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秘すれば花1
「う……んっ……」
スポーツ整形外科の入院病棟の個室から、押し殺した声が途切れ途切れに聞こえる。右ひじの手術を一週間前に終えた、プロ野球選手の島崎塁の部屋だ。傷の痛みに耐えているのではない。花屋の店員である桜井薫が塁から愛撫を受け、声が外に漏れないように耐えているのだ。
「薫は胸が感じるの?」
ベッドの脇に立つ薫の薄い胸を、横になった島崎が大きくて硬い左手で鷲掴みにして揉みしだく。
「そんなの、わからな……。ああっ」
上半身を起こした塁が小さな胸の尖りを吸い、薫は声を上げる。胸を突き出すように反応したことで、薫が感じているのはわかった。
「ここ、気持ち良いんだ?」
舌先で乳首を舐めながら薫に聞いてくる。
「……島﨑さん、意地悪ですっ」
顔を赤くして涙目になった薫が訴える。
二人はかつて高校の先輩と後輩だった。だが野球部の人気者の塁と内気な園芸部の薫が当時交わした言葉はほんのわずか。それでも薫が彼の人柄に触れて恋をするのには充分だった。
再会したのは薫が仕事で訪れたホテルに塁が泊まりに来ていた日のこと。
ひじに違和感を感じながらチームや家族のために長い間投手を続けていた。手術を受けることになり、その不安と野球好きの祖父の死でやけに……。かつて塁の言葉で薫が花屋になったように、今度は塁が勇気をもらった。
一時間ほどの手術の後、塁が全身麻酔から目が覚めて最初に考えたのは、この先思うように投げられるかどうか。そして次に浮かんだのは、自分に全てを捧げて元気づけようとしてくれた健気な後輩のことだった。
(抱いても良いって言ってくれたのにな……)
そもそも女性としかつき合って来なかったのに、男性同士のセックスのやり方などわからない。彼を傷つけるだろうと、抱かなかったのは自分だ。
抱いておけば良かったと後悔したのもつかの間、すぐに術後の痛みでそれどころではなくなった。焼けつくように疼く腕に痛み止めも効かない。こんな思いをしてまで自分が野球を続ける意味があるのかさえ、もうわからない。
眠れない日が続き、三日目にやっと痛みが少し引いてきた。
目の前にいる薫が何か言っている。ぼんやりと自分が夢を見ているのだとわかったが、手を伸ばそうとしても腕が動かない。手術をしたことは思い出したが、右腕だけではなく左腕も両足も動かせない。呼び止めたくて、去って行く彼の名を初めて呼んだ。
「薫!」
名前を呼ぶと振り返った彼はそのままじっとしている。
「島崎さん、僕のこと何か知ってる?」
「えっ?」
言われてみれば何も知らない。同じ高校出身の二つ年下。桜井薫という名前と、花が好きで花屋で働いていることくらい……。何か言おうとして、また痛みで目が覚めた。動かせる左手でスマホをつかみ音声入力でメールを送った。
『手術無事に終わった。薫に会いたい』
そして今目の前にその人がいる。恥ずかしさに耐えて、また自分の無茶な要求に答えようとしてくれている。
「意地悪なんかじゃない、お前のこと知りたいんだ。……薫のこと知らないから、もっと知りたい!好きな食べ物や、タレントや。……よく見るテレビも読む雑誌も」
考えてみるとかつての彼女達にそんなに興味を持ったことはない。言われるままつき合いを始めて、いつも「自分より野球が大事なのよね」と去って行かれる。思いやりのないつき合い方をしてきた自分が悪い。
だがまだ始まったばかりのこの恋は失いたくない。こんなことは初めてで、もしかしたらこれが初恋なのかもしれない。
「薫がどこが気持ちいいのか、俺にされてイヤなことも言って欲しいんだ」
「島崎さん……」
その思いが伝わったのか、薫は頷いた。
「はい」
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