義兄妹と漢の娘

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義兄妹と漢の娘

「敦司、話があるんだが」  高校に入学してしばらく経った頃、夕飯を食べている時に父が切り出した話は「再婚する」というものだった。そんな素振りもなかったのにと驚いてる間もなく、翌日には相手を紹介され、とんとん拍子に話は進んでいった。  幼い頃に母は他界してしまったため、男手ひとつで育ててくれたことには感謝しているし、再婚したいと思う相手がいたのなら、喜ばしいことだと素直に嬉しくはある。相手の女性も感じのいい人で、年頃の男子としてはかなり照れくさいものもあったが、うまくやっていけそうだ、というのが第一印象だった。その女性の背に隠れる小柄な女の子を見るまでは。  母になるその人には、娘がいたのだ。父から、お前と同い年だと言われた時は軽い目眩がした。年頃の男子としては、戸惑いしかない。しかも、誕生日が偶然にも一緒。時間差で敦司が兄ということになった。  彼女の名は小福。さらっとしたショート髪が可愛らしい女の子だ。人見知りなのか、口数が少なく、あまり表情を変えない大人しい子だった。新しく母となる人が、いわゆるコミュ障というやつで友達もあまりいないのだと、こっそり教えてくれた。  そこで、と提案したのは父だった。小福ちゃんの通う高校に転校して支えてあげてほしい、と。  突然の事に頭がついていかず、困惑している間に転校手続きが完了し、せっかく入学した高校から、小福と同じ高校に通うことになってしまった。  最初は憂鬱だったが、来てみればすぐに不安も吹っ飛んだ。クラスの雰囲気がとても良く、男女共に和気あいあい。席に座れば、あっという間に囲まれ質問攻め。小福と家族になったことも、すでに知られているようだった。  ちらり、同じクラスである小福を見れば、ぽつんとひとり席に座って本を読んでいた。  小福はこのクラスで浮いている……というわけではなく、それなりには馴染んではいるらしい。クラスの子たちが話しかければ、口数は少なくとも小声で答えているようだ。ただ、あまり関わろうとすると逃げてしまうと、眼鏡をかけた委員長風の女子が教えてくれた。嫌われてるとか、いじめられているとかは無いようで、ほっと一安心。支えてやってくれ、だなんて言うから、闇でも抱えてんのかと思ったが。  敦司は長い息を吐いた。不安は杞憂。何事もなく、平和に過ごせそうで良かった。  こうして、転校初日はあっさりと終わった――と、思った。目の前でにこにこ笑っている女子に引き留められるまでは。 「えっと……な、何?」  彼女は答えない。ただ、にこにこと笑っているだけ。同じクラスの女子だろうか? 当然、全員の顔と名前を一致させるのはまだ無理な話ではあるが、こんな子いたっけ? と疑問に思うくらいには目立つ容姿をしていた。  緩いウェーブの長い金色の髪を、赤いリボンで左右に結っている。ふさっとしたまつ毛とつり目が特徴的で、くっきりした顔立ちの美人だった。  もうクラスに残っている人はいない。少しだけ、胸が高鳴る。 「あ、リサリサー! また明日ねー!」 「うん、また明日ー」  廊下から声をかけられ、リサリサと呼ばれた目の前の女子は手を振った。声も可愛い。リサリサ――リサちゃん、だろうか。 「あの、リサ、さん? オレに何か用事があるの?」 「…………小福ちゃんのお兄さんになったって」 「ああ、うん……親の再婚で」 「……ふーん。小福ちゃんとはどんな感じなの?」 「どんな? 普通……だと思うけど。話もしてくれるし、兄妹になった実感はあるような、ないような奇妙な感じはあるけど……。まあ、小福はオレに懐いてくれてる……気は……する……かな……」  だんだん恥ずかしくなって、言葉尻が濁る。懐いてくれてる、って。