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『無』
俺の名前は渡哲(わたりてつ)。高校3年生だ。
俺の所属する賢人高校は、全国どころかアジアで最も頭のいい高校である。
学部はたくさんあり、そのどれもが学力トップだ。ちなみに俺は理工学部。
そして、その賢人高校にはとある伝説の部活がある。
俺が部長でもあるその部活の名は、哲学部という。
* * *
「それでは、今日の部活を始める。なにか発表のあるものは挙手を」
小柄な男子生徒が手を挙げる。
こいつは1年の秀才、長田だ。
「僕からは、『無』について発表します」
いきなり『無』か。
難しい話題が来たものだ。
「結論から言いますと、『無』は存在しないと考えます」
「ほう。なぜだ?」
「根拠は二つあります。まず、一つ目の理由として、本当の『無』を誰も発見していないからです」
それから長い説明が続くが、尺の関係上こちらで簡潔にまとめさせてもらう。
人類の発見した『無』とは真空空間のことだ。
だが、真空空間では常にエネルギーが揺らいでおり、素粒子の対生成と対消滅を繰り返している。(“真空の揺らぎ”という)
そのため、真空を完全な『無』とは定義できず、したがって本当の『無』は発見されてないとの考えだ。
あるいは、物理法則や時空、いや、次元が存在している時点で『無』ではないのか。
そして二つ目の理由。これが面白かった。
「そもそも、我々の考える『無』は本当の『無』なんでしょうか?」
『無』とは何もないことだが、これが存在すると考えるととある矛盾が生じる。
たとえとして、皿の上のリンゴを考えよう。
『皿の上にリンゴが1個ある』
これは文字どおりの状態だ。
では、これはどうか?
『皿の上にリンゴが0個ある』
当然、皿の上にリンゴは無い。だが、『何もない』というのは『0存在する』と言い換えることができる。
つまり、『何もない』という“状態”が『存在する』ということだ。
この時点で『無』の論理が破綻している。
『何もない』が『ある』。
果たしてこれは『無』と呼んでいいものなのか?
彼はそう言いたいわけだ。
実際、似たような状況は現実に存在する。
たとえば、突然『地球があと少しで滅亡する』と聞かされた時、皆はどういう行動をとるだろうか?
破壊活動、性的暴行、窃盗強盗などの悪事に走る人がいれば、子供を助ける、シェルターを建設するなど最後まで抗う人たちもいるし、ただただ神に祈りを捧げたり、それぞれの場所で死ぬ運命を受け入れる人もいる。人の心は千差万別、混沌としている。
何が言いたいのかわからないと思うので本題に入ろう。
さて、混沌とは秩序なく入り乱れた状態のことを言うが、『秩序がない』ではなく、『混沌がある』という言い方もできる
これを『有』と『無』に置き換えよう。
『有』が『ない』のではなく、『無』が『ある』。
もう一度言う。
『有』が『ない』のではなく、『無』が『ある』。
これと今までの説明を照らし合わせると…
果たして、この説明だけでちゃんと理解してくれただろうか?
こうして、それぞれの哲学を発表し、議論し、深め合うのがこの部活だ。
面白いと思ったなら、ぜひ体験入部に来てくれ。
P.S. 女子は大歓迎(女子部員がいないため)
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