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スパイ
それは、ひそかに国家の安全を守る集団。
彼らは時に危険をおかし、自分の命をかけながら、国を守るために数々のミッションに挑む。
これは、そんなスパイたちの物語。
小学5年になってから早一か月。
窓からさすぽかぽかとした陽気に身を包みながら私、天羽のぞみ(あまはねのぞみ)はベットの上で何度も読んだためにセリフまで記憶しているマンガのページをめくる。
「ふわぁ…。暇だ」
ゴールデンウイークという休暇をのびのびだらだらと過ごし過ぎて、なんだか明日から始まる日常が心配になってくる。
ゴールデンウイークが終わったらしばらく祝日はないしなぁ。
「はぁ、せめてどっか行きたかったなぁ」
ゴールデンウイークはほとんど家で時間を過ごした。出かけたのは近所のスーパーと本屋さん。まぁ、お父さんもお母さんも仕事だったからしょうがないんだけどね。
というのも、両親は4年ほど前、家の近くにカフェをオープンした。私も時々様子を見に行ったりするけど、連日お客さんであふれていて本当に忙しそうだ。
「のぞみ~?ちょっと来てくれない?」
ドアの向こうからお母さんの声が聞こえた。
いつの間に帰ってきていたんだろう。カフェもまだ終わりの時間じゃないし…。
そんな疑問を抱えながらもドアを開けてリビングを目指す。
天井がやや高く、広々としたリビングにはお母さんだけじゃなくてお父さんまでもがいた。
「今日、カフェはどうしたの?」
お父さんが座るダイニングチェアーの向かい側に腰を掛けてから聞く。
丸い姿勢で一見ひ弱そうにも見えるお父さんだけど、意外にも筋力はあったりもする。
「臨時休業だ。今日は大事な話があるからな」
「大事な話?」
なんだろう?
私がそう聞き返した瞬間、家のインターフォンが鳴り響いた。
「あっ、ちょうど来たみたいね。私、出てくるわ」
お父さんと同じく、細身で長身体型のお母さんが嬉しそうな顔でいそいそと玄関へと向かう。
宅急便…?
お母さんはよく宅急便で明らかにいらなそうなものばかり頼む。
大量の栄養サプリメントとか、健康器具とか。
どれもネットショップで頼んだようなものばかり。
…って、そうじゃなかった。
「大事な話ってなに?」
正直言ってなにも思いつかない。
カフェもうまくいってるみたいだし…。
「まだ話してなかったんですか?」
背後から声が聞こえて、瞬間的に振り返る。
そこには…。
「えっ、星川君!?」
今年に入ってからのクラスメイトの星川そら(ほしかわそら)がそこにはいた。
物静かな性格でありながらも、その整った顔立ちといつもテストで学年1位をとる頭のキレの良さから一部の女子からクールだとひそかな人気を集めている。その人気からついた名前は完璧王子。
でも、そんな人がどうしてここに?
話したことも連絡事項ぐらいでほとんどないし。
「まぁまぁ、とにかく座って。これから話すところだから」
星川君の隣に立っていたお母さんがそう言って感情がないのかと思ってしまうほど無表情な顔のままの星川君を私の隣の席へと座らせ、自分もその向かいへと移動する。
「あの…どういうこと?」
この状況を理解できてないのはまるで私だけみたいなんだけど…。
そう聞くと、お父さんとお母さんがなんだか意味深な視線を交わす。
そして「ごほんっ」と咳払いをした。
「のぞみにはずっと隠してたんだがな…」
お父さんが真面目な顔で口を開く。
その表情にどきどきと心拍数が上がっていく。
「実はお父さんとお母さん、スパイなんだ」
えっ…?
今なんて言った?まさかスパイ…?スパイってあの?
「…うそ」
「それが本当なんだ」
いたって真面目な顔でお父さんがうなずく。
「スパイって、映画とかで見る、あの重大な秘密を盗んでいくやつ?」
混乱状態になった自分の語彙力のなさを痛感しながらも、お父さんの瞳を見つめる。
「あぁ。まぁ一口にスパイといっても様々だがな」
日本にもスパイっていたんだ。そんなことを考えて気が付く。
そういえばカフェを始める前からも出張がやけに多いと思ってたけど、まさかあれもスパイの仕事だったの!?
「それで、本題に入ったらどうですか?僕だって暇じゃないんです」
「あぁ、すまんな、そら君」
星川君のトゲのある言い方にちょっとイラっとしながらも、前を向く。
そうだ。二人がスパイってだけじゃ、なんで星川君がここにいるかはつながらないよね。
でも、なんかこの流れ、嫌な予感しかしないんですけど。
「本題ってなんなの?」
私が恐怖と興味で恐る恐る口を開くと、お父さんはうむ、といったように大きくうなずいてから答えた。
「今日からのぞみもスパイだ!」
立ち上がって腕を大きく広げてお父さんが叫ぶ。
その隣でお母さんが一人ニコニコとした表情で拍手をおくる。
キョウカラノゾミモスパイダ?
きょうからのぞみもすぱいだ?
今日から私もスパイ!?
その意味を理解した瞬間、脳みそが爆発しそうになった。
「ちょ、ちょっと!どういうこと!?私がスパイって」
「その言葉の意味そのままだ。今日からのぞみはこの国を守るスパイ」
その言葉に思わず倒れそうになって、夢なんじゃないかと疑う。
でもほほをつねってみても、痛みが走る。
夢じゃない?これが現実なの?
「わ、わたしまだ10歳だよ?そんな子供にできっこないよ」
「子供じゃないと入り込めない仕事もあるし、なにより警戒されないから最近は重宝されているんだ。のぞみが10才になったら言おうと母さんと話してたんだよ。それに、なにものぞみ一人でやるわけじゃない。のぞみとそら君、二人のチームで今後は任務に取り組んでもらうからな。これはもう決定事項だ」
「というわけだから、くれぐれも足をひっぱるよな」
無表情を貫いた星川君が吐き捨てるように言葉にしてからあっという間に部屋を出ていく。
こうして私はスパイになった。
あれから一週間。
できっこない、とかなんとかスパイになることを否定しつつもあったけど、後々内心は、
うっそ!スパイ!?
なにそれ、超おもしろそう!
国守るとかアニメのヒーローみたいじゃん!カッコイイ!
とか思い始め、どんな毎日になるんだろうとドキドキワクワクしてた。
でも、実際は…。
「…はぁ」
「おい、天羽。授業中にため息なんぞつくんでない」
ため息に反応して、黒板前に立つ先生が厳しい口調で声を出した。
その声でチラチラと周りに座るクラスメイト達も視線を向けてくる。
「すみません…」
うつむき加減でそう口にして、机に置いてあるシャープペンシルを握る。
ため息だって、つきたくもなる。
だって、実際は...。
「えっ、見習い!?」
スパイのこと聞かされた日の夜、忘れていたとばかりにお父さんがそんなことを話した。
「そうだ。そら君はスパイの仕事も近くで見てきたし、関わったこともある。だが、のぞみは今スパイのことを知ったばかりだろ?だから当分はスパイ見習いってところだ」
「スパイ見習いって…。でも、どっか潜入したり、なにかやることはあるんだよね?」
そう聞いた途端、お父さんの顔があからさまに曇った。
「ま、まぁな。そりゃあ、いつかはな」
そう言って、頭をぼりぼりとかきながら、引きつった笑みを見せる。
「本当にぃ?いつかっていつなの?明日?明後日?」
「そ、それは…。まぁ、いつかだ。それより、もう寝たらどうだ?そうだ、お父さんもやることがあったんだったー」
「あ、ちょっと!」
そう言って、そのまま自分の部屋へと急ぎ足で消えて行ってしまった。
「お父さん、あんな棒読みでよくスパイできるな…」
そんなことをつぶやいたのは完全に無意識だった。
それからも何度も何度もスパイの仕事に事について聞いたけど、はぐらかされてばかりだった。
星川君もあれから特にいつもと変わらずだし…。
そう思って黒板前に座る星川君に目を向ける。
そこにはいつも通り、何を考えているのかわからない、無表情の星川君の姿があった。
相変わらず、きれいな顔してるけど…。
それにしてもまさか、星川君もスパイだったなんて。謎多き感じはしてたけど。
星川君もお父さんたちから何も聞いてないのかなぁ?
なんか、親しげな様子だったし、実は聞いてるのかも…?
そう思った瞬間、教室内にチャイムが鳴り響いた。
「よし、今日の授業はここまで。きちんと予習復習しておくんだぞー」
そう言いながら、先生が教室から出ていく。
その瞬間に、教室中の空気が緩み、クラスメートたちがわっとそれぞれの好きなように動いたり、声を出したりとする。
昼休みということもあって、その自由度はかなり高い。
よしっ、今なら…!
