児童虐待を無くすための最強の手段を弁護士が選ぶ

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 秋森穂乃果はそれなりに腕の良い弁護士だった。  今日は所属する法律事務所でのんびりと暇つぶしをしている。実にのんびりとした一日が過ぎようとして、相棒の前島ですら欠伸をしそうになった。  事務所には直接依頼を持ち込んでくる当事者も当然居る。受付で話している声が認識できないくらいに秋森の所まで届いていた。  すると受付の係で有る庶務担当の事務員さんが単独で現れた。 「ありゃ? 依頼人じゃなかったん?」  秋森がはてなマークを浮かべながらも聞いていた。それに対しての返答は無くて受付の人は苦笑いをするだけだった。 「お母さん!」  次の瞬間にはそんな幼い声が聞こえて秋森の元にランドセルを背負った10歳くらいの女の子が飛び付いた。  もちろんだがその光景を目の当たりにしたものは驚愕してしまった。秋森は独身で結婚歴は無いとの認識だったので、この子供は秋森の隠し子と言う事になる。  人々の反応はそれぞれだが、誰もが驚いている。しかし、一番驚いていたのは秋森で顔がビックリした表情のままでずっとフリーズしてしまっていた。それに対して一番冷静で驚いては居たのだが、表情も変えないで居た前島が、 「静かなところで話しましょうか」  女の子では無く秋森に言うと、秋森はコクコクと壊れた張子の虎の様に頷いていた。  前島が相談用の防音室を開けると、そこに女の子が秋森の手を掴んで仲睦まじく寄り添って移動した。 「取り敢えずお名前、聞かせてもらえるかな?」  前島はまだ落ち着いていて、その部屋に有るテーブルセットの椅子に座ると、自前の重要な事ばかりが書かれていて、秋森さえ見せてもらえないノートを開いた。 「私は乃愛、苗字は今は西島だけど、本当は秋森なんだよね? お母さん」  乃愛と言う女の子は秋森の事を笑顔で見ながら話していた。  その様子を含めて前島はノートに記している。 「それで? 君は誰かなー?」  秋森が乃愛の鼻をつまみながら楽しそうに聞いた。もうそこにはさっきまで驚いていた印象なんて無い。 「お母さん、忘れちゃったの? 私だよ」 「残念ながらあたしは子供を産んだ記憶は無い」 「信じてこの人は私のお母さんなの!」  泣き落としを乃愛は目標を前島に移して披露し始めた。 「一応この人はおかしな人だけど、これは本当なんだ。君は誰なの?」  前島も元々そんな事は信じても居なかった。だから二人は多少の演技をしていたのだった。 「ごめんなさい。お母さんだと言うのは嘘です。でも、私のお母さんになってくれませんか?」 「ややっ! 真実を話したと思ったら、今度はお願いされちゃったな。でも、そんな事はできませーん」  冗談でも言う様な秋森の返答に一瞬乃愛の顔が怒っている様に見えたが、それは前島にだけ確認出来て秋森の方には気付かれない様にしていた。 「お願いします。私は両親を亡くして、祖父母に育てられているんですけど、虐待を受けているんです。救けてください!」  その言葉を聞いて秋森は前島の事を見た。もちろん前島も秋森と視線を合わせている。 「そういう事は児相に言いな。あたしは関係無い」 「雑誌に載ってたから頼んでるんです。優しい貴女なら受けてくれると思って」  秋森は以前児童相談所を批判する人間を数名言い負かして、警察送りにしてその取材を受けて雑誌に載った事が有る。その言葉を聞いて乃愛の事をジーっと見詰めた。そして、うんっと頷く。 「あたしに依頼すると高いよ。君に払えるのかな?」  確かに秋森の相談料は到底安くは無い。とても子どもに払える代物では無かった。 「雑誌に載るくらいに慈愛に溢れた人だと思ったのに幻滅だ」  乃愛は今までとはかなり印象が違っていた。どこか子供っぽく無くなって、しかし悪ガキの印象で高校生とかそのくらいの雰囲気が有った。 