花火

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花火

*思いつくエピソードを思いつくままに。 「暑い……」  バイト先から外に出た途端、昼と変わらない外気に触れて千葉悠平は思わず呟いた。  気象庁が梅雨明け宣言をした後も曇りや雨が続き、発表の判断をミスったのだろうと思っていたが、今週に入り連日快晴でテレビの天気予報やお天気アプリは東京の猛暑に対して熱中症に注意するよう呼び掛けている。  夏が始まったばかりなのにと、うんざりしながらアパートに向かっていると、商店街の入り口で駅に向かって歩いている浴衣姿の女の子とすれ違った。  そういえば今日は花火大会だったっけ。あの子たち間に合うのか? 他人事ながら少し心配になった。  特別花火が好きというわけではないが、かといって嫌いでもない。機会があれば見に行きたいが混んでいるのは嫌だなあ、それくらいの関心しかない。  太陽が沈み、空はまだ明るいが東からゆっくりと夜が迫ってくる。  日暮れとともに眩しい西日から解放され、幾分下がった気温とほんのり吹く風に気分が少しだけホッとする。  しかし、アスファルトから放出される熱と湿気が体にまとわりつく不快感は日差しがないだけ幾分マシというレベルだ。  西の空はきれいなオレンジ色で、建物の向こうに山の稜線がくっきりと浮かび上がっている。東京はビルばかりだと思っていたから、こんなに身近に自然を感じることに驚いた。  この辺りは武蔵野の雰囲気があちこちに残っていて、近くの神社は大きく成長した樹が森のようになっており、表から社殿が見えないくらい鬱蒼としている。アパート北側の上水沿いには桜が植えられていて春は桜並木の下を散歩する人たちが増えるらしい。     商店街の中ほど、パン屋の店先のベンチにいつもの高校生たちの姿はなく、代わりに店主が座って煙草を吸っていた。  コウさんがこちらに気付いて左手をあげた。 「休憩ですか?」 「ん――、そろそろ閉めようかなぁと思ってた。今日はあんまり残ってないしな。それに今日花火大会じゃん」 「え、花火大会行くんですか? 今から?」 「まあね。なんとなく毎年見てるし、恒例行事的な感じ。悠平も行く?」 「行きます」  考える前に答えていた。 「ふふ、花火好きなのか。ちょっと待ってて、片付けてくるからさ」  花火大会は嫌いじゃない。人混みが苦手だけど、コウさんと一緒だと思うとワクワクする。  暑いから店の中で待つように言われたが、なんとなくベンチに座っていた。  いつの間にかあたりはすっかり暗くなっていて、遠くから雷の音と間違えそうな低い音が聞こえてきた。花火大会が始まったらしい。 「お待たせ、行くか」  そう言ってコウさんは駅と反対方向に歩き始めた。電車に乗ると思っていたから思わず大声が出た。 「え? どこに行くんですか?」 「こっちこっち。今から会場まで行くと終わっちゃうし」  10分ほど歩いて連れていかれたのは有名な大型スーパーの屋上だった。  毎年、花火大会の日は屋上駐車場を一般に開放しているのだと教えてくれた。  そこは7階部分で、金網のむこう、色とりどりの花火が周囲を明るく照らしている。  周りに高い建物がなく視界を遮るものは何もない。昼間は遠くに富士山が見えるそうだ。  花火会場と反対側のフェンスの近くに屋台が並んでいて、イスやテーブルが置かれ規模の小さなビアガーデンみたいだ。花火を見るのに配慮してか灯りは少なめで、足元を照らすように小さな電飾が配置されている。  焼き鳥の屋台から漂う煙の匂いが空腹を刺激する。焼きそばやたこ焼きに加えスーパーの惣菜も売られ、ジュースやアルコールもどっさりある。 「とりあえず腹減ったし、なんか買ってくるから場所取り頼んだ」  そう言ってコウさんは屋台を物色し始めた。  悠平がキョロキョロと座る場所を探していると、ラッキーなことに目の前のカップルが立ち上がった。  空いたイスに座ってあたりを見回すと、たくさんの人が一瞬で消える空の花を笑顔で見上げていた。子どもたちは花火があがる度に手を叩き、見守る親もにこにこと楽しそうだ。高校生のカップルは初々しく手を繋いでいる。 ――ピッタリくっつくと暑いだろうな  ぼんやりとそんなことを考えていたら、ビールと食べ物を沢山手にしたコウさんが戻ってきた。 「あ、お金」 「いいよ、たいした金額じゃないし」 「せめて割り勘にしてください。そして俺まだ一応未成年ですけど……」 「少しくらいいいじゃん。初めてじゃないだろ飲むの。酔っ払ったらおぶってやるさ」 「無理です、俺のほうがでかいです」 「はは、無理だな。ま、帰れるだろ。どおよ花火。ちゃんと見えるっしょ。がっかりした? 