小学生くらいの子ならまだしも、同い年の女子に対して使うのはどうか。だが、その言葉が適当であるとも思う。コミュ障というから、打ち解けるまでには時間がかかるだろうと思っていた。けれど、ほんの少し言葉を交しただけで、小福は敦司のあとに引っついてくるようになった。買い物をするため外を歩けば、まるで壁にするかのように斜め後ろに立ち、服の裾を掴んでくる。その時は、本当に妹ができたみたいな気分だった。本当に妹ができたのだけど。その小柄さから、幼い少女のようにも錯覚してしまうが、誕生日が一緒の同い年だと思い出し、気恥ずかしくなるまでが最近のパターンだ。  新しく母となった人に、昔よく遊んでくれたいとこのお兄さんを思い出すからじゃないかと言われた。そのいとこのお兄さんは、今は海外に行っていてあまり会えなくなったそうだが、もしかして雰囲気が似ているのだろうか。 「……仲……いいんだ……」 「え? ああ、まあ……悪くはないと思うよ」 「へぇー……」  一体何なのだろうか。小福の友達……には、見えないけれど。不機嫌になってきてる気もするし。  カタン――音がして、目を向ける。ドアから半分だけ顔を覗かせた小福がじっとこちらを見ていた。 「……な、何してんだ小福……」 「え、小福ちゃん!?」  ん? と思わず首を傾げた。今この場にいないはずの男の声が聞こえた気がしたが。 「あーちゃん」  とてて、と小走りで小福が駆け寄ってきて、敦司のシャツを掴む。あーちゃん、とは小福がつけたあだ名だ。 「帰んないの……?」 「ん、帰るけど……」 「早く帰ろう……ドラマの再放送……観る約束……」 「ドラマ……そういや今朝そんなこと言ってたっけ……」 「うん……あ……バイバイ、理佐人くん……」  小福が遠慮がちに小さく手を振った。リサトくん? って誰。敦司は小福に引っ張られながら、教室を見渡したが、やっぱりリサしかいない。――リサ、さん? 定まる視線。うつ向く後ろ姿は女子にしか見えない……が、まさか。 「……こ、小福……あの人……男……?」  小福はきょとんとしたあと、小さく頷いた。 *****  翌日、小福と一緒に登校し、小福がトイレに向かってすぐだった。突然、目の前に仁王立ちで立ちはだかる男子生徒―― 「あー……もしかして、リサト君? だっけ?」  今日は女装はしていないようで、普通に学ランを着ていた。校則は緩いのか、髪色は昨日被っていたカツラと同じ派手な金、両耳にはピアスと、見た目はヤンキーだ。特に女顔というわけではないのに、女装すると女子にしか見えないのは化粧のおかげだろうか。声も作っていたようだし、そういう趣味があるのかもしれない。だがこの仁王立ちはとても漢らしい。 「何、仲良く登校してんだてめぇ」  ドスの利いた野太い声だった。 「……小福のことか?」 「何、仲良く一緒に登校してんだ」 「別にいいだろ。一緒に住んでるし兄妹だし同じクラスだし」  理佐人の顔が引きつる。  なるほど、やっぱりそういうことらしい。 「お前が何を思ってるかは知らんが、オレと小福は兄妹になった。それは受け入れるしかないことだろ。血は繋がってないが、オレは兄で小福は妹。そう受け入れたんだよ」 「……なんで」 「は?」 「なんで、小福ちゃんはお前に懐いてんだよ!」  胸ぐらを掴まれ、ぐえ、と一瞬息が詰まる。かなり力強い。 「俺が普通に話せるようになるまで一年以上かかったんだぞ! それも女装のおかげでな!! 会ったばっかのお前がなんでそんな距離にいるんだよ!?」 「し、知らねーよ……小福に聞け」 「女装までして、少しずつ話してくれるようになっていった俺の苦労はなんだったんだよ……!」  理佐人は項垂れた。  オレに当たるな、と敦司は胸ぐらを掴んでいる理佐人の手を払いのける。 「お前の場合、見た目が不良みたいだから怖がられたんじゃねーの」 「小福ちゃんは誰に対しても基本的に態度は変えない。