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____「先輩、佐伯さん今日はどうしても入浴したくないそうです」
「そうなの?珍しい」
「体温や血圧は問題ありません」
「そっか。どうしたんだろう。疲れてるのかな」
「食欲もあまりないみたいで、朝食は半分くらい残してました。薬は服用してあります」
いつも通り要件だけを真顔で話す光里ちゃん。淡々としているけど、仕事ぶりは本当にしっかりしているんだよな。
煌と陽太郎の言葉が頭の中でぐるぐる回って、思わず彼女をじっと見つめた。
『自分のこと見てもらいたくて、わざと悪戯する』
本当にそうなら、彼女は私に何か助けを求めている?
「……なんですか?」
凝視していることがばれ、彼女はムッとした表情で私を見る。
「いや、あの……光里ちゃん。……今度、ちゃんと話さない?」
勇気を振り絞ってそう提案してみると、光里ちゃんの表情を見て固まった。
彼女はとてもびっくりしているように目を見開いた後、一瞬だけ、泣きそうな顔をした。
「光里ちゃん……?」
「今更責めるんですか?」
「そうじゃなくて」
「すみませんが、失礼します」
そう言って、光里ちゃんは逃げるように次の担当の利用者さんの部屋に入った。
……やっぱり、彼女には何かある。
気になりながらも、私も佐伯さんの様子を見に部屋へ向かった。
「佐伯さん、ご気分いかがですか?」
「え、ええ。変わりないわよ」
佐伯さんは一生懸命便箋に何かを書いていたようで、慌てるようにそれらを片付ける。
変なときにきてしまったかな。
出直そうと頭を下げて部屋を出ようとする私を、佐伯さんは引き留めた。
「美月さん、コウちゃんのコンサート……」
「台湾のですか?もうすぐですね!」
佐伯さんは嬉しそうに目尻を下げる。だけどその眼差しは、いつもより力がないふうにも見えた。
……やっぱり、体調が優れないんだろうか?
「コウちゃん、外国の人にも愛されるのね」
「そうですね。きっとこれからもっと、いろんな国の人達から愛される」
まるで自分のことのように幸福を感じながら顔を緩めると、佐伯さんは安堵したように微笑む。
「……ありがとう。美月さん。もう、これで安心。コウちゃんのこと、お願いね」
会う度に私にそんなことを言う佐伯さん。だけど今日だけは、本当に心から言っているような気がして、私は心細さを吹き飛ばすようにおどけて見せる。
「煌さんが帰ってきたら皆でお誕生会やりましょうね!私、二人にプレゼントがあるんです!楽しみに」
途中で言葉を失った。
佐伯さんは頭を抱えながら、突然ベッドテーブルに突っ伏すように倒れこんでしまったのだ。
「佐伯さん!?佐伯さん!」
すぐに呼び出しボタンを押して声をかけ続ける。
あの夏の日を思い出して、戦慄が走った。
恐ろしいほどに震えが止まらない。
気が動転しそうになるのを必死に堪えながら、ひたすら彼女の名を呼び続けるしかなかった。
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