そう思い、勢いよく机を立つ。
「あの、星川君!」
「…なに?」
机に腰を掛けて、教科書類を整理する星川君がボソッと答える。
その顔はあからさまに面倒くさそうな表情をしている。
そんな顔されると、ちょっと傷つくんですけど。
そんなことを思いながらも、私は言葉を続ける。
「あのさ、星川君って何か聞いてたりする?スパ」
そこまで言いかけたところで、口をふさがれた。
突然ということもあって、息が止まる。
でも、それ以上に恐ろしかったのは星川君だった。
「それ以上言ったら、どうなるか分かってるんだろうな?」
「ひっ」
その顔はまさに、鬼の形相だった。
全身からその怒りがひしひしと伝わってくる。
声もさっきのように静かな声なのに、全然違う。
こっわ…。
その怒りに体が自然反応で縮こまっていく。
「はぁ…。とにかくちょっと来て」
「えっ、ちょっと…」
突然怒りが少し薄まったかと思えば、ぐいっと腕を引っ張られる。
星川君がそのままのペースで教室の出入り口へと向かうので、ついでに私の体も引っ張られていく。
ふと、周りを見てもクラスメートたちが不思議そうな表情を浮かべているのが目に入った。
な、なんなの…!?
「…ったく、お前、スパイ見習いどころか、それ以下だな。あんな人がいるところで、スパイなんて言葉を出すなんて…。足は引っ張るなと言っただろ」
「…ごめん」
腕を引っ張られたまま、人気のない倉庫裏まで連れ出されたかと思えば、腕を放して早々に正面からそんな言葉を投げられた。
まぁ、私が悪いんだけども…。
「スパイの絶対事項は周りにスパイだってばれないことだ。スパイだっていうことがばれたら、スパイとしての仕事ができなくなるし、身の危険だってある。それも、自分だけじゃなくて周りの人にもなんだ」
一見冷静そうに、でも怒りと熱のこもった声で星川君が口にする。
いかに星川君がスパイということに対して、真剣に向き合っているかどうかが伝わってくるような気がする。
「身の危険が…」
確かにお父さんもお母さんも私にスパイだってことはずっと秘密にしてた。
それはきっと私を守るためでもあったのかもしれない。
「…ごめん、本当に」
「それで?なんなの?用は。なんかあったから話しかけてきたんだろ?」
怒りも落ち着いた星川君が相変わらずの無表情に戻って聞いてくる。
「あ、えっと、これからのことパパたちから何か聞いてるかなって思って。星川君、なんだか親密そうだったし」
「スパイの仕事は突如決まることが多いから今は何も聞いてはない」
星川君がそう言い放つように、でもしっかりと言葉にする。
「そうなんだ。星川君詳しいんだね…ってそっか。もう色々やってるんだもんね。私なんか、まだ見習いだって言われちゃってさ。早くやってみたいのに。…星川君?」
私の言葉に微塵もくれずに、星川君が黙って立っている。
その表情は、風の影響でなびいた前髪がちょうど顔にかかっていて、見えない。
ど、どうしたんだろう?
「あの」
「お前は、スパイの仕事がどんなものなのか知ってるか?」
私がもう一度声をかける一歩手前で、星川君が聞いてきた。
その瞳はまっすぐで、吸い込まれてしまうほど力強いものだった。
「えっと…。潜入して、誰かの秘密を暴いたり、とか?」
「あぁ。でも、それはとてつもなく危険なことだ。わかりやすく言えば、見つかったら命の危険性のある鬼ごっこみたいなものだ。それも自分の命だけでない。そこには国としての命もかかっている」
「国としての命…」
その言葉の大きさに胸の折れてゆくような不安が私を襲う。
「仕事が失敗すれば、国として危機に陥ることだってある。お前はその重みを、スパイの仕事の重みを分かって言ってるのか?それを分かってスパイになろうとしてるのか?スパイはお前の想像しているような簡単なことでもない。楽しくやれるお遊びじゃない。スパイの仕事をなめているようなやつとは、正直一緒になんてやれるわけがない」
真剣な表情で、そしてしっかりとした強い口調でそう言い残して、星川君はそのままその場から去っていった。
私、スパイの仕事をナメていたんだ…。
私は、向いていないのかもしれない。やっていけないかもしれない。そんな大きな責任を背負える自信なんてどこにもない。
残ったのは、ナメていた自分への後悔と、これからの膨大な不安と恐怖だった。
「はぁ…」
アスファルトの硬い地面を歩きながら、そんなため息をつく。
心なしか、背中に背負ったリュックもいつもより重く感じる。
お昼に星川君と話してから、ずっとこんな感じだ。
私にしては珍しく、お弁当も完食できなかった。
お母さんになんて言おう。絶対怪しまれるよね。
「ふぅ…」
そんなことを考えて、また息が出る。
スパイの世界は私が思っていたよりも、はるかに厳しいものだった。
国を守るなんてカッコイイ!とか数時間前に思っていた自分が情けない。
こんな私にスパイなんてできるのだろうか。
特別な能力だってなにもない。
今の私には大きな責任を背負う自信なんて、ないよ…。
「これから、どうしよう…」
そんなことを言っている間に、家のドアの前に着いていた。
見習いだし、まだスパイの仕事もそんなにはやく決まらなさそうだから、時間はあるよね。
その間に、色々考えよう。
そう思い、気持ちを落ち着かせるために一度大きく深呼吸をしてドアノブを引く。
「ただいまー…って、お父さん!?」
ドアを開けた先には、なぜか腕を組んで仁王立ちしたお父さんが待っていた。
今日はカフェのお休み日だけど…。
いつもお母さんとどこか行ってるか、家でダラダラしているかの2択で、こんなところで仁王立ちして待っているような人じゃない。
一体どうしたんだろう?
そんな風に疑問に思っていると、お父さんが突然口を開けた。
「のぞみの初仕事が決まったぞ!」
「えっ、」
その言葉に、思わず声が漏れてしまう。
「おめでとー!ま、一応見習いとしての初仕事だから、練習って言ったところかもね」
「そうだな」
後ろから拍手をしながらやってきたお母さんがそう話し、お父さんが大きくうなずく。
その光景を目の前に、私の頭は混乱していた。
このタイミングで…。ど、どうしよう…。
まだまだ時間はあると思っていた分、そのショックは大きいものだった。
その感情を顔に出してはいけないと思えば思うほど、表情がうまく作れなくなる。
どうしよう…。
いつもとは違う私に気が付いたのか、お父さんが声をかけてくる。
「どうした?うれしくないのか?」
「あ…、えっと…」
なんて答えたらいいのかわからなくて、しどろもどろになってしまう。
「…まぁ、今回の仕事はそんなに難しいことでも、危険なことでもないからボランティアのつもりで一度やってみれば?」
私の感情を察したのか、お母さんが壁にもたれかかりながら、やさしい声でそんなことを口にした。
「そうだな。なんてったって仕事内容は一人暮らしのおばあさんのお手伝い!なにもそんな気にすることはない」
「一人暮らしのおばあさんのお手伝い…?」
なんでそれがスパイの仕事なのか、全く分からないけどそれくらいなら出来そう…。それが終わってから、結論を出してもいいよね。
「…うん、分かった。やってみる」
こうして複雑な気持ちを抱えながらも、とりあえず仕事を引き受けることとなった。
お線香の香りが漂う、ぽかぽかとしたあたたかい陽気が差し込む部屋の中で、小さな椅子に座る一人のおばあさんがいた。
その体は小さく見え、白髪の混ざった髪の毛は過ごしてきたその長い年月を表していた。
「あらあら、今日は来てくれてありがとうねぇ」
やさしそうな笑みを見せながら、おばあさんがゆっくりと声を出す。
「いえ、今日はよろしくお願いします」
お父さんに言われた仕事内容は、おばあさんのお手伝いをすること。
具体的には、草むしりとか、掃除、洗濯など、とにかくおばあさんの役に立つことだって言われた。
お仕事としては小さなものだけど、地域に住むお年寄りのお手伝いをすることが、結果的に国の安全につながるものだ、ともね。
まぁ、それは分かったし、せっかくだから頑張ろうとも思ったんだけど、ただ一つだけ気まずいのは…。
「よろしくお願いいたします」
隣で簡素に、かつ無表情でそう挨拶する人物。
まさか星川君もいるなんて…。
どうやら私たちはチームだからとお父さんに呼ばれて来たらしい。
嫌いっていうわけじゃないけど、あんなことがあった後だから、なんか気まずい…。
「…ということで、さっそくお願いしてもいいかしら?」
おばあさんがさっきと同じように、にこやかに微笑む。
はっ、星川君に気を取られて全然聞いてなかった!