期待外れだった?」 「いやいや、意外と大きく見えるんですね。そんなに混んでないし」 「だろ。座って見れるしちゃんと綺麗だし、迫力はないけどな。でも食いもんがあるし」  コウさんがビールをグイグイと一気に飲み干した。CMになりそうな飲みっぷりだ。喉仏が柔らかく上下する様に男っぽさと大人の色気を感じる。  テーブルを見ているとコウさんの好みがわかる気がする。  ケチャップが好きらしく、フライドポテトやナゲットにたっぷりつける。イカフライよりエビフライに手がのびる。お子様メニューが好きなのかと思ったがそうでもないようで、焼き鳥はタレより塩、さっきから枝豆よりキムチばかり食べている。  悠平も冷えたビールで喉を潤す。子どもの頃は苦いだけで良さを理解出来なかったのに、美味しいと思うようになったのは最近のことだ。大人の舌になったのか。  新歓コンパで初めてまともに酒を飲んだが、アルコールに強いらしく体が少し暑くなる以外の自覚症状はなく、酔うという感覚がわからない。弱いよりはまあいいか。 「知ってるか? 花火見るときは少し風があるくらいがいいんだってさ。煙を押し流してくれるくらいの強さの風がベストなんだって。今日は風がないみたいだな。ほら、花火の一部が煙の影で見えない」 「雑学ですか?」 「うーん? 誰かに教えてもらったんだよな、忘れた。あと、花火って真下から見ても丸いって知ってるか? あ、今バカにしただろ。そんなの当たり前だろとかって思ったんだろ」 「いや、バカになんてしてないですよ。ちょっと、あれ? って思っただけで」 「ふーん、まあいいや。普通に考えたら丸い球を打ち上げるんだから当然なんだけどさ。じいちゃんの家の近くの花火大会って、河川敷に寝っ転がって見るんだけどさ。下から花火見てた時に、どこから見ても丸いんだな――って気づいて感動したんだよ」 「子どもの頃ですか?」 「一年生かなあ。姉ちゃんに言ったらバカにされて悔しくて泣いて。口で敵わなくて叩いたら喧嘩になって、親に怒られてまた泣いてさ」  必死になって説明する子どものコウさんが浮かんできた。可愛いかもしれない。 「笑うなよ、ガキんちょだったんだよ。真下から花火見るとさ、火の粉が雨みたいに降ってきて迫力あるんだよ。実際には真下じゃないんだけどさ」 「そんなに近くで花火見たことないですね。遠くから見るか、混んだ会場か」 「な、贅沢だよな。そういえは、幼稚園の頃に大けがしたな。じいちゃん家の玄関で見つけた下駄が珍しくてさ、あの四角いやつ。それ履いてカラカラ鳴るのが楽しくてさー。でかいから転ぶじゃん。何回目だかに転んだ時の場所が悪くてさ。デカい石に頭ぶつけてパックリいって、ダラダラ血流してさ。おまけに転んだところに水溜りがあって泥水で……おーい、凄い顔してるぞ」  想像するうちに、いつの間にか顔が歪んでいたらしい。コウさんが人差し指で俺の頬をトントンと突っついた。  俺は一瞬固まってしまった。頬がみるみる熱を持った。赤くなっていたかもしれない。  コウさんは時々こうやって距離が近くなる。ホントに困る。 「いや、ちょっと痛そうで……」 「まあな、覚えてないけど。血と泥と涙と鼻水でドロドロになった俺の顔見て大人は大騒ぎよ。病院行かなきゃ、いや救急車呼べとか。で、先に泥を流せって父親に水道の水ぶっかけられてさ。ずぶ濡れのところに救急車が来ちゃってみんな右往左往てんやわんや。へへ、思い出すだけで笑っちゃうな。結局三針縫ったんだよ。ほら、ここに小さく残ってるだろ」  指差した右の眉と生え際真ん中あたりに、近くで見ないと気付かないくらいうっすら残る細い線。  無意識に左手を伸ばしてその傷跡に触れていた。 「わ、すみません」と、慌てて手をひっこめた。 「ほとんどわかんないだろ? 子どものころは常にどこかケガしてたからさ」  ホントあちこちに傷跡あってさ――火傷痕や手術跡を見せながら説明するコウさんの様子はいつもと変わらず心からホッとした。変に思われなくてよかった、気を付けないと。   「そろそろ終わりだな」  コウさんの声が聞こえたかのように、花火が連続で打ち上がり周囲が明るくなった。続いて三尺玉というやつだろうか、ひときわ豪華で大きく華やかな大輪の花が3つ咲いた。煌めきながら滝のように落ちてゆく火花がキラキラと糸を引いてスッと消えてゆく。  遅れて聞こえた最後の爆音が消えるとあたりがしんと静かになり、空が暗くなったように感じた。  一瞬の静寂のあと、周囲にホッとした空気が流れ人々が動きを取り戻した。 「さ、帰るか」  祭りのあとのような名残惜しさを感じながら、コウさんと一緒に屋上を後にした。
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