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安堵
彼は入院することになった。
検査結果は、もう手の施しようがないとのことだった。
告知を受けた彼は一人になると泣いていた。
こんな状況でも私の前では笑顔だった。
彼が深く落ち込んでいるにも関わらず、実は私の心はどうしようもなく軽やかだった。
彼がもう長くないと聞いたその瞬間、これまで積み重なっていた不安が取り払われたのだった。
何て不謹慎なんだと自分自身をたしなめようと試みたが、それをあざ笑うかのような晴れやかさに満ちていた。
彼がいなくなることは私にとっての欠乏では無かった。
彼が他人に取られるかもしれない、彼が離れていくかもしれないという不安もなく、これからはずっと私と彼だけの日々が続いくのだという安堵の気持ちでいっぱいだった。
私ははじめて、自分の能力に感謝した。
「礼と一緒に行きたいところ、たくさんあるんだけどな。」
「例えば?」
「奈良の又兵衛桜。まだ行ってなかったでしょ。
富良野のラベンダー畑も行けてなかったなぁ。
日光の紅葉も。蔵王の樹氷も。」
「またすぐに行けるよ。」
「そうだといいなぁ…」
それからの私は、私と出会うまでの出来事や思い入れのある場所を詳しく聞くようになった。
「最近、礼はよく笑うね。」
「そう?」
「そんな風にいつも笑ってくれたらよかったのに。」
そして彼は息を引き取った。
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