若干そう焦っていると、星川君がうなずいた。
「じゃあ僕は庭の掃除をしてきます」
そう言って、そのまま玄関へと向かってしまった。
えぇと、私は…。
「それじゃあ、お洗濯をお願いしてもいいかしら?」
「あっ、はい。もちろん!」
おばあさんの声にそう大きくうなずいて、それから洗濯機の置かれた洗面所へと向かった。
「ありがとうねぇ。なにからなにまでしてもらっちゃって」
「いえ、お役に立てるならうれしいです」
幸せそうな吐息をもらすおばあさんの肩を叩きながら、そう言葉を返す。
ここに来てからすでに3時間。
洗濯も無事に終わり、その後の掃除もだいたい終わった。
星川君は今は物置の整理をしている。
最初はどうなるかと思ったけど、さっきからほとんど顔も合わせていない。
ほっと胸をなでおろしながら、おばあさんの肩を引き続きたたき続ける。
「この年で一人暮らししてると、なかなか手が届かないところもあってねぇ」
「そうなんですね。確かに大きなお家だし、一人で管理していくには大変そうですよね」
そう言いながら辺りを見渡す。
古いけど、かなり大きくて立派な一軒家だ。
こんな大きな家をこのおばあさん一人で管理するには少し無理があるように思えてしまう。
「えぇ。でもね、今とっても楽しいの」
「そうなんですか?」
その言葉は少し意外だった。
この大きな家に一人。小学生の私たちをお手伝いに呼ぶなんて、少し寂しい思いをしているのではないかと勝手に思ってしまっていた。
「…私、若いころは自分で色々考えて、勝手に自分の幸せを我慢することが多かったの」
そう言って、おばあさんがどこか懐かしい記憶を思い出すような顔をする。
「でもね、この年になってから初めて一人になって。誰かに迷惑をかけることも、なにも無くなって、その時初めて自分のやりたいことを考えたの。それからはもう、やりたいことを好きなだけやれて、もっと早くからやれば良かったって思ったわ」
そう言って、おばあさんが今日一番嬉しそうな、幸せな顔をする。
「だからねあなたも、もしやりたいことがあるなら、やってみたほうがいいと思うわ。自分が一番やりたいことは、自分が一番知っているはずだから。失敗したら、それから考えたらいいのよ」
フフッという笑みを付け加えて、おばあさんがそう口にした。
「あの、どうしてそんなことを…」
「なんとなく、重なって見えたのよ。昔の私と。おせっかいだったかしら?」
「あっ、いえ、全然!」
そう手を横に振ってから、おばあさんの言葉を考える。
私が一番やりたいこと…。
それって、一体なんなんだろう…。
「うぅん…」
考えながら、自分の過去を思い出していく。
私のこれまでの人生は、いつだって幸せでワクワクしていた。
初めて動物園に行ったら、行く途中でクマに遭遇したり、はたまた遊園地に行ったら1万人目のお客さんに選ばれたり。
もっと幸せで、ワクワクできることがあるのなら…。
それって、やっぱり…。
ううん、まさか。そんなはずはない。
「…って、おばあさんは!?」
気がつけば、目の前に座っていたはずのおばあさんの姿が消えていた。
どこ…?
そう考え、立ち上がってウロウロ探してみる。
「…で、なので、お買い得です!」
「あらぁ、そうなのね」
…ん?話し声?
どこからかおばあさんと誰か男の人の話し声が聞こえてきた。
声の元を探して、玄関へと向かう。
「おばあさんー?」
「あらっ、ごめんなさいね。あなた何か考えてみたいだから」
玄関には、ピンクのマットの上で正座をするおばあさんの姿と、その正面に立つ、スーツ姿の40代くらいに見える一人の男の人の姿があった。
男の人の持つクリアファイルには、『株式会社カナカサ』と書いてある。
誰だろう…?
知り合い…って感じではなさそうだし。
そう思っていると、男の人が口を開いた。
「それで、どういたしますか?とてもお買い得となっておりますが…」
「お買い得?」
その言葉につい反応して聞き返してしまう。
しまった。お母さんのお買い得に対しての反応速度がいつも早いから、完全に影響されてる…。
「えぇ。なんだかお安いみたいでね。新井田さん、お布団を売りに来てくれたのよ」
そう言うおばあさんの手元には、新井田と呼ばれる男の人から渡されたであろう布団の広告があった。
気になって私ものぞいてみる。
えーっと…、特別価格。今回限りのお値引きでなんと半額。一枚なんと
「ひゃ、百万円!?」
その値段の高さに思わずそんな声を出してしまう。
百万円って。そんなまさか。
高級なお布団だとそれくらいするの?いいや、まさか。
「確かに少し高額であるとも思われがちなんですが、実はこのお布団はダニがわかない画期的な商品なんです。従来のお布団ですと、やはり天日干しなどをしてもダニが残ってしまい、その影響で病気になられる方も多いんですよ。ですが、うちの商品はダニがわきませんから、そんな心配がいらずに安心して眠ることができます。病気になることを考えましたら、このお値段も高いものではないと思うんですがね…」
新井田さんが、表情豊かにそんなことを話してくる。
なるほど。それはすごいのかも!
でも、なんかこの話、聞いたことがあるような…。
そう思っていると、玄関の引き戸がガラッと開いた。
「ダニが原因で病気になるなんて、確率的には稀なことです。天日干しや家庭用の掃除機でダニは十分に取れます」
「星川君…!」
長靴に軍手という恰好でありながらも、いつもの無表情でさらに言葉を続ける。
「おばあさん、これは不当な商品を高額で押し付ける、いわゆる押し売りです。この人にはさっさと帰ってもらったほうがいいです」
その言葉を聞いた瞬間ハッとした。
そうだ。この間テレビで、ダニがわかないというウソの商品を高い価格で買わせる人がいるから注意してって言ってたんだ。
あぶない、私まで納得しかけてたよ…。
「そ、そんな押し売りだなんて…。子供の言うことは簡単に信じないほうがいいですよ」
ピクピクと顔を引きつらせながら、新井田がおばあさんに向かってそう言う。
「うぅん、でもねぇ…。この子たちは私のお世話をしてくれているわけだし、無視することなんてできないわ…」
申し訳なさそうな顔を浮かべながら、おばあさんがそう口にする。
その言葉を聞いて、ほっとする。
よかった。これなら、もう帰ってくれるよね。
だけど、私のその安心は一瞬で砕け散った。
「でしたら、無料契約でいかがでしょう!無料で試していただければ、うちの製品が正しいことを分かってもらえるでしょう」
「あら。無料なの?だったら、契約しようかしら」
「えぇ!ぜひ。では、ここにサインをおねがいできますでしょうか?」
無料…!?
突然の話の転換についていけなくなる。
ど、どういうことなの?
私の混乱も無視して、新井田がおばあさんに一枚の紙とペンを手渡した。
すると、すぐさまそれを確認して星川君が声を上げる。
「待って、おばあさん!この契約は」
「ささっ!どうぞどうぞ!」
しかし、その声をかき消すかのように、新井田がひときわ大きな声を上げた。
「ほ、星川君?」
訳が分からず、星川君につい助けを求める。
すると、星川君が近くまでやってきてこそっと耳打ちをしてきた。
「契約書には、最初の2週間は無料だがその後は月々30万円のレンタル料がかかると書いてあるんだ。しかも、3か月が経つまで契約は解除できないとも。つまり、無料だとかいってるけど、本当は90万円支払わないといけないってことなんだ」
「90万円!?」
それって、結局布団を買うのと同じじゃん!
「なんとか、おばあさんにそれを伝えるか、せめてあの紙を奪うことができれば、90万円を払わなくてよくなるんだけど…」
じゃあ、な、なんとかおばあさんにそれを伝えないと。
えぇ!でもどうやって!
だが、そう思った時点でおばあさんはすでに契約書に自分の名前を書いてしまっていた。
「はい、これで契約成立となります。来週には布団をお届けに参りますね」
おばあさんから紙を受け取って、新井田が笑顔でそう言う。
ど、どうしよう。このままじゃ、おばあさんが悲しい思いをしちゃう。
『今とっても楽しいの』
そう口にしていたおばあさんの笑顔を思い出す。
あの笑顔を失ってほしくない!
