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秘すれば花10
ビジネスホテルの入り口の自動ドアが開き、島崎塁が入ってきた。ここへ来るのは祖父の葬儀の日に、高校の後輩の桜井薫と再会して以来だ。
その薫と半月以上連絡が取れない。忙しいとは言っていたがスマホを見るくらい出来るだろう。いつまで待っても既読はつかないし、電話にも出ない。自分に悪いところがあるなら直したい。別れたいと言うならせめて直接理由を聞こうと会いに来た。
店に電話をかけると店長と仕事で出ていると言う。週一でホテルに花を生けると聞いているがそこではと問うと、電話口の陽気な年配らしき女性はすぐにそうだと教えてくれた。
「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」
フロントの石田がにこやかに応対する。
「いえ、フラワー沢木さんの桜井薫くんに会いたいんですが、こちらに……」
石田は笑顔から一変、凄むような冷たい表情になった。
「仕事先にまで押し掛けるって、どういう了見?島崎選手」
「え?」
「あんた、自分が落ち込んでる時に、昔の後輩に会ったからつき合おうって言い出したんだろ。どうせ遊びなんだよな、体が元に戻ったらまた美人の彼女作ってあいつのこと捨てるくせに」
いきなり自分達がつき合っていることを言われて驚いた。
「それは違う、俺は真剣に。いや、なぜあなたにそんなこと言われないといけないんです!」
島崎は気色ばむ。
「ああ?それは俺が、あんたよりあの子のことを知ってるからさ」
「あ……」
「高一で沢木さんについて七年。小さな体で花が好きって情熱だけで一生懸命教わって。ハサミやトゲで手を傷だらけにして覚えていった」
まさに塁の知らない時間の彼を知る人が目の前にいる。
「それは……、そうかもしれないけど。俺だって彼を知りたいと思っているし……」
言葉を遮り石田が島崎を見上げる。
「でも意外だったよ、まだ抱いてないなんて。もっと手が早いと思ってた。やっぱり男は無理か?」
「彼を大事にしたいだけだ。……え、何でそれを……まさか!」
いやな想像が頭をよぎり、石田の胸ぐらを片手で掴む。
「やめときなよ。せっかく桜井くんが体張ってスキャンダルになるとこ、止めたのに」
「…………っ!」
「資料の本やハサミ買ったり、あちこち行って勉強するからお金たまらないってさ。そうなったら口止め料を何で払ってもらうって話だよね。あんたのためならあの子何でもするぜ、健気だよなー」
「よくも……っ!」
握っていた服の襟元に力をいれる。
「じゃあ聞くけど覚悟はあるのかよ?男同士の恋愛が世間にバレて、あの子の仕事を奪うかもしれない。その責任とれんのか?」
石田は絞められているのに、ドスの効いた声で返し睨みつける。
「まだつき合いは短いかもしれない、けど大事なことは知ってるつもりだ。薫が花と俺を好きだってこと。望むならオープンにしてもいい、したくないなら彼も、彼の夢も全力で守る!たとえ何があっても俺の気持ちは変わらない」
そう言いきって、突き飛ばすようにして手をはなした。石田はよろめきもせず、緩んだネクタイを絞め直す。
「あんたの決心聞かせてもらった。俺は何も言わない。……桜井くん、終わるころだ。多分七階にいる」
そう言って来た時と同じように微笑みを作る。
「あなたは、薫を……」
「あんな鈍いガキンチョ、本気で相手にするわけねーだろ。早く行けよ、先生が来る」
島崎は急いでエレベーターに向かった。
一人残ってカウンターの花に目をやる。さっき薫が石田にと持って来たものだ。
自らの意思で島崎に会おうとしない薫に、つい自分の恋の話をしてしまった。
十年近く片思いをした相手を諦めて、今度は五年も好きだった人に恋人が出来たと言ったら車にとりに行ってくれた。
『すずらんです。花言葉は「幸福が帰る」早く新しい恋が見つかるといいですね』
「ほんと、鈍いよな」
自分の恋はいつも片思いで終わってしまう。そして近くにいてその人の恋の行方を見守ることになるのだ。島崎のことだけを考える薫にまだ心が揺れる。
「言わぬが花。いや、秘すれば花なり……かな」
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