月見

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月見

*思いつくエピソードを思いつくままに。  今年の残暑は、例年より長く居座っていたが、先週の台風が連れ去ってくれたおかげで、やっと秋らしくなってきた。朝晩はすっかり涼しくなり、半袖短パンで寝るのはさすがに限界だ。  面白いもので、時計の針は夏と同じ時刻を指していても日没が早くなるにつれて人々は早く帰宅するため、商店街の人通りもなんとなく寂しい。  『ベーカリーKOU』の店先のベンチに座るコウさんを見つけたが、疲れているのかいつもと様子が違う。  タバコを口に、肩を落とし両手両足をだらりと投げ出すように座り体重をベンチの背もたれに預けて空を見上げている。  何かあったのだろうか? 半年ほどの付き合いだが、初めて見るコウさんの様子に声をかけるのが一瞬遅れた。 「コウさん。タバコ休憩ですか」 「お、お帰り――。今日はもう終わり、店じまい。売り切れちゃったからお月見。満月じゃないけどキレイだよ。座る?」 「ホントだ。まともに月見るの久々です」  コウさんの隣に腰掛けて少し欠けた月を見上げた。間違いなく秋の空気に変わっていて夜空の星も夏より輝いているはすだが、今夜は月が元気よく周囲を明るく照らしていてよく見えない。  コウさんの指先から立ち上る、白く細い煙がふわっと吹く風にゆるゆると流されていく。 「俺の実家、宇都宮だって話したっけ?」  聞きなれた声より少し低く、いつもなら愉快に踊る目の光が消えている。  いつもと違う雰囲気に少し緊張した。 「はい、実家もパン屋だって聞きました」 「そうそう。今は姉ちゃん夫婦と一緒にやってる。昨日久しぶりに母親から電話あってさ。それがさ、いきなり大声で一方的に話し始めてさ。興奮してて何言ってるかわかんなくて、途中からシクシク泣き始めてさ。参った」 「それは……驚きますね」 「だろ。なんかさ、姉ちゃんと店のことでもめてケンカになったみたいでさ。愚痴を延々と聞かされて、めんどくせ、と思ったんだけどさ。俺いろいろ心配かけてるし、聞いてやるくらいは、と思って最後まで付き合ったんだけどさ。なんかめちゃくちゃ疲れちゃってさ……」 「重い、ですね」 「そうそれ。こういう時父親は絶対口をださねえんだよ、ずるいよな。俺が帰らないのが不満なんだろうな。多分戻ってほしいんだよな、帰らないけどさ。原因は知らないけど、姉ちゃんも頑固でいうこと聞かないからなあ。知ってる? 母娘のケンカってすごいよ。言葉が容赦なくてマジ怖ぇ」 「俺、兄弟いないからわからないですけど……」 「そっか悠平、一人っ子だっけ。あ――なんとなく分かるな。一人でも大勢でも、どことなくマイペースだもんな」 「そう、ですか。あんまり意識したことないですけど……そうなんですね」 「別に悪い意味じゃないし、気にすんな。そうそう、姉ちゃんの旦那が後で電話くれてさ。この旦那が出来た人でさ、ホント。懐が深いっていうか。でなきゃ気の強い姉ちゃんと夫婦できないけど。ごめんねって、巻き込んで悪かったってさ。それを言うならこっちだよな、ホント。頭あがらないわ」 「それ、家族だから面倒なんですね。無視できないし。お義兄さんいい人で良かったですね」 「うんうんホント。悠平って実家盛岡だっけ。家族は? たまに帰ってる?」 「帰ってないです。父親は早くに死んじゃって、顔も写真でしか知らないです。母親は地元の病院でずっと看護師やってて。ホントは地元の大学行くつもりだったんですけど、絶対東京行けって追い出されました」  「じゃ、向こうでお母さん一人なんだ」 「はい。いや、それは大丈夫。というか、彼氏? 何年も付き合ってる人いるんで、一人じゃないというか。そこは心配してないですけど」  「ふーん。盛岡ってどんなとこ? やっぱ寒い?」 「冬はホント寒いです。一日中氷点下の日もあるし。こっちより季節がひと月早くて、そろそろ秋も終わりで冬も近いですね」  今年の岩手山の初冠雪のニュースで伝えられただろうか。  鮭の遡上も始まるな。産卵を終えてボロボロになった鮭が川の栄養になるべく横たわるのを、橋の上で足を止めて優しく覗き込む人々は今年もいるだろう。  白鳥の飛来もそろそろだ。池や川ですいすいと水面を進む姿や羽を広げた時の力強い美しさが見れないのは残念だ。今年は餌が豊富だといいけど。  冬を前にした故郷に一瞬意識が飛んでいた。 「そういえば悠平って、彼女いないの? 好きな人とか?」 「え? いないですよ。好きな人はいましたけど、今は……まあ」 「興味あるなあ」 「いやいや、ホント……勘弁してください」 「はは、顔真っ赤じゃん。ゴメンゴメン、もう聞かね」  もう、ホントにやめてほしい。顔が熱い。両手で顔を隠しても耳が赤いのは隠せない。  コウさんが好きなんですよ、そう言ったらどんな顔すをるんだろう。びっくりするだろうな。で、優しいから困った顔をするんだろうな。悪くないのに謝ってくれるんだろうな、ごめんなって。そして、見えない線をひいて距離をとるようになって……。  だめだ、どんどん暗いほうに思考が傾いてゆく。危ない危ない。 「なあ、悠平さ。正月帰るのか?」 「あ、そうですね。正月くらいは。夏帰ってないし友達にも会いたいし。そういえば葛木。あいつ夏休みに俺の代わりに友達の手伝いに行ったじゃないですか。それがきっかけでその友達と付き合い始めたらしいですよ」 「え、そうなの?」  「なんか、葛木に一目惚れしたって言ってました」 「おお? 一目惚れか。亜紀ちゃんやるじゃん! いやいや、アオハルってやつか」 「驚いたけど、でもお似合いかもなって。帰るの楽しみなんです。そいつに会えるかわからないですけどね」 「俺も今年は実家に帰るわ。せいぜい2泊かな。たまには母親に顔見せないとな。あれこれ言われるんだろうけど、仕方ないな。さっき愚痴言って悪かったな。今日一日ずっとイライラというかモヤモヤというか……話してて気づいたけど、俺かなり落ち込んでたみたいだわ。でもすっきりした、サンキュ」 「俺は聞いてただけなんで。あの、コウさんの奥さんは今も実家ですか?」 「そう、実家。奥多摩、遠いだろ」 「お正月も?」 「そうだな―、こっちには来ないな」 「そうなんですね」 「寒くなってきたな、中入るか。今日、何買って帰る?」  「あんぱんです」 「即答かよ、好きだね―ま、あれうちの大人気商品だからな。あ、うそ。今日売り切れて何も残ってないや、ごめんな。そうだ、今度からLINEくれたら取り置きしておいてやる」  「やった。LINEしますします。ぜひお願いします」    ――千葉ちゃん。コウさんの奥さんって実家にいるって言ってたよね。私の予想だと、妊娠かメンタルのどっちかだと思うんだよね。でもさ、妊娠ってのが一番あり得るよね。近いうちに赤ちゃんの泣き声とか聞こえたりしてね――  葛木の声が聞こえた。その予想が正しいんだろうか。  もしそうなったら……引っ越そうかな。
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