だから突然できた兄になんて、すぐに心を開くわけないんだよ!」 「そう言われてもな……」 「どんな手を使ったんだ!」 「だから、小福に聞けって! オレは特別何もしてねーんだよ!」  何も、と理佐人は衝撃を受けたように仰け反った。そのまま石のように固まってしまったため、まあいいかと教室に入る。  小福も変なヤツに好かれたな。敦司はため息を吐きながら、自分の席に座った。  バンッ――机が叩かれ、まだ人の少ない教室に音が響き渡る。 「なんだよ。もういいだろ」 「よくない。話は終わってない!」  敦司はまたため息を吐きながら、少し顔を上げた。真っ直ぐに睨んでくる理佐人は、真剣そのもので、適当に流すのは悪いようにも思えた。けれど、本当に何も特別なことはしていない。心当たりといえば。 「……そういや、小福のいとこが今海外にいるらしくてな。よく遊んでくれた兄ちゃんらしい。それを思い出すんじゃないかって、か……母さん……に、言われた」 「何で照れてんだよ気持ち悪ぃ」 「うるせーな! まだ慣れてねーんだよ!」  顔がカッと熱くなる。  一緒に住むようになって、ぜひ母と呼んでほしいとお願いされた。今まで母を知らずに生きてきて、突然できた母をそう呼ぶのに抵抗があるのも当然だろう。それでも、嬉しそうに笑ってくれるから。少しずつでも慣れていければいいと思う。 「いとこの兄ちゃんは会ったことある。でもお前とは似てない」 「そうかよ。じゃあ知らん。兄貴が欲しかったとか、そんなんじゃねーの」 「…………」  可能性はあるな、と理佐人が呟く。  納得するのかと敦司は心の中で思ったが、口にはしなかった。そう思ってくれるならいい。変に突っ掛かって来られても困る。  登校してきた生徒が続々と集まってきて、教室が賑やかさを増していった。そこに混じるように、トイレから戻ってきた小福を目の端で捉える。小福は真っ直ぐにこちらに向かってきた。 「小福ちゃん! おはよう!」 「おはよう……理佐人くん……」  パッと表情を変えた理佐人の目には、小福しか映っていない。  わかりやすいヤツ――敦司は呆れたようにため息を吐いた。と、同時に少し興味が湧いた。見た目だけならヤンキーな理佐人が、なぜ人付き合いが苦手で目立たない小福を好きになったのか。  理佐人は仲良くなるのに一年以上かかったと言っていた。一年以上、小福を想っているのだろうか。そんな理佐人に対して、小福はどんな感情を抱いているのだろうか。 「あーちゃん」 「ん……?」 「放課後……アイス……食べに行きたい……一緒に……」 「ああ……構わないけど」  今度は小福がパッと表情を変えた。と言っても、傍目ではわかりにくい。ほんの少し目を輝かせ、ほんのり頬を染めた。しっかり見ていなければ、きっと気づかないだろう。  ちらり、理佐人を見ると、こっちは驚くほどわかりやすくハートが飛んでいた。本当にわかりすい。きっとクラス全員が理佐人の気持ちを知っているのだろう。 「小福ちゃん! 俺も一緒にいいかな?」 「……うん、いいよ……」  よっしゃっ、と理佐人がアスリートのようなガッツポーズをする。よくここまで好意を示せるものだと、敦司はやはり呆れたような顔をした。そして、そんな敦司に対して、理佐人は謎のドヤ顔だ。なぜそんな顔ができるのかさっぱりだが、この三人でアイスを食べに行くのだと理解しているのだろうか。  朝から放課後の約束か――ほんの少しだけ、敦司は笑みを浮かべた。  中学までは下校途中の寄り道は禁止されていたため、友達と遊んだり買い食いをしたりすることはなかった。高校に入れば、そういうこともできる。実は密かに楽しみにしていたりしたのだ。小福はともかく、友達と呼んでいいかわからない理佐人が一緒なことには、ちょっとばかり不満だけれども。