師走① 

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師走① 

 *思いつくエピソードを思いつくままに。  師走に入り、駅前の桜は青いLEDが施された。  小雪のちらつく夜の八時前。音もなく降り始めたそれは、コンビニと飲み屋の灯ばかりが目立つ夜の商店街を白く覆い始めていた。  パン屋の店先に置いてあるコニファーは、赤や黄色の電飾と近くの保育園の園児が作ったオーナメントでクリスマスツリーに仕立てられている。  正面の大きなガラス窓はカーテンが閉まっているが温かい灯が漏れている。木製のドアには、魔女の宅急便をイメージしたパンで作ったウェルカムリースが掛けてあり、ドアを開けるとベルが鳴り客の来店を店主に知らせる。  サラリーマンや保育園帰りの親子など、この時間でも意外と客がいる。以前はケーキ屋だったらしいこの店は、ショーケースがそのままで、客はケーキを買うようにパンを買う。  店長のコウさんが、親子が選ぶパンをショーケースから取り出している。 「ありがと」  ハートのヘアピンで前髪を留めた小さな女の子が、パンの入った袋を受け取りながら店長にお礼を言う。  店長も優しい笑顔で親子を見送る。  俺はこの店の小さめサイズの『あんぱん』が大好きで、朝食代わりに食べるので3日と空けず買いに来ている。塩気のきいた餡はくるみ入りの粒あんで甘すぎず、包んでいるパン生地のもっちりとした触感は毎日食べても全く飽きない。  人気商品らしく売り切れることも度々あるので、最近はよく取り置きをお願いする。たった数個のために悪いなあと思いながらも甘えてしまう。  LINEで店に行く時間を知らせているが、今日は少し遅くなってしまった。 「おかえり」 「すみません遅くなっちゃって」 「気にすんな。さっきまで客がいたしな」  袋を受け取り、会計をしながらレジ横の壁に目をやる。相変わらず子どもたちが書いたと思われる絵やイベントの写真が壁一面に貼ってある。  見たくないのに見ちゃうとか、もはや習慣だよな。まったく、何を確認してるんだか……あれ? あの写真がない? ないよな?  勢いよく顔を上げると、ニヤっと笑うコウさんと目が合った。 「――気づいた? 結婚写真だろ? ふふふ、今日離婚したからさ、さっき剥がしたんだ」 「離婚? だれ、コウさんが? は?」 「そうそう。そうだ悠平さ、今晩時間あるか? ヤケ酒付き合ってよ」  そう言って人差し指で天井を示した。  コウさんに続いて厨房横にある急な階段を上がりながら、混乱した頭を整理していた。  奥さん実家に帰ってるって言ってたよな。離婚って? そういう別居だったの? 葛木の予想では妊娠だって……そういえば、妊娠でなきゃメンタルか不仲のどっちかだって言ってたっけ。あー不仲だったったの? だめだわからん……。コウさん何考えてるんだろう。あーどうしよう、ドキドキする。それに……コウさんの部屋だぞ。やばい緊張してきた。  2階は全て居住スペースのようで、廊下に面したガラス障子を開けると台所と居間があり、襖の奥には寝室だろうか。  和室に生成りのカーペットが敷いてあって、部屋の真ん中に炬燵、ローチェストの上にテレビとノートパソコンが置いてある。カウチソファは淡いグリーンのチェック柄。奥さんの好みだろうか、部屋はアースカラーで統一されていた。  しかし、全体的に雑然としていて男の一人暮らしを感じる。  ソファの背もたれには脱ぎっぱなしの衣類がかけられていて、カーテンレールには干したままの洗濯物。炬燵テーブルの上にはクシャッと潰したビールの空き缶。床には新聞や雑誌が山積みで今にも雪崩が起きそうだ。冷蔵庫の横には、かろうじて分別されたゴミ袋が収集日を待っている。  このソファに座ってニュースを見たり、炬燵に入ってご飯を食べたりコーヒーを飲んだりするのだろうか。それともここは寝るだけの空間だろうか。 「散らかってて悪いけどさ。テキトーに座って」  言われるままに炬燵で……なんとなく正座する。  コウさんはチンした冷凍枝豆とチヂミ、残り物で手早くキムチ炒飯を作ってくれた。柿の種は袋ごと置かれた。 「おーい、足くずせよな。ビールでいい? 夕飯食ってないだろ。なんもないけど食えよ」 「すみません。いただきます」  これから聞く話の内容に緊張しているはずなのに、コウさんの作ってくれた炒飯はとても美味しかった。どんな顔すればいいのか分からないのでとりあえずせっせとスプーンを口に運ぶ。  チヂミを食べながらビールを一気に空にしたあと、コウさんがため息とともに口を開いた。 