「それじゃあ、失礼いたしました」
早口でそう口にして、急ぎ足で帰ろうと引き戸に新井田が手をかけた瞬間、気が付けば私は慌てて男の人に向かって突進していた。
「うわっ」
「きゃあ!」
そして、そのまま衝突してお互いしりもちをついた。
「いったぁ…」
その衝撃でひりひりとおしりが痛む。
「おい!何してくれてんだよ!」
おしりをさすりながら、なんとか立ち上がろうとすると、新井田が顔を真っ赤にしてそう叫んだ。
見ると、ぶつかった勢いでなのか、新井田の持っていたかばんから大量の紙があふれ出していた。
「す、すみませんっ!」
その怒りの表情に慌てて謝りながら、書類を拾おうと手を伸ばす。
「勝手に触るな!」
だけど、ものすごい剣幕で怒られてしまった。
「す、すみません…」
私がそう謝っている間に、新井田が素早く書類をかき集めて、そのまま手に持った。
「それじゃあ、失礼しました!」
そして、そのまま引き戸を開けて駆け足で出て行ってしまった。
開いたままの扉から、ふわっと初夏のにおいのする風が吹き抜ける。
「なんだか慌ただしい人だったわねぇ…」
ふぅ、と一息つきながらおばあさんがそんなことを言う。
「そうですね」
その言葉に返答しながら、私はようやく体を起こす。
手には玄関の床に触れてしまったときの土がついてしまっていた。
結局あの紙は…。
そこまで思ったところで、星川君が口を開いた。
「お前、なにやった?」
その瞳は以前のようにまっすぐ私へと向いている。
「な、なにって。私は別に何も…」
「んなわけないだろ。あんなぶつかり方。正直に言えよ」
「二人とも、どうかしたの?」
星川君に加えて、おばあさんまでもが聞いてくる。
その瞳は星川君とは違って純粋無垢なものだけど。
「うぅ…。実は…」
二人を前にもう隠しきれないと観念し、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出して星川君に渡す。
雑に入れていたからか、紙はすでに多くの折り目が付いてぐしゃぐしゃになっている。
「これは…!」
「あらっ、これって」
それを見た瞬間二人の目が見開かれる。
驚くのも無理はないだって…。
「あいつが持ってったはずの契約書の紙…!?」
そう、おばあさんがサインしたあの契約書だった。
「あなた、どうしてこんなことを…?」
訳が分からないといった顔でおばあさんが聞いてくる。
「おばあさん、ごめんなさい。実はこれ、無料なのは最初だけで、本当は90万円払わないといけないんです。だから契約しちゃったら、おばあさんが悲しい思いをすると思って…。それで、ぶつかった瞬間に隙を見てこの紙を盗みました…。ごめんなさい」
精いっぱいの気持ちを込めて頭を下げる。
すると、おばあさんは一度驚いたような顔を見せて、それからすぐにふっと笑った。
「…そうだったのね。ありがとう。危うくだまされるところだったわ。感謝してもしきれないわねぇ」
「えっ、そんな!…私、ただおばあさんの笑顔が好きだから。だから、ずっと笑顔でいてほしいと思って…」
感謝されるとは思いもしなくて、びっくりしたのと同時にどこからかうれしさみたいなものがこみ上げてきた。
心がじんわりと温かい感じがする。
人から感謝されるって、こんな気持ちになるんだ。
その感触に思わず笑みがこぼれる。
「あっ、そうだったわ。二人にお菓子を用意していたの。今日のお礼もかねて受け取ってちょうだい。えっと、確かキッチンに…」
そう言ってそのままおばあさんは玄関から消えて行ってしまった。
よかった。勝手にあんなことしちゃったけど、気にしていないみたい。
ほっとしたのもつかの間、星川君が鋭い目で聞いてきた。
「お前、あんな技術どこで習得したんだ?到底一般の人ができるわけない。誰にも気づかれずに人から物を盗むなんて…」
「あ、えっと、昔からよくお父さんたちが教えてくれたんだけど…。えっ、これってそんなに珍しいものなの?」
私の答えに、目を丸くしている。
相当変なことでも言ったっけ?
「なるほど、確かにあの人たちなら教えそうだけど…」
星川君があきれたようにため息をつく。
その様子を見て、ハッとした。
「えっ…。まさか私って気づかないうちにスパイになるための訓練をさせられていたってこと!?」
思い返してみれば、幼いころからすれ違った人からものをこっそり取る方法とか、ちょっとした鍵開けとかを教えられてきた記憶がある。
ほかにも世間一般の親が教えてくれないようなことをまぁ、色々と。
なんかほかの家とは違うなぁ、とはほんのり思ってはいたけどまさかそんなに珍しいことだとは思ってもいなかった。
しかも、スパイになるための訓練だったなんて。
これっぽっちも思いもいなかった。
「…ということは、私にはスパイになるための能力はある程度あるってこと?」
私には特別な能力なんて何にもないって思っていたけど、実は知らないうちに備わっていた。
お父さんもお母さんも最初から私をスパイにするつもりで…。
つまり、スパイになるかどうか決めるのは私がスパイをやりたいかっていうことだ。
「…それで、お前どうするんだ?スパイの仕事やるのか?」
「それは…」
ウソをつけないようなまっすぐすぎる瞳をぶつけられる。
私は、どうしたいのだろう。スパイの仕事、やりたいのか、どうなのか。
『自分が一番やりたいことは、自分が一番知っているはずだから』
さっきのおばあさんの言葉を思い出す。
初めてスパイの仕事を聞いたときはすごくびっくりして。
それから星川君と話して、スパイの仕事がいかに大変か、多くの責任があるのかを知って、自分がスパイの仕事をなめていたことに気が付いて…。
けど、人を助けて、感謝される気持ちを知って…。
私は…。
「…やるよ、スパイ。私、もっとたくさんの人がずっと笑顔で暮らしてほしいもん。みんなの笑顔を助けたい」
スパイの仕事は私には想像できないくらい大変なことがたくさんあると思う。
でも、それ以上に笑顔を助けたい気持ちが、スパイになりたいって気持ちが大きいんだ。
そう答えると、星川君は初めて二っと口角を上げた。
「なるほどな。…じゃあ、これからよろしく」
そう言って、手を差し出してくる。
星川君の笑顔なんて、初めて見た…。じゃなくて!
ハッと我に返って、私も右手を差し出す。
手と手が重なって、グッと力が入る。
温かくて、力強い感触がそこにはあった。
「うん、よろしく!」
こうして、私たちはスパイへの道を進み始めたんだ。
「ただいまぁ」
そんな声を上げながら、家への扉を開ける。
楽しかったけど、おばあさんの家のお手伝いは思ったよりも重労働で体がぐったりとしている。
一刻も早くソファに寝そべりたいんだけど…。
「お邪魔します」
そう声に出して家に入ってくる星川君を横目に、さっきのお父さんとの電話を思い出す。
『大事な話があるから、そら君と一緒に家へ帰ってきなさい』
大事な話って一体何なんだろう?
電話で聞いても教えてくれなかったし…。
そう思いながら、靴を脱いでリビングへ入るとお父さんとお母さんが待っていた、といった表情でこちらに近づいてきた。
「二人とも、ついにスパイの仕事がきまったぞ!」
「しかも、次は練習じゃなくて、ちゃんと本番ね」
まるでどこかで練習してきたんじゃないかと疑いたくなるほどわざとらしい感じで二人がそう言ってくる。
「えっ、本当?」
「あぁ。もっちろんだ!」
お父さんが腕を組んで深くうなづく。
一体どんな内容なんだろうか…。
緊張と楽しみのドキドキが重なり合う。
「まぁ、二人ともとにかく座って」
「うん」
「失礼します」
お母さんの声と共に、私たちは前回と同様にダイニングチェアーに座る。
前と違うのは、私たちがスパイだってこと。
「それで、仕事内容は何ですか?」
「あぁ」
そううなづくと、お父さんはごほんっと大きく咳払いをした。
その隣で、お母さんがにじみ出るほどワクワクといった表情で笑っている。
なんか、二人とも、私たちよりも楽しんでいる気がするんだけど…。
そう心の隅で思いながらも、お父さんの方へと視線を向ける。
「二人とも、オレオレ詐欺って知ってるか?」
オレオレ詐欺?
一体何を言い出すんだろうか?