……というか、オレが邪魔者なのでは? と思わなくもない。  そんな敦司の考えを遮断するかのように、チャイムが鳴り響いた。小福と理佐人がそれぞれの席に戻っていく。担任教師が入ってくると、自然と頭を切り替えた。 *****  昼休み――飲み物を買いに自販機の前に来ていた敦司は、窓の外から聞こえてきた声が気になり、釣られるように覗き込んだ。裏庭にあるベンチに座る、恐らくは先輩と思われる四人ほどの男子生徒と、その前に立つ眼鏡をかけひょろっとした一年生らしき男子が話をしている。敦司は買ったばかりのレモンティーにストローを挿しながら、まさかとその様子を注視した。 「おい、さっさと出せって」 「あの……もう持ってないです……」 「嘘つけよ。昨日、もっと持ってこいって言ったろーが」 「でも……お小遣いは……」 「だったら親に頼めよ!」  心が冷えていくのを感じた。クラスが和気あいあいとしているからか、どこにでもこういう奴がいるものだと忘れてしまっていた。助けてやりたいが、四人もいるとなると分が悪い。先生を呼ぶべきか――敦司が動こうとした時だった。 「いってぇ!!」  一番体格がいい男子生徒が悲鳴を上げた。手首を掴まれ、捻り上げられている。 「な、あいつ、理佐人……!?」  敦司は目を見張った。いつの間に女装したのか、完璧な女子の格好で、怒りを滲ませながら鋭い目で睨みつけていた。 「んだテメー……! 放しやがれ!」 「ダッセェことしてんじゃねーよ。年下相手に恥ずかしくねーのか」 「ああ!? 男みたいな声しやがって何だテメ……っでぇ!」 「あ、こいつ一年の女装野郎!」  先輩たちからも知られているようで。目立つしそれはそうかと思いながら、敦司はハラハラとその様子を見ていた。助太刀すべきだろうか。それとも、やはり先生を呼んでくるべきだろうか。  迷う隙もなく。体格のいい男子生徒が宙を舞った。スカートもひらりと舞った。ドスン――鈍い音が響く。見た目だけなら美人で可愛らしい女の子……なのだが。その形相は鬼のようで。リーダーがやられただけで、他の三人は逃げてしまった。あまりに情けない。  だが―― 「ほら、財布」 「あ……ありがとうございます……」  眼鏡をかけた男子生徒は、ぺこぺこと頭を下げた。理佐人は視線を逃げていった三人に向ける。 「ロクでもないヤツは、どこにでもいるけどよ……。お前も、勇気持たねーとな」 「あ……すみません……。でも僕は……君のように強くないし……」 「……戦えなんて言ってねーだろ。誰かに頼ることも勇気のひとつだぜ。俺でも構わん」  そう言って、理佐人は拳で眼鏡の彼の胸元を軽く叩いた。その言葉に安心したのだろう。緊張が解けたように、彼の顔は綻んだ。 「へぇ……」  敦司もふと笑った。いいやつではあるのだろう。男気があるというか、本当に漢って感じだ。見た目は女子に見えても、心意気は漢らしい。ますます、女装していることが不思議に思える。  小福と関係がある――のだろう。好きでやっているというわけではなさそうだった。  敦司はレモンティーを飲み干すと、ゴミ箱に放った。  何となくいい気分で教室に戻る道中、キョロキョロしている小福を見つけた。声をかけると、ほっとしたような表情で小さく駆け寄ってくる。ああ、そういえば飲み物買ってくると言って出てきたのだった。心配させてしまったようだ。 「遅かったね……迷った……?」 「んー……まあ、そんなとこ」  不安そうな顔をするから。つい、その頭を撫でてしまった。撫でて、ハッとする。同い年の女の子なのだと。けれど、小福が嬉しそうに笑ったから。まあいいか――少しの気恥ずかしさがあるだけだ。もの凄い形相で睨んでくるヤツがいるけれど。さっきより恐い顔をしているが、面倒なので無視だ。小福と一緒にさっさと教室に入る。  その後の授業中の間も、痛いほどの視線を向けられた。