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今日は記念日?
「今日、なんの日か覚えてる?」
スマホに映った妻からのメッセージを見て、山下は眉を寄せた。
「山下さん、どうかしたんですか?」
突然怪訝な顔をした山下に、彼の部下が恐る恐る問いかけた。先ほど提出した資料が間違っているのかと、不安に思っているようだ。
「いや、ちょっと難問が。この資料はこれで良いので進めてくれ」
さっと承認のサインをして手元の書類を手渡すと、眉を寄せたまま目を閉じ、首を捻って黙り込んでしまった。
「山下さん、また難しい仕事増えちゃったのかね?」
書類を受け取った彼は、席につきながらつぶやく。数週間つづいた案件が昨日収束を迎え、彼らのチームは今日はまったりとした雰囲気だった。山下は部下の何人かには休むように伝え、自分と比較的元気が残っている部下とで最後の事務処理のまとめをしているところだった。
「仕事できるしいい上司なんだけど、最近ハードワークすぎてちょっと心配だなー」
「なんだよお前、偉そうに」
「俺は自称右腕だから、山下さんの」
フフンと鼻を鳴らすと、いまだ考えている上司をまじまじと観察する。
「あれは奥様だろうな」
「えっ、山下さんって結婚してたの?」
「意外に愛妻家だよ」
そう言うと彼は手元の資料をまとめ、山下に手渡した。
「山下さん、これで最後です。さっきから難しい顔してますが、奥様ですか?」
「ああ、早いな、ありがとう。
•••よく分かったな。妻が今日は記念日だと言うんだが、全く覚えがないんだ」
渡された資料に目を通しながら、何箇所かにチェックをいれ、承認のサインをする。
「よし、問題なしだ。少し早いが、もう帰っていいぞ」
「ありがとうございます。山下さんは帰らないんですか?」
「次の仕事の準備をしようと思っていたんだが」
山下はスマホに目をやる。
「女性は記念日大事にしますからね」
「妻はあまりそういうことは気にしないタイプなんだ」
「なら、今日はよほど特別な日なのでは?」
自称右腕の指摘に、山下はますます難しい顔をした。
「いいケーキ屋さんあるので、教えますよ。僕はそのケーキで何回も彼女の機嫌を取りましたから」
結局、部下たちの勧めもあり、山下はケーキを買って早めに帰ることになった。
部下に勧められたケーキはフルーツがたくさん乗っていて、見た目にも楽しいものだった。妻はケーキを見て少し大袈裟に喜ぶと、私もご馳走を作ったのよ、と、山下の好きなものが並んだ食卓を自慢げに見せてきた。
食事を摂ると連日の疲れが出たのか、うとうとしてしまった。妻はそれを咎めることもなく、風呂勧め、早めに寝るように促してくれた。よほどケーキが気に入ったのか、夫のマッサージをしながら、いい記念日になったね、と微笑んだ。部下に感謝しなくては、彼も今日は休めているだろうか。山下は微睡みながら、そういえば結局なんの記念日だったのだろうと思ったが、機嫌の良い妻を不快にすることもないかと、そのまま眠りについたのだった。
山下を追い出した後、部下たちもデスクを片付けながら、久々の早い帰りをどう過ごそうかと話していた。
「山下さん、仕事しそうな雰囲気だったけどあっさり帰ったな。気兼ねなく休めるから助かるけど」
「そういえば、あの人前も記念日忘れてたな」
「マジ?プライベートは結構抜けてんだな。働きすぎなんじゃねーの?」
「言えてる」
自称右腕の男は、笑いながらふと前回のことを思い出していた。そう言えば、山下が記念日を忘れたと言っていたのは、前回もちょうど今日みたいに仕事がひと段落ついたときだった。その日もスマホの画面を見て、難しい顔をしていたので事情を聞いた自分が帰ることを勧めたのだ。あの時は仕事をするべきか今日よりも悩んで、帰るのも渋っていたっけ。
せっかくだから飲みに行こうと言う同僚の提案に了解の返事をして、まだ明るい外へと歩いて行った。
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