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新しいこと
*思いつくエピソードを思いつくままに。
俺はGW明けから駅近くの塾で講師のバイトを始めた。トップを目指す生徒も勉強が苦手で補習が必要な生徒も受け入れている地元密着の小さな塾だ。
バイト仲間もできた。同じ大学に通う山藤司と、近くのG大に通う教員志望の葛木亜紀だ。
山藤は俺と同じ工学部で、一浪しているのでひとつ年上の自宅組。背が高く太い黒ぶちメガネをかけたザ・理系な見た目で、黒しか持ってないんじゃないか? ってくらい、いつも全身黒い服ばかり着ているので別名クロちゃんだ。
葛木はいわゆるおかっぱ頭で色が白く、垂れ気味の眉にくっきり二重の目は一見大人しそうなのに性格は正反対でよくしゃべり、いつもぴょんぴょん飛び跳ねているような元気な女子。自宅は埼玉だが通うには遠いらしく一人暮らしをしている。
今日は、バイト先から採点とキテキストの冊子作成を頼まれていたのだが、ビルの電気系統に不具合が起きたとかで、急遽修理と点検のため教室が使えなくなってしまった。テキストはすぐに必要だからなんとか頼むと懇願され、バイト代も出るならと引き受けた。
ファミレスでも良かったが、場所を取る作業なので仕方なく一番近い俺のアパートに移動することにした。
三人で駅前商店街を歩いていると、さっきから山藤がぶつぶつとうるさい。
「暑い。ムシムシする……超不快」
「梅雨だから仕方ないじゃない。今日は日差しもないし雨降らないだけマシだよ。山藤ってば、今からそれでどうすんの。夏になったら大変だよ」
「何言われても暑いもんは暑い」
山藤の言うとおりで、梅雨入りしたはずなのに雨がさほど降らず、じっとりと纏わりつく重たい空気のせいで恐ろしく蒸し暑い。
商店街の中ほど、パン屋の店先に見知った高校生が集まっている。今日は四人。店の前でたむろしている彼らとはボール事件の後に親しくなり、今では顔を見ると『千葉さーん』と気軽に声をかけてくれる。
上京したばかりの頃、慣れない場所で知り合いがおらず、お互い名前を呼んで会話ができるコウさんや高校生たちの存在が心強かった。今は大学に友達もできたけれど、心細かったんだと思う。自覚してなかったけれど。
「あ、千葉さんだ―」
「ちわ―す」
「そろそろテストじゃなかった?」
「うわ―それ言わないで―」
「現実逃避中なんですよ―」
「千葉さん、助けてくださいよ―」
「俺でいいならいつでも」
彼らは3年生で、部活は引退したもののスパッと受験モードに切り替えられない面々たち。とはいえ彼らの通う高校は進学校なので単なる気分転換だと思う。
家に帰ったら頑張ります、頑張って、そんなやりとりをしながらドアを開けて店内に入った。エアコンの冷気に一瞬で汗が引いた。
以前コウさんにもらったパンはどれも美味しかったので、予告したとおり俺はちょくちょくコウさんの店を利用するようになった。今ではコウさんから呼び捨てにされるくらいの友人関係に昇格した。距離が近くなって嬉しくて仕方がない。
「いらっしゃい」
店内に客はおらず、コウさんがショーケースの向こうで作業の手を止めて顔をあげた。
「コウさん、こんにちは」
「悠平が友達と一緒に来るの初めてじゃない?」
「ですね。同じ塾のバイト仲間なんです。山藤くんと葛木さん。この後俺のアパート行くんです」
「よろしく」
二人に軽く会釈する。
腹が減っているのか、山藤はショーケースをじっくり見ている。
葛木はさっきからレジ横の壁にびっしり貼ってある絵や写真を面白そうに眺めている。
「面白い?」
「え? あ、この結婚写真って店長さんですよね?」
「うん。コウでいいよ」
「あ、はい。結婚早くないですか。若いですよね」
「あ―ちょっと早いかもな。若くはないけど」
「奥さんお店出たりしないんですか?」
「今体調崩してて実家帰ってんだよ。てか仕事してるからもともと店には出ないけどな」
「あ、そうなんですね。この似顔絵は店長さんですね。ふふ、雰囲気つかんでる」