これは完全に敵視されてしまったかもしれない。思わずため息がこぼれる。  それは放課後になるまで続き、どこか気まずいまま小福を先頭にして歩いている。理佐人は昼休みから女装したままだ。女子の制服は自分で買ったのだろうか。  それにしても――敦司は理佐人を見た。男だと知っても、女子としか思えない。体格のいい男を投げ飛ばすくらいの筋力はあるはずだが、どうにも華奢に見えた。 「何見てんだテメェ……」  だが声は野太い。 「いや、別に。女子にしか見えねーと思って」 「あ? 何だ、馬鹿にしてんのか?」 「違ぇよ。スゲーって意味だ」 「やっぱ馬鹿にしてんだろ」  睨んでくるノリはヤンキーのそれなんだよなぁ――と、敦司は心の中で呟く。悪いやつではないことは、先程のことで理解した。それでも、このノリは面倒臭い。  考えるのも面倒になり、前を歩く小福を見た。その後ろ姿はどこか勇ましげ。普段は敦司の背に隠れるように歩いているからだろうか。アイスが好物とは聞いたが、よほど好きなようだ。  駅から十分くらい歩いたところで、女子高生が集まっているのが見えた。アイスを片手にポーズを決めている。あれが小福の言っていたアイス屋らしい。  ぐい、と小福に腕を掴まれた。小走りに急いで、女子高生の間を縫って進む。こうも女子が多いと、ちょっと居づらい。 「あー……小福」 「……?」 「オレは待ってるから、好きなの買ってこいよ」 「……あーちゃん、食べないの……?」  どこか寂しげに言われてしまうと、悪いことをした気分になる。敦司は眉尻を下げた。 「小福ちゃん。私と一緒に行こう。彼の分も買ってあげよ、ね?」  誰だお前。と言いたくなるほど、理佐人の女子らしさは完璧だった。あまりに自然で、男であることを忘れそうになるほどに。店に入っていく二人は、どう見ても仲のいい友達同士だ。  敦司はほっと息を吐くと、外にある椅子に腰を下ろした。テーブルに頬杖をつき、二人が出てくるのを待つ。周りは女子ばかりで、やはり居心地はよくなかった。  この場合、女子二人とアイスを食べに来たことになるのだろうか? と、頭を過り苦笑する。傍目ではそう見えるのは確かだろう。  ぼんやり、敦司は店先に咲いている花を眺める。 「敦司君!」  名前を呼ばれ、顔を上げる。引きつった笑顔の理佐人がいて、今呼んだのはこいつか? と思わず狼狽えてしまった。  その間に、理佐人が敦司の腕にしがみつくように自身のを絡めてくる。 「ごめんなさい、彼と一緒なの」  腕が悲鳴を上げそうなほど締めつけられ、敦司は顔を歪めた。理佐人の視線の先には、大学生らしき男が二人。ナンパされたのか、と気づくのにそう時間は必要なかった。見た目だけなら美人だ。そういうこともあるだろう。  大学生二人は、舌打ちしながら、つまらなさそうに去っていく。 「…………」 「…………」  そっと解放された。理佐人も咄嗟のことだったのだろう。気まずそうに目を泳がせている。 「……お前、何で男だってバラさなかったんだよ。その方が早かったんじゃねーの」 「……面倒な騒ぎになったら困るだろ。小福ちゃんが楽しみにしてたのに……。本当はぶっ飛ばしたかったけど……仕方ねーじゃん……!」  ずい、と敦司の前にカップが差し出された。バニラアイスにナッツが散っている。溶けるから食え、と理佐人の低い声に促され、スプーンを手に取る。 「それに、あいつらが小福ちゃんに狙い定めたらどうすんだ! あんなナンパするようなクズに!」 「ナンパとクズをイコールにするのはどうかと思うぞ」  アイスを一口ぱくり。市販のと大して変わらないだろうと思ったが、なかなか美味だ。  理佐人のを覗いてみると、ストロベリーアイスにクッキーが乗っていた。これまた可愛らしいが、理佐人の趣味なのか、女子として選んだのか。 「で、小福はどうした?」 