困惑しながらも、何とか口を開く。
「うん、確かおばあさんとかおじいさんに、子供のふりをして電話して、嘘を言ってお金をだまし取るやつだよね?」
「あぁ、そうだ。実は最近オレオレ詐欺の被害が急に増えて、しかもそのお金の金額もかなり高いのを請求してくるやつが多くなっているんだ」
「そういえば…」
前々からオレオレ詐欺は多いとは聞いていたけど、最近テレビでその単語を聞く回数がかなり多かった。
「そして、俺たちが調べたところ、その原因はどうやらこの会社にあるみたいなんだ」
そう言って、お父さんがノートパソコンの画面を私たちに見せてくる。
そのページには、100メートルはある大きなビルの写真と共に『お客様を第一に』という文字がでかでかと写っていた。
そして、ページの一番端っこには…。
「株式会社カナカサ?」
その文字を見て、首をかしげる。
なんか、聞いたことのあるような…。
「これって、確か布団の販売で有名な会社ですよね。不当な商品を高額で売りつける押し売りの」
その冷静な星川君の説明でハッとした。
「これって、さっきの…!」
思い出した。
あの男の人が持っていたクリアファイルにこの会社の文字が印刷されていたんだ。
「さっき?鈴木のおばあさんの家で何かあったのか?」
事情を知らないお父さんが首をかしげて聞いてくる。
「あぁ、はい。実はさっき…」
お父さんの質問に星川君がさっきおばあさんの家で起きた出来事を簡潔に話した。
「…というわけなんです」
「ふむ、なるほどな…。にしても、二人ともよくやったな。押し売りを未然に防ぐなんて。スパイ見習いにしては大したものだ」
「えへへ…」
嬉しくて、思わずそんな声が出てしまう。
まぁ、最後の一言はちょっと余計な気もするけどね。
「ん?でも、布団の会社がオレオレ詐欺となんの関係があるの?」
普通に考えれば、布団とオレオレ詐欺なんて関係ないように思える。
「実はな、最近ここの会社がオレオレ詐欺を新たに始めたらしいんだ」
「えっ、布団の会社が?」
布団の会社なのに、オレオレ詐欺なんてするのだろうか。
「あぁ…。ここの会社、カナカサの社長は昔からかなりのワルイ奴でな。前々から盗まれた宝石の売買とか、偽物の美術作品を売ったりしていたんだ。布団の押し売り販売もその一つで、そもそも布団会社をつくったのも、これらの犯罪をカモフラージュするためだったんだ。そして、最近オレオレ詐欺を始めたってわけだ」
「なにそれ!ひどい!」
信じられない!そんなことをして許されるの!?
「もちろんこれらは立派な犯罪で、許されるものじゃない。ただ、証拠になるようなものをなかなか残さなくて警察も手が出せないんだ」
「そんな…。でも、このままじゃ、詐欺にあう人が増えてみんな困っちゃうよ!」
詐欺にあうことで、みんなの笑顔が失われてしまうかもしれない。
悪い人だけが得をするなんて、そんなの絶対間違ってる。
「そうだ。そこで、スパイの出番だ」
そう言ってお父さんは悪そうに、にやりと笑う。
隣でお母さんもフフフと声を出しながら笑っている。
なんか、二人とも今日は本当に楽しそうなんだけど。
「普段カナカサは厳重なセキュリティシステムがあって、部外者だけでなく関係者でさえも、なかなか入ることができないんだ。だが、今度どういう風の吹き回しか子供用の布団を売る目的で、会社で子供モニターを実施するそうなんだ。しかも、めったに表舞台に顔を出さないカナカサの社長も参加するそうなんだ。まぁ、見せかけの会社の印象向上のためと、子供なら会社の中に入れても大丈夫だと思ったんだろうな」
なるほど。
確かに子供だったら、特になにもしないって思うよね。
「そこで、ここからがミッションだ。お前たち二人がモニター参加者として会社に潜入し、会社内のどこかにあるオレオレ詐欺の犯罪拠点に行き、そのどこかに隠された証拠を見つけて盗んでくるんだ」
「証拠?」
「あぁ。まぁ、いわゆる詐欺の手順書だな。それさえ持ってきてくれれば、あとはこっちで処理をする」
それさえ持ってきてくれれば…って簡単に言うけど、それってすっごく難しいことなんじゃ…。
証拠を盗むのだってそうだし、モニターとしていったのに、それを抜け出して犯罪拠点を見つけるだなんて…。
入るのにもそんなに厳重なセキュリティなら、中はもっとすごいよね。きっと。
だけど、その私の心配も無視して星川君がマイペースで返事をした。
「なるほど。分かりました」
「ちょ、ちょっと待って!そんな簡単に引き受けちゃうの!?証拠を盗むとか、拠点を見つけるとか…。難しすぎるんじゃないの?」
「まぁ、簡単ではないことは確かだね」
さも当然かのように、あっさりとそんなことを言う。
なんか、すっごく心配なんだけど…。
「ま、そら君と一緒なら大丈夫だろ」
「そうね」
お父さんとお母さんが星川君を見てうなずきあう。
「それって、どういう意味?」
「そら君は現場には行ったことはないが、実際の計画を立てたことは何度もあるからな。それに、そら君は子供のスパイの中でもその実力はトップレベルで大人にも匹敵する実力の持ち主だ。そこにのぞみのやる気が加わればなんとかなるだろう」
星川君がどれだけすごいのかはなんとなくわかったけど、なんとかなるだろう…って。
いい加減過ぎない?
それに、わたしの存在意義ってやる気だけなの!?
「それに、ラボのメンバーもいるからな。安心しろ」
「ラボ?」
「あぁ。そら君、明日のぞみをラボまで案内してくれないか?二人で行ったほうが、計画も立てられていいだろう」
「…分かりました。お二人のお願いなら」
あからさまに嫌そうな顔で星川君がうなずいた。
むっ。さすがにそんな顔をされると嫌なんですけど…。
まぁ、でもこれで正真正銘のスパイデビューだ。
うぅ、緊張するけど、ちょっと楽しみかも。
「うぅ…」
街を人に押しつぶされそうになりながらも、なんとか前に進む。
周りには大きなビルがたくさん並んでいて、空が狭く思える。
本当にこんなところにスパイに関係するものがあるの?
昨日、ラボを紹介してくれることになってから、星川君の提案で人通りの多い中心街で待ち合わせをした。
てっきり、待ち合わせしやすい中心街で待ち合わせして、それからもっと人の少なさそうなところへ行くんだと思ってたのに…。
辺りを見回しても、人、人、人。
前を歩く星川君についていくのにでさえ、大変だ。
でも、それよりも心配なのは…。
「…おぇっ」
前を歩く星川君は人混みに埋もれて、いつもよりも小さく見える。
その顔はもう真っ青で、その辛さがひしひしと伝わってくる。
どうやら人混みが苦手らしい。
完璧王子な星川君にも苦手なものがあったんだぁ。
そう感心しながら、必死に進んでいると星川君が声もかけずに、少し人通りの少ない路地裏の方へと曲がってしまった。
いったん休憩かな?
そう思って、私も道を曲がる。
「星川君、だいじょ」
「いいからついて来い」
言い終える前に、ぶっきらぼうにそう言って、そのまんま進んでしまう。
顔は相変わらず辛そうなのに、口だけは元気だなぁ。
星川君のこの態度にもだんだん慣れつつある。
すると、星川君はまたもや声もかけずに近くにあった、公衆電話のある透明なボックスの扉を開いた。
電話かな?
…にしても、携帯電話持ってないのかな。かなり不便だよね。
そんなことを思っていると、星川君がジッとにらみつけてきた。
「おい、さっさと来いよ」
「えっ」
この狭い公衆電話の中に?
そんな私の疑問も無視して、星川君が無理やり引っ張ってきて中へと入る。
ギィィという音とともに、扉が閉まるとその狭さがいっそう強く感じられた。
せまいし、近い!
だけど、そんなことも知らないというように星川君がズボンのポケットからなにかカードを取り出して、電話のカード口に入れた。
そして、電話のボタンを押していく。
やっぱり電話?
そう思っていると、ジーッツ!どこからかそんな機械音みたいなのが響いて、バンッ!
「えっ、」
足元の床が突然開いた。
お、落ちる!
そう思ったのも、一瞬。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
そのまますぐに私の体は真っ暗闇の中へと落ちていった。
ドンっ!
そんな鈍い音がして、目をぎゅっと閉じた。
その瞬間、どこかに落下したような感覚とともに全身に衝撃が走った。
「ぎゃっ!」
おしりが少しひりひり痛む。でも、落下した割には痛みはその程度だった。
どこかマットみたいなものに沈んでいるような感覚がする。
どうやら無事みたい…?
ゆっくりと目を開けていく。
そこには、真っ白な壁が明るい照明に照らされた大きな部屋が広がっていて。よくわからないたくさんの機械や大きなモニター画面、さらに20人くらいの人がいた。
「どこ、ここ…?」
「ここが、スパイの主な活動拠点のラボだ」
隣から声が聞こえてきて、振り向くとそこには平然とした顔でマットの上に立っている星川君の姿があった。
「スパイの活動拠点?ていうか、今の落下なんなの!?」
「あら、そら君言ってなかったの?」
予想だにしないことばかりで、パニックを起こしかける私に新たな声が降り注がれる。
視線を上げると、白衣に身を包んだ20代くらいの茶髪ショートヘアがよく似合うかわいらしい女の人がにこやかな表情で私に手を差し出してした。
「あ、ありがとうございます」
女の人のやわらかい手に、私の手を重ねて立ち上がる。
「まぁ、言っていないのもそら君らしいじゃないかっ!それに人生にハプニングはつきものだっ!」
「ふえっ!?」
そう言いながら、奥から同じく白衣に身を包んだ男の人がやってきた。
その顔にかけられたメガネはなぜか七色にピカピカ光っていて、そのせいで年齢が全く分からない。
な、なんなの。あの眼鏡…。
「あっ、こんな奴が来たらびっくりさせちゃうじゃない。ごめんね、のぞみちゃん」
「えっ、私の名前…」
言ってもいないのに、わかるなんて…。
まさか、超能力者!?
