ここは、隠者の里。

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 私は――何を忘れているって言うんだ?  おみくじに書かれていたあの問いかけを見てから、更に日が立った。今日は定期報告の日だ。かつての公民館に誰よりも早く赴き、席に腰掛けながら、むっつりとした顔で考え事に耽るカイを、他の試験モニターたちが遠巻きにしている。  疑問は今や苛立ちに変わっていた。  定期報告会を仕切るスタッフの声に顔を上げて、居合わせた試験モニターの顔を見回しながらカイは目を細める。  お互いに過去を詮索することを禁止されたメンバー。  普段はお互いに不干渉で、今日のような場所だけで緩やかな交流が持たれる。だから、お互いに名前と顔しか知らない。  ――では、私は?  そもそもカイは、どういう経緯でこの試験モニターに参加したのだろうか。  そこに思い至って愕然とする。  私は、何をしていたんだ?  自分がモニターになることに同意した経緯や、この「隠者の里」での生活の記憶だけは綺麗にあるのに、それ以前の――カイのことが全く思い出せない。カイ自身のことだと言うのに。  苗字は? 出身地は? 学歴は? 家族構成は?  何よりも恐ろしいのは、それらを今まで認識していなかった自分自身だ。  さっと顔が青ざめる。  企業の保養所として買い取られた町。揺りかごのような、仮初めの町。  とてつもなく気持ちが悪い。頭痛がして来て、カイは思わず顔を顰める。  ねぇ、覚えてる?  鮮烈な、その言葉――。  切れ切れの記憶が蘇った。  誰かと交わした会話。 『――魔法の呪文は何にしようか』  わくわくとしたように声を弾ませながら相手が言うのに、カイは聞き返す。 『魔法?』 『ほら。すべてを粉々に壊す、魔法の言葉』  理想郷。  そこから脱出するための秘密の呪文について。  これは誰と交わした会話だろう? アカツキか? いや、違う。なぜなら、左手の薬指にはプラチナの指輪が光っている。  あれは――。 『皆が知ってる強烈な文句にしたら? 楽園とは正反対の』 『へぇ、例えばどんな?』 『そうだなぁ、例えば――』  ちりり、と頭の中で閃光が走る。  自分が何を言ったのか、思い出した途端に、どっと体から汗が噴き出してくる。椅子を蹴るようにして立ち上がって、カイはテーブルを両手で叩いた。皆が驚いたようにカイの方を見るが、それに構わずにカイは口を開く。  そのまま、腹の底から大声を出す。 「祇園精舎の鐘の声!」  ――実験『隠者の里』内から緊急コード発令を確認。実験中止。実験中止。被験者については、ログアウトの準備を行います。しばらくお待ちください。
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