「小福ちゃんはトッピングに夢中だ」 「トッピング?」 「ここは自分で好きにトッピングできるんだよ。だから女子に人気。その分少し値段は高いがな」 「なるほど」  女子が多いはずだ。辺りを見ても、やはり女子ばかり。そして、今この状況を傍から見ると――考えるのはやめよう。振り払うようにアイスを口に運ぶ。このまま黙ってしまうと、気まずくなりそうだ。何か話題は……と、思いついたのは、ずっと気になっていたこと。   「……なあ、お前さ、なんで小福のこと好きになったんだ?」  ブッ! と、理佐人がアイスを噴き出した。目を丸くさせ、顔は茹で蛸のように真っ赤。女子の顔というより、男子の反応だった。  しかし、この態度――まさか、バレてないとでも思っていたのか。あんなわかりやすい態度取っていたのだ。さすがにそれは…… 「な、ななななんで! そうなる!!」  あったらしい。 「逆に、何でそうならないと思うんだよ」 「それは、だって――」  ゴンッ。理佐人はテーブルに額を打ちつけた。スプーンを持つ手が震えている。突っ伏したまま、理佐人は言葉を続けた。 「……中学の時、同じクラスになって……」 「うん」 「小福ちゃん、全然笑わなくて……さ……。いじめられてたわけじゃないが、腫れものというか……扱いに困る存在、みたいな感じだった」 「…………うん」 「俺はそれが嫌で……せっかく同じクラスなんだからって、馴染ませようと色々やったけどダメで……いつも逃げられてた」 「…………」 「ある時、レクリエーションで男装女装コンテストってあって……それ、俺が選ばれたんだよ。最初は乗り気じゃなかったが……はじめて……小福ちゃんが笑ったんだ。だから……もっと……笑ってほしくて……」  言葉尻が小さくなっていく理佐人の頭から、湯気が昇っていた。  なるほどなぁ、と敦司は納得する。恋をした瞬間も、今も女装を続けている理由も、とてもわかりやすい。恐らく、理佐人の中心にはいつも小福がいるのだろう。最初は笑ってほしいから始まって、見たかった笑顔を見た瞬間――それは、理佐人にとってきらきらと輝くような光景だったのかもしれない。  ハッと、理佐人が顔を上げた。 「お前、小福ちゃんに言うなよ! 絶対!!」 「別に言わねーけど……」  あれだけ好意を向けられているのだ。小福も感じるものがあるのが当然だと思うが……どうなのだろう。 「……何の……お話……?」 「小福」 「こ、小福ちゃん!」  話は聞こえていなかったようで、きょとんと小福は首を傾げた。持っていたカップをテーブルに置き、敦司の隣に座る。チョコレートと抹茶のアイスに、苺とバナナ、ホイップクリームにマカロンが乗っていた。蜂蜜までかかっていて、なかなかのボリューム感だ。それを幸せそうに頬張る小福は、幼い少女のようにも見える。 「うまいか?」 「うん……美味しい……あーちゃんも一口食べる?」 「や、大丈夫。視線が痛いしな」 「……?」  理佐人の鋭い視線は、きっとこれからもつき合っていかなければならないのだろう。憂鬱ではあるが、不思議と、それほど嫌だとは感じない。理佐人の話を聞いたからだろうか。理由を知っているだけで、感じ方はこんなにも変わるものらしい。視線がグサグサと刺さる痛みはあるけれど。  でも――小福を見つめる理佐人は、とても穏やかだ。大切に想っているのがよくわかる。  敦司は溶けかけたバニラアイスを掬った。 「あーちゃん」 「ん……?」 「また、アイス食べに……一緒に行ってくれる……?」 「ああ」  今までで、一番わかりやすい笑顔だった。ここまで笑ったのを見たのは初めてで、それほどまでに嬉しいことなのだろうか。アイスを一緒に食べるくらいで。 「理佐人くんも……また一緒にアイス食べよう……ね」 「……! う、うん! 是非! 絶対!」  理佐人が前のめりで頷いた。こっちも嬉しそうだ。