葛木は奥さんについてそれ以上何も聞かなかった。俺が聞けないことを初対面でさらっと聞いちゃうんだもんな……。
もう少し突っ込んで聞いてほしいような、それ以上は勘弁してほしいような。俺は内心ため息をついた。
外にいた高校生がひとり、おずおずと店内に入ってきた。
「おお、片岡。来たな」
「コウさん……」
助けを求めるような片岡君の視線を受けたコウさんはチラッと俺を見て言った。
「片岡がさ、頼みたいことがあんだって。ほらちゃんと自分で言えよな」
緊張した顔でじっと俺の目を見て軽く息を吐いた。
「あの、夏休み暇な時でいいんで俺の受験勉強に付き合ってもらえませんか。チューター? みたいなやつお願いできませんか」
全く予想外の頼み事だった。
「うちあんまり余裕なくて……。でも大学は家から通える国立ならいいよってOKしてくれて。でも予備校通うのは絶対無理で。前に、コウさんと話しているの聞こえたんです。塾とか行かなかったって。それで現役ですごいなって思ったんです。友達でも塾行かないやついるけど、先生たちもいるけど、でもやっぱり不安で。図々しいんですけど、時々でいいんで、時間のある時でいいんで……。やっぱり駄目ですか?」
なんて答えたらいいのか分からなかった。
塾に行かずに現役合格する秘訣なんて知らない。通っていた学校の授業のレベルが高くて、ついていくのが精一杯だっただけ。そもそも俺に受験生の相手が出来るのか。
「千葉ちゃん!」
黙ってやり取りを聞いていた葛木が、突然声を上げたので驚いた。
「別に、教えてあげればいいじゃん」
「は? 簡単に言うなよ。そもそも俺さ。夏休みは帰省がてら住み込みのバイトやらないかって誘われてんだよ、高校ん時の友達に。半分ボランティアだから稼げないけど手伝ってくれって」
「それって、行くの決定なの?」
「まだ返事はしてない」
「それ、私が行く!」
葛木が大声で宣言した。
「――は? なんで?」
「私が行く。行きたい、お願い。え? 女子はダメとか? ダメじゃないなら行く。私、実家帰りたくないの! 住み込みいいじゃん。ね、お願い一生のお願い。私を紹介して!」
「いやいや。ほぼほぼボランティアらしいし。稼げないよ? 俺は帰省の交通費出るってメリットあるから……」
「いいから行く。だから千葉ちゃんは勉強見てあげなよ。ねねね?」
葛木はあまり家族と仲が良くないらしい。理由を聞いたわけではなけれど。
というか、違う話になってないか?
山藤に助けてほしかったのに、ぶんぶんと首を横に振る。
びっくりしたコウさんは目を丸くして葛木を見ている。
片岡君は……。
「う―ん。よし、一旦保留だな」
コウさんが両手をぱんと叩き、空気を切るように言った。
「……わかりました。いきなりですみませんでした」
そう言って片岡君はペコっと頭を下げて出て行った。肩を落とした後姿を見て、罪悪感に似た後ろめたさを感じた。葛木の提案が一番ベストなんじゃないか。自然とそう思っていた。
「葛木、友達に聞いてみないと何も言えない。多分大丈夫だと思うけど……今は返事できない」
「わかった。でもお願い。勉強のことなら山藤も協力してくれるよ、ね?」
「え? 俺?」
ショーケースに並ぶパンを物色していた山藤は驚いて振り返った。自分に話が飛んでくるとは予想していなかったようだ。そりゃそうだろう。
「千葉ちゃんの頼みじゃん」
「え、ええ―まじ面倒」
「悠平、ごめんな。前にちょっと相談されてさ。ダメもとで頼んでみたらって言ったんだよ。無理しなくていいからさ。そうだ、とりあえずLINE教えて。なんかあったら連絡する」
わわわ、それはすっげえ嬉しい。心のなかでガッツポーズをした。
無事に? 葛木が俺の代わりにボランティアバイトに行くことになり、俺は帰省するのをやめた。塾のシフトは葛木が抜けた分増えたが、片岡くんのフォローに充てる時間はある。
何ができるか分からないし責任重大な気もするけれど、なんとか力になれるよう頑張ってみるかな。
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