「どうしてこんな方法を選んだ? 児相に救けを求めた方が楽でしょ」  しかし、それを秋森は悪い印象だとは思ってなかった。逆に話し易いくらいに思っていた。 「それじゃ甘いから。アイツ等に罰を与えないと」  乃愛が明らかに悪そうな顔をして語っていると、ため息を吐いて前島が真面目に話始める。 「まあ、どんな虐待か話を聞かせてくれるかな?」  それから乃愛は自分が被害に有っている虐待について話し始めた。  虐待を加えるのは実母の両親に当たる祖父母。しかし、それは虐待とはいえ重篤な物では無くて、暴力も傷に残らない程度、暴言も本人に対してでは無く乃愛の両親に対しての文句ばかり、ネグレクトも食事の量が少ない程度だった。  しかし、それでも虐待は十分に成立する。児童相談所に通告をすれば指導はもちろん保護さえも考えられる事では有った。  秋森はドアを開いて外に出た。その時に所長が手招きをしているのに気が付いた。 「あたしの子じゃ有りませんから」 「一応それは知ってる。それで?」 「虐待されてるんだって。変な雑誌を見てあたしの所にSOSを出しに来たらしい。今から児相に通告しますよ」  それは通路で皆に聞こえるようにだったので所員全員が納得して一段落した様子だったが、所長だけが何か深く考えて、秋森が自分のデスクに向おうとした時に「これは君が解決しろ!」と命令をしていた。  秋森の背中が震えていて皆が怖がり見てみぬ振りをしていたが、前島と乃愛だけがその姿を見ていた。  ギロッと振り返った秋森はドスドスと二人の方に有るいでドッカっと椅子に座った。 「と言う事で通告します。他に要望が有るんで?」  次は乃愛に対して到底友好的では無い話し方をして秋森は聞いていた。 「貴女は批判者と論破してコテンパンにしたんでしょ。だったら私の方もお願い」 「やっぱり、そうなるかー」  秋森は雑誌を見たと言う時から乃愛がこんな事を望んでいる事を予想していた。  まあ、その点は罪なのに指導と言う穏やかな解決では済まないと言う考えは秋森も理解できる。  それから秋森は児童相談所に通告をする様に前島に命令して、当然ながらそれは恙無く整った。児童相談所から近い事も有ってその日の内に乃愛は面談をして取り敢えずこの日は家に帰る事になったのだが、そこにはもちろん秋森と前島が同行する。  乃愛の家は古い住宅街の中でも古い家だった。そんな時代の代物なのでどこか薄暗い印象が外観からも伝わってくる。  そして乃愛が家のドアを開けたら直ぐに祖母であろう初老の女の人が現れた。 「さっき、児童相談所から電話が有ったよ! なんて事をしたんだ! この恥さらしが!」  かなり激昂している様子で虐待になる暴言を乃愛に言っていた。それは無いと聞かされていたので余程怒っているのだと秋森達は理解して、前島が乃愛の前にガードする様に立ちはだかった。 「誰なんだ? 相談所の人間なのか!」  そして祖母は児童相談所の人間にも敵対している様で怒っている様子を明らかにしていた。 「あたしは弁護士で彼は助手です。彼女から援助してもらう様に依頼を受けました。宜しければお話をしたいのですが?」  散々面倒がっていた秋森だったが仕事になったら別人の様になっていた。 「弁護士なんかに話す事なんて有りません。帰ってください!」  祖母はそう言うと乃愛の腕を掴んで引っ張った。その時に乃愛は「痛い!」と言っていたが、それは演技とかでは無くて本当に痛そうだった。こんな時には前島の方が黙ってない。彼は有る理由から虐待には熱く対応する。  この時もすかさず乃愛と祖母の間に入り込んで、祖母の事を怖いくらいに睨んでいた。 「力ずくと言うのはどうでしょう。虐待に当たるので控えてください。なにより痛がっていますから」  穏やかに言っている様だが逆にその落ち着きぶりと怒っている印象が有るので恐怖を十分に与えていた。  なので祖母も乃愛の腕を離した。