好きな女の子からそう言われたら、誰だって嬉しいだろうけれど。  小福から誘うということは、少なからず理佐人に対してプラスの感情があるからだろう。それがどんな感情かはわからないが。まあ、良かったと言うべきか。  太陽が傾いて、辺りがうっすら黄昏色に染まる。アイスを食べ終え、そろそろ帰るかと立ち上がった。 「理佐人、お前家はどこら辺なんだ」  理佐人はどこか面白くなさそうに、あっちと指を差した。敦司たちとは反対方向だ。 「じゃあここまでだな」  ますます面白くなさそうに顔を歪める。理佐人からすると、敦司と小福を二人っきりにはしたくないのだろう。 「またね、理佐人くん……」 「……! うん、また明日!」  小福の一声で、理佐人はパッと顔を変えた。手を振る小福に、笑顔いっぱいで手を振り返す。その笑顔は、可愛いと素直に思えてしまうほど、きらきらと輝いていた。女装した今の見た目だけなら、恋する乙女と言えるからだろうか。敦司は少しだけ、腹立たしく思う。 「……気をつけて帰れよ。変なやつに声かけられないようになー、リサリサー」 「お前やっぱ馬鹿にしてんだろ! んなやついたらぶっ飛ばすだけだ! お前もしっかり小福ちゃん守れよ!」  何度か声をかけられる経験してるのだろう。勇ましく、漢らしく眉を釣り上げた理佐人に、敦司は破顔した。何となく、安心する。何より小福を気にかけるところも。  風に靡く金色の長い髪が見えなくなるまで見送ると、敦司は小福に声をかけ帰路につく。小さい歩幅に合わせて、ゆっくりと。 「あーちゃん、今日はありがとう……」 「いいって。なんだかんだ、オレも楽しかったしな」 「理佐人くん、いい人だから……あーちゃんもいいお友達になれるよ……」 「……も?」 「うん……わたしの……友達って言えるの……理佐人くんだけだから……」  ん? と敦司は首を傾げた。 「友達……なんだ……理佐人と」 「うん……! いつも声をかけてくれるの……。女の子の格好も可愛くて……楽しいって、思うんだ……」 「……理佐人のこと、好き?」 「うん……! 大事な友達だから……!」  小福はほんのり頬を染めた。けれど、それは単純に嬉しさに心を躍らせているようで、恋する乙女とはほど遠いように見えた。  友達かぁ――敦司は苦笑する。今のところ、小福は理佐人に友達以上の感情はないようだ。友達といえるのは理佐人だけ。友達がどんなものかも、あまりわからずに過ごしてきたのかもしれない。これは、理佐人の気持ちも気づいていないだろう。友達として好きなのだと、そうとしか考えていないのかもしれない。  ふと、敦司は気になって小福を見つめる。 「……オレは?」 「あーちゃん……? もちろん好きだよ……! わたしのお兄ちゃんだから……!」  小福はやっぱり頬を染めて、嬉しそうに笑った。 「あ、お父さん……!」 「ん? あ、親父……」  前を歩く後ろ姿に、小福は駆け寄っていった。裾をぎゅっと掴み、嬉しそうにしている。 「……なるほど」  敦司はひとり納得した。小福は家族が好きなのだ。敦司にすぐに懐いたのも、新しくできたばかりの父親に駆け寄ったのも。家族として、小福はとっくに受け入れていたのだ。 「兄として好き、か……」  呟いた敦司は、理佐人の顔を思い浮かべる。彼の恋路は長いかもしれない。友達と家族。小福の中には、今のところそれらで占められていそうだ。  理佐人の恋を応援してやるべきか。頭の隅で考えていたが、それは小福次第だろうと思っていた。しかし、あまりに理佐人が報われないような、そんな気がして。少しくらいなら―― 「まあ、積極的に協力してやるつもりはないけど」  小福が振り返る。敦司は口元を緩めると、歩幅を大きくした。
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