8人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
「やぁ!沙梨、久しぶり」
王子様が迎えに来たのかと思った。
少しずつ生暖かい風が吹き始めてきた真夜中。
コン!コン!と窓ガラスを叩くのは……
元カレだった。訳が分からず、頭を一回整理してみる。
えっと、彼とは5年程前に別れて。
それから全く会っていなくて。
あの時、私は30歳で彼が20歳で。
私は別れたくなくて、一方的に別れを告げられて……ずっと忘れられなかった。
「何で?今更?!」
私はガラリと窓を開けて、懐かしい顔に向かってそう言い放つ。彼の笑顔は、相変わらず仔犬みたいで愛らしい。以前みたいに撫で撫でしたくなるのをぐっと堪えて、その顔を睨みつけた。
「とりあえず、中に入れてよ」
仕方なく部屋へ入れると、私は彼をまじまじと見渡してみた。本当にあの優なのだろうか? 5年も経っているのに、外見はあの時と変わらずに若い。あの時の、記憶の中の優だ。会いたかったけど、嬉しくはない。
だって、私は2週間後に結婚式を控えているのだから。
「何で今更? 用がないなら帰って!」
「沙梨に会いに来たんだよ」
「何で? 優から別れよって言ったの……」
私の言葉を遮る様に、いきなりガバッと抱き締められる。懐かしい匂いと、落ち着く体温に眩暈がした。私が大好きなぬくもり。
優しく包み込まれるような、癒しのバリアに包まれた感触と空気感。
結婚相手の剛(ごう)とは違うぬくもり。
「私、結婚するんだ」
両手を突っ張って、優の胸から無理矢理に抜け出した。
「え? そうなの? いつ?」
可愛い目が一回り丸く大きくなる。
「2週間後に」
「じゃあ、まだチャンスあるよね?」
「は?」
至近距離に近付けてくる顔。近くで見るとやっぱり仔犬みたいに可愛くて、仕舞い込んでいた感情が湧き出してきそうだ。
そのまま壁に追いやられ……壁ドン。
「まだ、好きなんだ。沙梨の事」
優はいつもこうだ。自分の気持ちをストレートに表現する。剛とは違うタイプ。剛は自分の気持ちを言えない不器用タイプだけど、その愛情を行動で表現してくれる。そして、男臭くて俺に着いてこいタイプ。
目の前のコイツは、甘え上手で可愛く尻尾を振る仔犬みたいな男だ。潤んだ瞳で悩殺してくる。ドクンドクンと鼓動が激しく音を鳴らす。
今、まさに、心を持っていかれそうになっている。
いや、何をしている?
私は剛と結婚をするのだ。
「優、どいて。私は剛と結婚するの」
「2週間で振り向かす。毎日会いに来るから」
「はぁ?」
壁に付いていた手を背中に回され、もう一度ギュッとされると、優はまた窓辺に寄って手を振った。
そして、仔犬みたいに窓から消えていった。
熱くなった両の頬を手のひらで包んだ。久しぶりに見た優は、やっぱり優で、一瞬で私の心を掻き乱していったのだ。
「もう、何なのよ……」
これから私は死ぬほど悩む事となる。
私は2週間後、どちらを愛しているのだろうか?
最初のコメントを投稿しよう!