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メリーは、眼前に続く道を見上げた。舗装のされていない山道はメリーを拒むかのように草木が生い茂り、時折野生獣の声も響いている。
(これで何もなかったら最悪だな)
メリーの目的地──それは、何年、いや、十何年も前に滅びたアルダ王国。何故かは分からないが、ここ最近、メリーの心はこの地に強く惹かれていた。どうせ行くあてがあるわけでもないし──と、メリーは行き先をアルダ王国に設定したのだ。しかし、アルダ王国にはとある不吉な噂が流れていた。それは、幽霊が住み着いていて、何かを探し歩いているというもの。そんな話は眉唾だ──と、メリーは自身に言い聞かせ、標高の高いところに位置するアルダ王国跡地へと歩みを進める。
休むことなく歩き続けたメリーの体力はほぼ限界に近かった。しかし、何が出るのかもわからない森の中心で休むわけにはいかなかった。現に、低く唸る声が何処かから響いている。メリーは、三人、四人──いや、せめて二人で旅をしていたなら休息も取ることが出来るのだろうと意味のないことを考えていた。
息を切らし歩くこと数時間。メリーが目的地であるアルダ王国跡地にようやく着いた頃には、辺りは真っ暗闇に覆われていた。跡地──文明も何もかも崩れ去った廃墟のような街には、安息地など存在しない。メリーは、疲れた身体に鞭を打ちひとまずかつて王国だった場所を散策することにした。その結果、休むところが運良く見つかれば万々歳だろう。
メリーがランタンを片手に街を散策していると、不意に激しい頭痛と目眩に襲われた。その場に立っていられないほどに痛む頭を押さえしゃがみこむ。
こういう時に、誰かいれば──と、意味のないことを考え、かつての戦友であった男のことを思い出していた。
*
(これは……夢なのだろうか)
メリーが見渡すとそこには、かつての姿のまま広がるアルダ王国の城の中だった。
夢心地のまま、城内を歩くメリーは不思議と疲れを感じず、あぁ、やはり夢の中なのだと、改めて実感する。
人ひとりいない、不気味なほどに静かな城の中を歩く。メリーは、ひときわ豪華な扉の前に辿り着くと、大きく息を吐き、その扉を開けた。
廊下から続く赤い絨毯の先に、豪華絢爛な椅子がふたつ並んでいる。メリーがいま立っている場所、そこは、城の中心とも呼べる玉座の間。
「お姉さん、だぁれ?」
「え?」
突然の声掛けに、メリーが振り向くとそこには小さな──五歳くらいの女の子が立っていた。
「私はメリーだ。君は?」
「ウェルダ!」
元気よくそう答えた少女のことを、メリーはまじまじと観察する。金糸のようなさらさらとした髪の毛に、色素の薄いまつ毛に縁取られたぱっちりとしたサファイアのような瞳。レースや宝石をふんだんにあしらわれたドレスと相まって、その姿はまるで人形のよう。メリーは、自身の記憶の中から、何かが溢れるような気がした。
(私は、彼女のことを知っている──?)
