合わせて腕を上げ続けている。
「でも、濡れて風邪をひいてしまいますよ?」
「それがなんだというんだ」
身長差で見下されているだけなのだが、馬鹿にするような言い方をされているせいか、見下されているように思えてきた。なんとか言い返す言葉はないかと必死に思考を巡らせていると、男は再び口を開く。
「傘をさしていたら、両手が塞がってしまうだろう」
相変わらず人を馬鹿にしたような口調だが、子供に言い聞かせるような優しさも滲んでいた。それでも腹立たしいものは腹立たしい。
何より得体の知れない恐怖があった。
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