「あぁ、天羽先輩…のぞみちゃんのお父さんたちから聞いたの」
「私の両親のこと知ってるんですか?」
そう聞くと、女の人は顔をうっとりとさせて語りだした。
「もちろん。二人ともスパイ界では一目置かれる存在なのよ。のぞみちゃんのお母さんは変装の達人で、男女関係なく誰にだって一瞬で変装できる。しかも、そのあふれる魅力で数々の人間をとりこにしてきたのよ!対してお父さんはアクションの達人で、その力技で数々の人間をなぎ倒したり、壁を上ったり…。真似をできる人なんて、だれ一人としていないのよ!」
変装の達人に、アクションの達人!?
しかも、数々の人間をとりこにしてきたり、なぎ倒したりって…。
初めて知る両親の顔に困惑してると、女の人がハッとして、申し訳ないような表情を見せた。
「ご、ごめんね。私が一番困らせちゃったよね。えっと、私の名前は佐倉みやび。こっちの人が溝端太一」
そう言うと、隣の男の人が腕を組んで、おおきくうなずいた。
「私たちもあなたたちと同じ、ペアでスパイなの。まぁ、基本的にはここにいることが多いけどね」
「あ、あの、ここって一体何をする場所なんですか?それに、さっきの落下は一体…」
疑問点が多すぎて、質問が止まらなくなってしまう。
それを聞くと、佐倉さんは失笑してから口を開いた。
「だよね。もぅ、やっぱり説明しなかったから困っちゃってるじゃない。えぇっと、ここはねスパイが活動するための準備の場所で、まぁ、スパイの会社みたいなものかな。一応他にもいくつかあるんだけどね。通称、ラボって言われているの」
その言葉で辺りをきょろきょろと見回すと、多くの人たちが忙しそうに動いていた。
つまり、この人たちみんな、スパイってことだよね。
なんか、すごい…。
「スパイの仕事って、基本的に秘密にしないといけないことだから、ここの場所のことがばれちゃうと困っちゃうでしょう?だからさっきの公衆電話みたいに、ほかの人からはわからない秘密の入り口をつくって、そこからラボに入ってくるの。本当なら、先に言っておくべきことなのにごめんね」
そう言い終えると、佐倉さんはキッと星川君をにらみつけた。
そのにらみを受けて、あの星川君が苦々しい顔つきをする。
「…悪かったと思ってますよ。それより、早く今回の計画について説明してくれませんか?」
「はいはい。えぇっと、今回みたいな潜入ミッションの時にはここのラボのメンバーが調べた情報をもとに計画を立てていくの。そら君もこないだまではラボのメンバーで、よく天羽先輩のお手伝いを一緒にしたのよ。そら君、頭もキレるし機械にも強いからね。まぁ、態度は悪いけど」
「あ、ちょっと佐倉さん。そんなこと、いいですから」
にやにやと話す佐倉さんに、星川君がキレ気味に声を出す。
でもその声の感じは私にしたみたいに本当に怒っている声じゃなかった。
なんか、星川君の意外な一面を見ちゃったかも。
にしても、星川君がお父さんたちと仲良さげだったのは納得できた気がする。
「それじゃあ、さっそく今回の計画について説明していこうっ!」
雰囲気をぶっこわすように、溝端さんがテンション高く両手を広げる。
「あぁ、もう、あんたは黙ってていいから!二人が知りたいのはやっぱり、オレオレ詐欺の犯罪拠点のことと、隠された証拠のことだよね?」
「あと、子供布団モニターの内容も知りたいです。どこで抜け出せるポイントがあるのか」
確かに。
モニターを抜け出せる時間なんて、あるんだろうか?
「そうね、モニターの内容自体はいたって普通なものよ。布団の作り方などを学んで、実際に布団で寝てみたり。まぁ、抜け出せるポイントがあるとするなら、宝探しゲームかしらね」
「宝探しゲーム?」
なんじゃそりゃ。なんだかとても、悪いことをしている会社とは思えない内容だけど…。
「子供しかいないから完全に油断してるのか、会社内に隠された宝箱を探すっていうゲームがあるらしいのよ。確か二人一組でのゲームだからその時に行動したらいいわ。まぁ、監視の大人は1人2人ついているだろうから、それをどうにかした後でね」
「どうにかって…」
監視の人なんて、絶対強いよね。
そんな人をどうにかするだなんて、一体どうすれば…。
走って逃げるとか?
いや、追いつかれそうだし。倒すなんて、絶対無理だよね。星川くんも正直強そうには見えないし…。
「わかりました。考えておきます」
いつも通りの冷静な顔で星川君が答える。
ちょ、ちょっと!って、言いたくなるけど…。
グッと気持ちをこらえて、くちびるをかむ。
みんな、星川君を信じてる。ラボの人たちも、私のお母さんやお父さんも。
私も、信じないと。
「それじゃあ、次に犯罪拠点と証拠のありかについてなんだけど…」
そう言うと、佐倉さんはなぜか顔を曇らせた。
どうしたんだろう?
「あの…、どうかしたんですか?」
「あ、ううん。ちょっとね…。えっと、犯罪拠点については複数の社員がその場所の書かれたメモを持っているらしいの。誰が持っているかは分からないけど、確実に持っていると思われるのは社長かな」
そっか。そりゃ、一番偉い人なんだから持ってそうだよね。
そういえば、お父さんがモニターには社長も参加するって言ってたっけ。
「じゃあ、その紙を盗んだら犯罪拠点が分かるってことですよね?」
もっと探さないといけないのかと思っていたけど…。
なんだ、思ったよりも簡単そう。
「ん?」
ジトっとした視線をぶつけられているのに気が付いて隣を見ると、星川君が口を開いた。
「お前…、ずいぶんと簡単そうに言うな。自分じゃ一番普通とか思ってそうだけど、全然普通の小学生じゃないからな」
「わかってるってば!」
とはいえ、普通じゃないことに気が付いたのなんてつい最近なんだから大目に見てよね。
そんなことを思っていると、また佐倉さんの表情が曇っていることに気が付いた。
次はさっきよりも、なんだか重たい感じがする。
さすがに尋常じゃない空気を感じて、声をかける。
「あ、あの大丈夫ですか?」
「あぁ…。えっと、実はね犯罪拠点の場所は紙を見ただけではわからないらしいの」
「えっ、じゃあどうしたらわかるんですか?」
そう聞くと、佐倉さんはとても言いづらそうな顔をした。
えっ、何なんだろう…。
その表情に圧倒的な不安を覚える。
一体…。
そこまで考えた時、溝端さんがバッと前へと出てきた。
「それは、イッツ謎解きだぁぁぁぁ!」
「な、謎解き!?」
溝端さんの七色に光る眼鏡の光に、目をくらませながらそんな声を出してしまう。
ちらり隣を見ると、さすがの星川君も目を見開いて驚いた表情を見せていた。
謎解きって、暗号を解いて答えを探す、あの謎解きだよね?
なんでそんなものが、詐欺の犯罪拠点の場所に使われてるの!?
「一番の目的はたとえ落としたりとかして、紙が見られても拠点の場所が簡単には分からせないようにするためなんだと思うの。それと、社長が大の謎解き好きっていうのも関係してるんでしょうね…」
苦笑しながら、佐倉さんがあきれたような顔をする。
確かに、理屈としては分かるような気もするけど、謎解きって…。
「…それと、証拠の入ったロッカーを開けるための鍵も謎解きらしいのよ」
ふぇぇぇぇ。
ど、どんだけ謎解き好きなの!?