すると、乃愛は直ぐに祖母の元を離れて救けてくれた前島では無くて、秋森の後ろに逃げ込んでしまった。 「今後、彼女から虐待が有ったと言われた場合には児童相談所じゃ無く、警察を呼びます。宜しいですね」 「警察って、そんな脅しは通用しませんよ」  祖母は明らかに同様している様子だったが、もちろんこれは秋森の作戦。しかし、それは急転してしまった。 「私たちは虐待なんてしてない。警察を呼んだって別にどうと言う事は無いさ。それに警察を呼んだ所で担当するのは児童相談所なんだろ」  家の中から現れた祖父の方が落ち着いて秋森に向って話していた。 「そうですね。しかし、緊急的な事を考えてそうすると申しているのです」 「あまり子供の狂言に付き合っているならこちらから訴えるぞ」 「それはご自由に」  祖父はそれを武器にしている様だったが、そんなものは秋森には通用しない。 「なんと言おうが私たちは虐待なんてしてない。これは躾だよ。最近の若い子には解らないかもしれないが、私たちの世代はみんなこのくらい教えられてきたんだよ。今の子供はそれを大袈裟に言えば自分は楽が出来ると思っているんだ」 「昔の常識と今の常識を一緒にしない方が良いですよ」 「躾は今も昔も一緒だ。こんな子なんて面倒で居なくても良いのにそれを育ててくれているだけでも有り難いと思ってくれないと駄目なんだがな」  祖父は明らかに見下す様に乃愛に向って話していた。その瞬間に乃愛の顔が怖くなる。 「別に貴方達に育ててもらわなくても良い。お母さんじゃなくても施設とかの方がマシ!」 「ふざけた事を言うな!」  その時に祖父は乃愛に近付いて頭を叩いた。 「それは虐待になりますよ」 「このガキが馬鹿な事ばかりを言うからだ!」  秋森からの忠告を聞く事も無く祖父は反論をしていた。それに続くように祖母の方も秋森の事を睨んでいた。 「本当に馬鹿な子。私たちがちゃんと教育してあげるから」  そう言って祖母は乃愛の腕を掴んで、秋森達には帰る様にシッシと手を振っていた。  その光景を見ていたら前島が噴火しそうになっている。けれどその噴火は怒らなかった。 「コラ! 年寄りだからまだ聞き分けが良いかと思ってたらこのジジイとババアは本当にどうしようも無い。これはれっきとした虐待なんだ。彼女は苦痛に思ってる。今後もこんな事を続けるなら許さんからな!」  普段の秋森とは違った。こんなに感情的になった秋森なんて前島も見た事が無い。 「脅すのか? ならこっちから警察を呼ぼうじゃないか」  そうは行っている祖父だったが明らかにその言葉に凄みは無くなっていて、当然祖母の方に至っては怯えた表情になっている。 「好きにすれば良いだろ。その代わりそっちがその態度をとるんならこっちだって考えが有るんだ! 法律を味方にどこまでも追い詰めてやっても良いんだからな!」  もうそれは明らかな脅迫となっているのでこの場で警察を呼ばれたら、完全に秋森の方に分が悪い。しかし、秋森は怯む事も無く続ける。 「ちょっとでも虐待が有ったら通告、いや。裁判にする!」  そんな事は出来やしない。児童相談所に任せておくことが取り敢えずは通例で、それでなお対策されないと提訴すらも出来ない事くらいは前島でも知っている。しかし、一般人が弁護士に言われると様子は違った。 「ともかく、私たちは虐待なんてしてないんだ」  捨て台詞の様に祖父はそう言うと秋森達を追い払う様に腕を振り回した。流石にこうなってしまえば引き下がるしかない。 「乃愛、心配するな! 救けてやるから!」  しかし、追い返されながらも秋森が乃愛に言うと、その乃愛は嬉しそうな顔をしてうんと頷いていた。 「じゃあ、前島ちゃん。お仕事ですよ」  帰りの車で秋森が話していたが、それに前島は自分がハズレくじを引いたのだと思ったが今更そんな事くらいで落ち込んだりはしない。  それからの乃愛の生活に変化は無かった。普段通り悪口を言われ、食事は少なく、祖父母の機嫌は更に悪い。  