「離婚した理由、聞きたい?」 「え? えーと。いや、別に……」  俺は聞きたいのか? 聞きたくない気もするけど、でも……聞きたいとは言えなかった。  コウさんは困っている俺を見てくくっと笑いながら、まあ聞いてくれよと言った。 「あの。本当に離婚したんですか? 奥さん実家にいるって……」 「今も実家にいるよ。体調崩したってのは間違いじゃないけどな。きっかけは浮気。俺じゃない! 奥さんのな」  柿の種をポリポリ食べながら2缶めのビールを飲み、コウさんがぽつりぽつりと話し始めた。 「うーん、三月くらいかなぁ。あいつが知らない男の運転する車に乗って帰ってきたところに遭遇したんだよ、駅のロータリーで。12時過ぎてたと思う。たまたまコンビニに行ったんだよ俺。朝早いから普段なら寝ちゃってるハズだし、ホント偶然なんだけどな。そしたら車のなかでキスしてるのが見えてさ」 「何それ! そんな偶然あんの? ドラマじゃないんだからさ」  思わず叫んでしまった。 「ふふ、本当だよな。俺もそう思った。初めは誰か分からなくてさ、ドラマみたいなことしてる奴いるなあって。あいつが手を振って車見送った後、俺が立っていることに気がついてさ。驚いていたなあ、まあ当然か。でもすぐに怒ったような顔で近づいてきてさ『子どもができました。私と別れてください』って。子どもだってさ。ホントかよって。呆然とするって、ああいうことなんだな。初めて経験したわ」 「だから、何なんだよそれ……」   奥さんに対してめちゃくちゃ腹が立った。俺はすごく怒った顔をしていたと思う。その時のコウさんの驚きや腹立ち、怒りや嫉妬は今の口調から何も感じない。淡々と事実をそのまま話しているけど、心の中はわからない。 「その夜は長く話をしたよ。話し合いじゃないな、あいつの中では俺と別れることは決定事項だったからさ。いつ言うかタイミングうかがってたんだな。あいつホテルで働いててさ。お互い休みも不定期だし、もっと一緒に居たいねってことで結婚したんだけど、思ったより二人の時間とれなくてさ。俺がこの店始めた時期とも重なって、言い訳だけど余裕なくてさー。悪いなとは思ってたけどな。あいつ年上でさ、ホントはすぐ子どもがほしかったみたい。はっきり言わなかったけど」  3缶めのプルトップに指をかけ、コウさんはソファにもたれかかった。 「すれ違ってばっかでさ。だんだん俺に期待しても無駄だって思うようになったってさ。おーい。悠平やばい顔してんなあ、般若の面みたいじゃん」  そう言ってコウさんは笑いながら指で俺の眉間をぐりぐりと押した。 「結婚生活は努力が必要って、あれ本当だわ。色んなこといっぺんに聞いて正直混乱したけどさ。あいつに未練がなかったわけじゃないし、責める気持ちもあったけど……なんかさあ。化粧全部落ちて涙でズルズルになった顔見てたらさ、なんかもうどうでもいいやって思っちゃって。子どもができちゃったんなら仕方ないなぁって。そう思ったってことは終わりだなって」 「コウさんの子どもって可能性はなかったんですか」 「ふっ、そこ?」 「いや、だって夫婦なんだから。普通はそう思うような、気が……します」 「そうか。でもそれはないからな。長いこと何もなかったし。セックスレス――ってやつ?」 「あーそうなんですか……」 「俺さ、基本ポジティブで嫌なことあってもそこまで落ち込んだりしないんだけど。これはさすがにメンタルざっくり抉られたわ」  その後奥さんは荷物とともに実家に帰り、具体的なことは全部義父母から依頼を受けた弁護士経由でやり取りしたため、以降一度も奥さんとは会っていないらしい。 「今日、全て終わりましたって弁護士から連絡あってさ。赤ちゃんも無事産まれたみたいだし。認知やら籍やら複雑なことはよくわからんけど、あっちでちゃんとやってくれんじゃん」  コウさんは何かから解放されたような清々しい表情だった。  まじめで優しくて面白くて面倒見がよくて、印象ほどいい加減な人じゃない。俺の大好きな人を傷つけた奥さんに心底腹が立つ。  その反面、嬉しい良かったと喜ぶ気持ちが確かにあって、そんな自分に嫌気がさす。 「そんな顔すんなよ。ごめんな、楽しい話じゃなくて。全部終わったのが今日ってだけで、俺はもう立ち直ってるぞ。ちゃんと話したの初めてだけどな。うんうん、すっきりした。聞いてくれてありがとな」 ★投稿まで期間が空いてしまいました。お待ちくださった方がいらっしゃるなら、申し訳ありませんでした。
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