「つまり!このミッションの成功へのカギは謎解きってことだな!はっはっはっはっ…ってイテっ!」
声高に叫ぶ溝端さんの頭を、佐倉さんが真顔でこぶしをぶつける。
ガンっと鈍い音とともに、溝端さんが倒れこむ。
「ごめんねぇ。まぁ、私たちからの情報はこんなところかな。あとは、二人で頑張ってね!」
そう言って、佐倉さんがびっくりするくらいの、とびっきりの笑顔を浮かべる。
「は、はい…」
倒れこむ溝端さんと、突然の終わりに困惑しながらもなんとか返事をする。
こうして、私たちはラボをあとにした。
「ふわぁ、ついに来ちゃったよぉ…」
目の前にそびえたつ高いビルを見上げて、そんなことをつぶやく。
あれから約1週間。
星川君の提案をもとに綿密に計画を立てた。
計画はラボのみんなにも見てもらったし、どっからどう見ても完璧。
だから、大丈夫なはず…なんだけど。
ビルの前におかれた石製看板には、『株式会社カナカサ』の文字。
その周りは屈強な体をした何人もの警備員が囲っていて、厳重そうな警備体制が一発で分かる。
やっぱり、
「緊張してるのか?」
「えっ、あっ、だ、大丈夫だよ」
いつも通り表情でそんなことを聞いてくる星川君に若干驚きながら、私もなんとか平然を装って答える。
だけど、その答えとは裏腹に、その声は裏返っていた。
いつの間にか手も小刻みに震えている。
うぅ…、なんか私らしくない。
「大丈夫だ。僕の立てた計画は完璧だから心配することはない。それに、なにかあっても僕がついてる」
「えっ…」
これが少女漫画ならば、ときめきそうなシーンだけど…。
私をおそった感情は、困惑だった。
な、なに今の?星川君らしくないっていうか…。
いまだドヤァと顔に書かれていそうな星川君を見て思う。
ていうか、僕の立てた計画って、私も計画はいっしょに立てたんだけど。
…まぁ、でもなんか突っ込むのも面倒くさいし、こんなにドヤ顔してる時に言ったらかわいそうだから黙っとこうかな。
いつもよりはなんだか接しやすい気もするし、星川君も本番直前でテンション上がってるんだよね。きっと。
「あぁぁぁぁ…、うん、ありがとー」
とはいえ、その困惑が強くて思わず棒読みになってしまう。
うぅ…。とにかく頑張るしかないよね!
緊張してたのに、いつの間にか肩の力がぬけていた。
「おし!じゃあ、行こう!」
大きく深呼吸をして、ビルに向かって歩き出した。
星川君も後ろからついてくる。
と、
「あぁ!ストップ、ストップ!君たち、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。さぁ、帰った帰った」
ビルの前に立ちはだかった警備員のおじさんに、軽くあしらわれてしまう。
「私たち、今日は子供モニターで来たんです。ほら、参加チケットも持ってきました」
ポケットから二つ折りになった厚紙を取り出して見せる。
そこには、『株式会社カナカサ 子供向け布団モニター参加者』という文字と『佐藤愛 佐々木太一』という私たちの偽物の名前が書かれている。
念には念をと、今日は偽名を使うことになったのだ。
それを見た瞬間、警備のおじさんはハッとした表情を浮かべて、焦ったように笑顔を浮かべた。
「すっ、すみません。そうとは気が付かず…。さぁさぁ、どうぞ中へ入ってください。係の者がすぐに来ますから」
「はぁ、わかりました」
おじさんの変わり身の早さに若干あきれながら、そのまま自動ドアをくぐり抜けてビルの中へ入る。
「おぉ…!」
ビルの中は、会社とは思えないほど、豪華なつくりだった。
床にしかれた高級感のあるふわふわな赤いじゅうたんに、入口付近に置かれたおっきなグランドピアノ。
壁には金色のラインが描かれているし、3階まで吹き抜けになっている高い天井には3段にもなっている大きなシャンデリアがきらきらと光を反射させながらぶら下がっている。
ひぇぇぇ、豪華すぎる。
でも、これきっとおばあさんみたいに誰かをだましたお金でつくったものなんだよね。
そう思うと、ふつふつと怒りがわいてくる。
絶対、悪事をあばいてやるんだから!
ふわっふわだぁ…。気持ちいい…。
包み込まれるその柔らかさと温かさに、だんだんと体が重たくなっていく。
「みなさーん、寝心地はどうですかー?」
布団が並ぶ部屋の中で、司会役のお姉さんが声を届かせるように聞いてくる。
あの後すぐに係の人が来て、私たちをモニターが行われるという部屋まで案内してくれた。
部屋の中にはすでに小学生から高校生くらいまでの総勢10人くらいのこどもが集まっていた。
そうしてすぐにモニターが始まって、布団の作り方とかを動画で説明された後、それじゃあ実際に寝てみましょう!とか言われたから寝てみたんだけど…。
「気持ち良すぎる…」
その寝心地は最高過ぎて、思わずスパイのことを忘れて寝てしまいそうなほどだ。
まさか、私たちを罠にはめるためにこのフカフカ布団で寝かせようとしてたり…なわけないか。
佐倉さんによれば、実際にカナカサで販売されている布団はこんなにふかふかじゃなくて、これはモニターとか、宣伝用につくられたものなんだって。なんと、中古品だったり1000円くらいで売られているものを売っているらしい。よく、布団会社として成立してるよね。まぁ、詐欺とかやってるからだとは思うけど…。
「それじゃあ、みなさん次はいよいよお楽しみの宝探しゲームですよー!」
「やったー!」
そのお姉さんの声に、小さな子供たちがワッと布団から出て、前の方へと集まっていく。
来た…!
私もほかの人とは違う意味で、温かさが残る布団をあとにして前方へとかけよる。
「でも、その前に、みなさんには一人ずつ今のお布団の感想を聞かせてほしいので、順番に並んでくれるかなー?」
「はーい!」
元気よく答える子たちの後に続いて、私も並ぶ。
すると部屋のドアが開いて、屈強そうな男の人たちに囲まれた、ふくよかな体系のおじさんが入ってきた。スーツがパンパンに膨れている。
「あっ、社長!お疲れ様です」
「どうだ?写真は撮れているのか?」
「はいっ、もちろんです。広告としては完璧だと思います」
「やはり、広告に子供がいたほうがばあさんたちも信じ切ってくれるからな」
お姉さんと、おじさんがひそひそ声でそんな会話をしているのが聞こえてきた。
今、社長って言ったよね!?
思わず、後ろに立つ星川君に視線を送る。
すると星川君は冷静にこくりとうなずいた。
「やっぱり、上着の胸ポケットだ。頻繁に視線を送っているし、さっきも確認のために触っていた」
「了解」
星川君から事前に、上着の胸ポケットに拠点の場所が書かれた紙が入っている可能性が高いのは聞いていた。
実際に確認してから指示するって、言ってたから時間がかかるかと思ってたのにもう、わかっちゃうなんて。
しかも、私も見てたけど胸ポケットに視線を送ってたのも、触ってたのも、全然わかんなかった。
星川君って、やっぱりみんなの言う通り本当にすごい人なのかも。
そう感心しながら、私はふぅと一度息を吐いてから、社長向かって駆けだす。
「わぁ!トイレトイレ!早くいかないと~!」
恥ずかしい!
女の子にこんなことを言わせるだなんて!!
提案をしてきた星川君に若干キレそうになりながらも、どうにかその気持ちを隠して走り続ける。
「あっ、ちょっと君!」
社長の回りにいた男に人が声をかけてきたけど、もう遅かった。
ドンっ!
そんな鈍い音とともに社長と私の体がぶつかり合って、はじきとばされる。
「いったぁ…」
お父さんたちがぶつかってもあんまり痛くない方法を教えてくれたから、本当はあんまり痛くないけど、変に思われないように演技をする。
「おい、君!いったい」
「しゃ、社長!子供の前では…」
しりもちをついて顔を真っ赤にする社長に、慌てて男の人が声をかける。
その瞬間、怒りの表情を見せていた社長の顔は引きつった笑みに変わった。
「…あ、いや。つ、次からは気を付けるんだぞ。そこの君、この子をトイレに連れて行ってやれ」
「あっ、はい、わかりました。…じゃあ、行こうか?」
「は、はい。あの、ぶつかってすみませんでした」
そう言うと、社長は口の端っこをぴくぴくとさせながら笑った。
「い、いいんだ。分かればそれで」
そして、そのまま私は案内の人に連れられてトイレへとはいった。
「ぷはぁ」
トイレについて、案内の人がいなくなった瞬間に思わずそんな息がもれる。
事前に星川君に、社長は子供好きを装ってるから、例えぶつかったとしても怒られることはないって言われていたけど、ふっつうに怒られるかと思ったぁ…。
めちゃくちゃ顔が赤くなってたもん。
「まぁ、それより…」
そう口にしてから、ポケットから二つ折りになった1枚の紙を取り出す。
さっきぶつかったときに、社長のポケットからこっそり盗んできた紙。
さて、どんなことが書いてあるんだろう…。謎解きだよね、確か。
ちょっぴりわくわくしながら、紙を開ける。
『きょてんはにたかいのかけいぎしつにあるけほんただなうけらた』
「…は?」
それを見た瞬間、そんな声がもれてしまう。
なにこれ?
全然、意味が分からないんだけど…。
「大丈夫?時間かかりそうかなー?」
トイレの外からさっき案内してくれた人の声が響いてハッとする。
とりあえず、早く出ないと…!