三日が過ぎると段々とそれが悪くなっている気がしていた。  悪口は乃愛に直接言う様になり、食事は日に日に減る。そして叩かれる事も多くなって、強さも増していた。有る時は学校に向おうとした時に家の外だったのに意味も無く叩かれた。  普段なら乃愛も叩かれてもなにも言わない。ただ耐えるだけだったのだが、頃の時は違っていた。 「痛い! 叩かないで!」  大声を出してそんな事を言っていた。 「馬鹿が! 早く学校に行かんか!」  もう近所の人の目なんて気にする様子も無く祖父はそう言うとまた殴ろうと拳を振り上げた。  しかし、その拳を掴んで離さない人間が居る。  近所の勇気のある人では無くてそれは前島だった。そして横には秋森も居る。 「虐待はすんなって」  秋森はそう言いながら片手で電話をしていて「お爺さんが虐待をしていますのでパトカーをお願いします」と言っていた。 「そんな脅しは通用しない!」 「あら? 脅しじゃ有りませんよ」  秋森はそう言うと携帯の画面を乃愛の祖父にも見せた。  秋森のスマホには通話中の文字とその相手の電話番号が有った。その番号はもちろん110番で間違いなく警察を呼んでいたのだった。  その画面を見た祖父は、 「君達は私の家を監視しているのか?」  イヤそうな顔をしながら聞いているが、そんな言葉に秋森はニコリと笑顔になっていた。 「別に貴方の事は監視してませんよ。どちらかと言うと乃愛ちゃんの事を見守っています。どんな時でもずっと。先日、乃愛ちゃんを叩いた事も、怒鳴った事も、食事を与えなかった事も、全て知っています」  明らかな証拠と言えるべきものでも有る。秋森はそんな事をノートを見ながらスラスラと語っていた。 「そ、それでどうするつもりだ!」  流石にそんな本当に有った事を言われて祖父は驚き戸惑っていた。 「取り敢えず警察と児童相談所にはもう報告をしてます。これ以上続くと乃愛ちゃんは一時保護で、貴方がたも刑事訴追するとの事でした」 「デタラメを言うなよ」  これはもう言い返せなくなった祖父の言い訳にしかなっていない。  当然秋森達は本当に警察と児童相談所にこれらの事を報告していたのだから。 「ただ、まだ貴方達が救われる方法も有ります」  秋森が提案するのを祖父はただ素直に聞く事しかもう出来なくなっていた。 「私たちも、そして乃愛ちゃんもこれ以上大事にしたいとは思ってません。なのでもう虐待は無しになれば、不問にする事が出来ます」 「そんなのは、私たちは虐待なんてしてないのだから…」 「まだグチグチそんな事を言ってんのかい! あたし等は貴方達のしている事を知ってるんだ。これから先ずっと貴方達が死ぬまで監視しても良いんだ! さあ、どうする?」  秋森の恫喝の様な言葉に祖父は黙ってしまって、祖母の方は怯えてしまって声も出せない様だった。 「簡単な事だよ。別に本当に良い子育てなんてしなくて良い。乃愛が大きくなるまで演技をしているだけで良いんだ。腹の中ではどう思っていようが好きにしな。あたしはずっと貴方等を見ているからな!」  そう言い残すと秋森はそれでスタスタと家から離れてしまった。  残された乃愛と祖父母はそれからも暫く黙ってその場に居た。  あれから三日が過ぎる。乃愛への虐待は今のところは無かった。しかし、これで万事全て解決とは秋森は思ってなかった。これはまだ作戦の途中なのだから。最後の一手が必要になる。 「さて、前島。そろそろかな?」  そんな話をして二人は取り敢えず出掛け、乃愛の家に向かった。  そこにはまだ乃愛は帰ってない。しかし、二人が到着すると乃愛の姿が見えた。  乃愛が家に帰ると祖父が玄関先まで現れる。 「良いだけ遊び回りやがって、本当にどうしようも無いバカを拾って苦労する」  一言文句を言う。しかし、それまでで暴力は無いが、これでも十分に心理的虐待に当たるの。  秋森と前島はその言葉を聞いてサッと玄関へと現れた。 「全く、あれだけ監視してるって言ったのにまだこんな事を言うとはね。