「ねえ、おねーさん。怒らないできいてくれる?」
可愛らしい顔を曇らせたウェルダ。メリーは、威圧感を与えないように目の高さを合わせると、努めて優しい声色で問いかけた。
「ん? なんだ?」
「ウェルダね、お姉ちゃんの服を借りて遊んでたんだけど……指輪を、なくしちゃったの」
「それで?」
「いっしょに、探してくれないかな?」
「あぁ、わかった」
メリーは、もしかしたら彼女が自分をここに呼んだのかもしれない──そう思った。指輪探しを手伝ってあげようと立ち上がった瞬間、再び頭痛と目眩に襲われた。バランスを崩したメリーのことを、ウェルダは支えようと手を伸ばす。しかしそらは、体格差により叶わなかった。再びしゃがみこんだメリーの背中に触れる、小さな手。
「あ、ねえ! たいへんなの!」
ウェルダの声が、メリーの脳内で響く。誰と話しているのだろう──気になったメリーは、ウェルダの視点の先を見つめる。こちらに駆け寄ってくる人物は、どうやら青年のようだった。栗色の癖っ毛に、優しい瞳。しっかりとした体格をしているのに、威圧感がないのはその雰囲気のおかげだろうか。
「どうしましたか、ウェルダ様」
あと少しで意識が飛びそうなメリーの耳に届いた、中性的な声。懐かしいような、ひどく安心するような、そんな彼の声は、何故かメリーの心を締め付ける。
メリーは、ある男の名前を小さく呟いた。
「ローウェ……」
*
「うぅ……」
メリーが目を覚ますと、そこは骨格だけを残した建物の中だった。標高の高いこの国は、夜になると冷たい風が吹く。身震いをひとつしてから起きあがったメリーの目に飛び込んできたのは、夢の中で話した──ウェルダだった。
「ウェルダ?」
「あ、おねーさん! 起きた?」
「あ、あぁ……君が助けてくれたのか?」
「うんっ。こんなところに誰も来たりしないのに、人がいるなんて珍しいなって」
「助かったよ。ありがとう」
メリーは立ちあがり、服についた砂ぼこりを払う。
そして、とあることに気が付いた。
「ウェルダ……」
「なぁに?」
にっこりと、花の咲くような笑顔を見せたウェルダ。思わず後ずさってしまったメリーは、咳払いをして口を開く。
「そ、それ……」
メリーが指差す先。ウェルダの身体の表面は半透明になっていた。
「……おねーさん、噂聞いてきたんじゃなかったの?」
メリーは首を振る。確かに、アルダ王国跡地には幽霊が出る──とは聞いたことがあるが、それが理由で来たわけではなかったからだ。
「そっかぁ。じゃあさ、ウェルダのお願い、聞いてくれる?」
「……指輪、か?」
夢の内容を思い出しながらメリーが問うと、ウェルダは少し驚いたようにリアクションをしてから言った。
「うん。そうなの。お姉ちゃんの大切なゆびわ……探してくれる?」
「……わかった」
メリーは改めて辺りを見渡す。おそらく、指輪は城のどこかにあるだろう──そう思い、かつて城のあったところへ歩いていく。その間、ウェルダはメリーのことを質問攻めにしていた。
「おねーさん、一人?」
「そうだ」
「寂しくない?」
「寂しく……はないな。私なんかいてもいなくても一緒だからな」
「仲のいい人はいないの?」
ウェルダのその質問に、それまで順調に答えていたメリーは口を噤む。
「いた……が、今はもうどこでどうしているかわからないな」
「どうして?」
ウェルダの底なき探究心は、止まることを知らない。質問攻めに疲れはじめたメリーは、ゆっくりと口を開き、順に説明していくことにした。
「昔……私は王国に兵士として使えていた。男ばかりだったが、仲の良いやつもいて……その中で最も仲が良かったのは、ローウェという男だった。知見も広く、決して驕り高ぶらない奴で──……彼とは所属が違ったが、バカを言い合う仲だったんだ」
「どこで働いていたの?」
「どこで……だったか。思い出せないんだ」
働いていた期間は、一年二年だとか、そういう短い期間ではなかったはず。それなのに、記憶からすっぽりと抜け落ちている──メリーはそれを、ずっと不思議に思っていた。
「ところで、ローウェという名前、ウェルダのお世話係にそっくりだわ!」
「そうなのか……? まあ、同じ名前の奴くらいいるだろう」
「おねーさん、続きは?」
「あ、あぁ」
メリーは、咳払いをしてから話を続ける。
「とある日、大きな戦が起こって、私たちは総力をあげて戦った。しかし──……」