どっちがバカなんだか」  呆れた様に語る秋森の姿に祖父は驚きを隠せない様で言葉も出ないが、その時に現れた祖母の方は幽霊でも見た様に叫んで、手に持っていた鍋を落として盛大な音を立てていた。 「あたし等が監視してるのが嘘だと思ってた? 違うよ。毎日見てる。知ってる。手を上げる事は無くなったが、言葉の暴力は続いていた。そして日に日にそれはまして、今日はより酷いと思ったから注意しようと思ったんだよ」  半分嘘を簡単に秋森は連ねていた。しかし、それは嘘とバレる筈も無くて、祖父から乃愛への文句は確かに有って、今日は一層酷かったのも事実。 「こんなことが許されて良いのか」  悔しそうに祖父が語っていたが、それに対して秋森クスリと笑った。 「どうだろうね。法律的には許さないが、民意は許してくれるさ。もう一度選ばせてやる。どうする? 今日までの事を全部罪にするか? それともこれからは良い人のフリをするか?」 「私たちの事を君らはこれからも見続けるのか?」  疲れている様な祖父の言葉に秋森は楽しそうな顔になった。 「もちろん。虐待が有ろうと、なかろうと、この監視は続けるよ」  その秋森の言葉を聞いて祖父は大きなため息を吐いた。 「解った降参だ」  そう呟いただけだったが、秋森はそれで納得した様子で「では、演技をヨロシク!」なんて言って家から離れた。 「やー鮮やかに解決出来たねー」  家から車に向かう道では秋森はルンルンだった。 「あんなので虐待って無くなりますかね?」 「特定の誰かに監視されるのって案外怖いもんだよ。例え本当に監視されてなくってもね。それにあいつ等には罪も有るんだから」 「そうなんですかねー」  そんな話をしてから二週間が過ぎた。その間も秋森の命令により前島は多々乃愛と会ってそれから虐待が無いかの確認をしていた。  乃愛からの報告ではあれからは良い顔はしないものの虐待は無いとの事、それで前島からその意図を聞いた秋森は「ふーん」程度で済ましていたが、当然こうなる確信が有ったからの言葉だった。  そして更に一週間が過ぎた日に事務所に乃愛が訪れた。 「昨日言われたから来たんですけど」  乃愛の印象もそれまでと結構違っている。それまでは口の利き方も悪い所が有ったが、今ではそれも見当たらない。 「んー、前島!」  この時秋森は別の案件の資料を読んでいたので前島を顎も使わずに使っていた。  前島は乃愛からスマホを受け取っていた。それは秋森達から預けられていた物だった。それで連絡を取り合い監視をしていたのが真相だ。 「じゃあ、スマホは無くてもなんか有ったら直ぐに連絡しなさい」  残った前島がそう言い自分とそして秋森の名刺を渡す。もちろんそれには個人携帯の番号も記されていた。 「解った。必要はないと思うけど」  ニコッと笑った乃愛が嬉しそうに名刺を抱えて事務所のドアを開け離れて行く。パタリと閉じて人の気配が無くなった時に秋森が戻った。 「ちょっと、あのバカ娘に言い残した事が有った」  そう言うと秋森は走って乃愛の事を追いかけた。事務所の建物から走って乃愛の事を抱き締めた。 「お前なんてまだ子どもなんだから甘えられる人間には素直に甘えなさい。あたしはそれくらいの広い心は持ってるんだから」  乃愛の事を抱き締めながらその耳元で秋森は囁いていた。その顔は誰からも見えない様にしていたが、言葉がちょっと詰まる様になっている。 「じゃあ、これからもお母さんって呼んで良い?」 「そのくらい確認すんな!」  顔を上げた秋森がスンっと鼻を鳴らしてから笑っていた。 「今日は鬼が泣いた日なのかな?」 「なんだとこんにゃろー!」  いつの間にか近付いていた前島が一言言うと秋森が怒っていた。それを見て乃愛は笑っている。虐待なんてもう無いので本当に楽しそうに笑っていた。 おわり
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