メリーは、過去のことを思い出しながら下唇を噛む。
「結果は惨敗。市民も捕らわれ、私たち兵士は……手も足も出ないままに壊滅させられた。もちろん、王も、敵の手中に……」
「ローウェもその時に……?」
「あぁ、おそらくな」
「じゃあ、おねーさんは、その人を探すために旅をしているんだね」
「……」
ウェルダが何気なく放った一言に、メリーは、その通りかもしれない──そう思った。
「大丈夫だよ。そろそろ会えるから」
「──え?」
「あ、おねーさん、ついたよ!」
意味深な言葉だけを残し、市街よりも損傷の激しい城へ駆け出していくウェルダ。メリーはその後を追い、辛うじて形の残っていた城の表玄関へと辿り着く。
「……中には、入れなさそうだな」
「じゃあ、見つからないの……?」
瞳を潤ませるウェルダ。メリーは、幽霊に対して質感を感じることに首を傾げながら、質問をする。
「手がかりはないのか? いつも遊んでいたところとか」
「んー……。あっ!」
メリーの質問に何かを思い付いたのか、ウェルダは声をあげ、城の裏手側へと走っていく。
「ちょっと!」
足元に落ちた瓦礫に足を取られながら追いかけるメリー。
辿り着いたのは、小さな、小さな庭園だった。枯れ果てた木々に、荒れ果てた花壇。椅子やモニュメントも投げ飛ばされたように錯乱し、かつての姿は想像もできないほどだった。
「ここでね、遊んでたの。ずっと」
「ずっと?」
「うん。ウェルダね、いらない子なんだって。お姉ちゃんがいるから、ウェルダはいらないんだって」
「──っ」
意味を理解しているのか、いないのか。軽い調子で告げるウェルダの言葉に、メリーは心を締め付けられるような感情を抱いた。
「でもね、お姉ちゃんのはウェルダに優しくしてくれたの。でも、ウェルダね、お姉ちゃんの指輪をなくしちゃったの」
「それなら、手分けをして探そう」
「おねーさん、ありがとう!」
二人は、二手に分かれると各々捜索を開始した。しかし、長年放置されてきた庭の草は伸びきっているし、光源はぼんやりと光るランタンしかない。捜索は難航を極めていた。
「そっちは見つかったか?」
半ば諦め気味のメリーは、ウェルダの側に立つとそう問いかけた。
「ううん。やっぱり、もうないのかなあ……」
ウェルダは可愛らしくため息を吐いて、いつの間にか辺りを照らしていた朝日に目を細めた。
「朝だね、おねーさん」
「そうだな」
メリーも朝日に目を細め、泥だらけになってしまった両手を見下ろす。向こう側に見えるウェルダも全身泥まみれで──朝日に照らされたことで、夜よりもより鮮明に薄らと透けているように見えた。
「あ!」
ウェルダが小走りで転がったテーブルの方へと走る。メリーもその後に続く。
「頼むから、急に走り出さないでくれ……」
「あった!」
ウェルダが摘み上げたのは、シルバーのリングに青い宝石が施された、シンプルな指輪。
「良かったな」
「うん!」
メリーは、これでウェルダも成仏するのだろうか、と少しの寂しさを覚える。一晩限りの付き合いだったが、久しぶりに楽しかった。
不意に、風ではない物音が響き、メリーたちの前に何者かの気配が現れた。メリーは、ウェルダを庇うように前に踏み出し、腰に掛けていたレイピアを引き抜く。
「誰だ!」
「やあ、流石の剣筋をしているね──メリー」
「……っ、お前は……!」
メリーは、右手で構えていた剣を落とし、目の前に現れた人物のことをただ見つめていた。
「ローウェ……?」
「メリー、メリー。もう俺を探すために頑張らなくていい」
「何を言って……」
「忘れたのかい? いいや、思い出さないようにしているんだね。君は──アルダ王国侵攻の時に……既に死んでいるんだよ」
「私は……私は……もうすでに……」
「そう。でも君は、俺のことを探すためにいつまでも彷徨っていたんだね。でも、もう大丈夫だから。先にこの子──ウェルダ様と一緒に向かっていてくれ」
「……っ」
話が終わると同時に光り出す、メリーの身体。メリーとウェルダ──二人を見送って、ローウェは呟いた。
「メリーと、ウェルダ様と、三人で……」
*
「残念ですが、ご臨終です」
白衣を着た初老の医師が告げる。
この日、真っ白のベッドの上に寝かされた男が一人、この世を去った。
彼は、アルダ王国出身の、最後の人物だった。
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