そう思い、慌てて紙の内容を持ってきたスマートフォンで写真を撮って、トイレを出た。
「す、すみません。遅くなって」
「もうトイレは大丈夫そう?」
「はい、ありがとうございます」
トイレを出て、歩きながらそんなことを話す。
さっきいたモニターの会場までは、もうすぐだ。
「そう、よかったわ」
「えへへ、すみません…って、わっ!」
その瞬間、前を歩いていた男の人と肩がぶつかり合って、肩に強い衝撃が走った。
ゴンっという音が鳴り響く。
その隙を見計らって、サッとさっきの紙を男の人のスーツのポケットに入れた。
これも星川君が提案してきた計画の一つで、もし、私たちが紙を持っているのが誰かにばれたら困っちゃうから、紙をどうにかしないといけない。
社長にまた戻すのでもよかったんだけど、違う社員の人に戻すことで後々パニックになるような引き金になって、警備がゆるくなるかもしれないからって。
確かに、またあの社長にぶつかるのはちょっと勇気がいるし、これでよかったのかも。
「あ、すみません」
「…ちっ、気をつけろよ。…ん?ていうかお前どっかで見たことのある顔だな」
男の人が舌打ちをしながら、私の顔をのぞき込んでくる。
そういえば、私もこの人の顔どこかで見たことあるような…。
そう思った瞬間にハッとした。
そうだ!おばあさんの家に来てたあの、押し売りの男の人だ!
確か、名前は新井田だった。
そのことに気がついたのは、新井田も同じようだった。
「お前、あの時の…!」
「ん?知り合いなの?」
マズい!
これ以上ここにいたら、いろいろとめんどうになりそう!
ここは早く切り抜けたほうがいいかも…。
「い、いやぁ、人違いじゃないですかね?あっ、宝探しゲームが始まっちゃう!早くいかないと!」
無理やりそんなことを口走って、モニターの部屋まで駆け抜けた。
新井田は、不思議そうな顔はしたものの追いかけることはしてこなかった。
よ、よかったぁ。
ホッと一息つきながら、ドアを開けて部屋の中へと入る。
すでにゲームが始まっていたのか、部屋の中にいたのは、数人の子供と、それを監視するかのように数人の屈強そうな男たちだけだった。
星川君も、私を待っていたためか、不満げな様子でぽつんと立っている。
「ほし…、じゃなくて佐々木くん」
偽名の星川君の名前を呼ぶと、ギロッとした目でこっちを見てきた。
「時間かかり過ぎじゃない?」
「うっ…。まぁ、いろいろあって。大丈夫、一応うまくいったから」
他の人に聞こえないように小声でそう言う。
「一応ってなにさ」
「そ、それより早く行こうよ!もう始まってるんでしょ?宝探しゲーム」
「あぁ。このビルの中に隠れたお宝を探せだってさ。ほら、行くぞ」
「あぁ…、うん」
全く。自分勝手なんだから。
部屋を出て、ずんずんと先へ進んでしまう星川君の後を追うと、屈強な男の人が2人、私たちとは距離を取ってついてきた。
監視だってことは気づかれないためなんだろうけど…。
こんな人たちが付いてきたら、完全にまるわかりだよ。
にしても…。
「二人か」
前を歩く星川君がボソッとつぶやく。
事前にラボの人たちから聞いてた話だと、一人の可能性が高いってことだったけど…。
「お前が社長にぶつかった後、なにやら警備体制が強化されたっぽかったからな。幸い紙の紛失には気づいてはいなかったが、子供は何をしでかすか分からないってな」
「うぅ、私のせいだって言いたいの?」
「いや、そんなことを言いたいわけじゃない。ただ普通に思っただけだ」
ただ普通に思っただけって…。
なら、口に出さなくてもいいじゃない!
ぷくりとほほを膨らませていると、星川君がこっちを見た。
「まぁ、でも大丈夫だろう。準備できてるよな?」
「もっちろん!」
「よし。じゃあ、あそこの曲がり角で実行するぞ」
その星川君の言葉にうなずいて、気合を入れて人気のない廊下を一気に走り出した。
後ろで私たちを監視していた男の人たちが一瞬びっくりして、追いかけてくるけど反応速度が遅かったせいか、あまりスピードは速くない。
よしっ。これなら…。
曲がり角を曲がったところで一度足を止める。
男の人たちからは死角になっているから、私たちが足を止めたことは分からない。
そして、男の人たちが曲がり角を曲がってきた瞬間、私たちはポケットから取り出してあったスプレー缶のボタンを男の人たち向けてめいいっぱい押した。
シュゥゥゥーッ!
スプレー缶からあふれ出す小さな音が出たと思えば、とたんに2人の男の人の大きな体が、ふらふらとしゃがみ込み、地面に倒れた。
星川君が作った催眠ガス入りのスプレーに、溝端さんが音の出にくい加工をしてくれたものなんだけど、あっけないなぁ。
まぁ、うまくいってよかったけど。
「うまくいったな。ここからはスピード勝負だ。とりあえず見つかったらまずいからここから離れるぞ」
「了解!」
「…ていうことで、これが暗号の写真ね」
さっき私が一人でいた時の出来事を説明して、星川君にスマートフォンを手渡す。
廊下を少し行ったところにあった、この小さな物置の中は、人気がすっかりとない。
事前の調査によると、ここには監視カメラさえもないんだって。
まぁ、私たちみたいなスパイにとっては好都合ってわけだ。
「…って、お前あの男に会ったのか!?」
「へ?うん、そんなにマズかった?」
目を丸くして驚く星川君を見て、不安になる。
とりあえずは切り抜けられたからよかったと思ってたけど…。
「はぁ…。いや、とりあえずはいいけど、もしあの男が自分のポケットに紙が入っていることに気が付いたらお前のことが真っ先に頭に浮かぶかもしれない」
「えっ、なんで?」
気づかれるようなことをした覚えなんてないんだけど…。
「こないだのおばあさんの家で大事な紙を紛失したことは確実に覚えているはずだ。あの時も、今日も、お前にぶつかってから起きたことだ。何か関係していることに気が付くかもしれない。...まぁ、それより今はこの暗号だ」
そう言って、星川君が暗くなりかけたスマートフォンを指さす。
そこには相変わらず、あの暗号の写真が表示されている。
『きょてんはにたかいのかけいぎしつにあるけほんただなうけらた』
一体どういう意味なんだろう?
さっぱりわからない。そもそも、日本語になってるの?これ。
まぁ、でも星川君ならわかるはずだよね。
だって、あの星川君だよ?テストはいつも100点満点だし、ラボのみんなにもあんなに信頼されてて、催眠スプレーまでつくっちゃうんだもん。
わかるはずだよね。
「…さっぱりわからないな」
「えぇ!…星川君、冗談だよね?」
まさか、星川君がわからないはずないよね…?
「こんな状況で冗談なんていうわけがないだろう」
「デスヨネ…」
あの、星川君ですらわからないなんて…。
ど、どうしよう!?
と、とりあえず落ち着いて考えて…。
そう思い、もう一度暗号文を読もうとしてスマホに目を通す。
「…ん?ねぇ、ここになんか書いてない?」
「あっ、本当だな」
最初に見た時には気が付かなかったけど、暗号のメモの下の方にはヒント、という文字とともに二つのかわいらしい絵が描いてあった。
この絵は…。
「タヌキと毛虫だ!」
「クマと毛虫だ!」
二人の声が被る。私はタヌキだと思ったんだけど、星川君は…。
「クマって言った?」
「当たり前だろ。この絵はクマと毛虫だ」
胸を張って、さも自信満々というように答える。
毛虫っていうのは同感だけど…。
その隣にある絵は、どこからどう見ても完全にタヌキだ。
特にこの黒いめもとは、絶対にクマじゃない。そう言い切れる自信がある。
でも、星川君は絶対にタヌキだとは認めてくれなさそうだし…。
「とりあえず、毛虫の方から考えていこう」
「あぁ」
これが一番の平和的な案だった。
「でも毛虫かぁ。一体どういうことなんだろう?」
この意味の分からない文字に毛虫が関係するってこと?
うぅん…。
頭の中にはてなマークが詰まっていく。
毛虫が関係する。
毛虫...けむし…け、む、し…。けむし!?
その瞬間、頭の中の考えと考えが糸でつながれたみたいに結び合った。
「あ、わかった!」
「わかったのか!?」
目を見開いて、勢いよく聞いてくる。
そのあまりの勢いに、圧倒されそうになる。
「う、うん。えっと、毛虫っていうのは、あの昆虫の毛虫っていう意味じゃないの」
「どういうことなんだ?」
純粋な少年のような瞳をして聞いてくる。
こんな星川君が見られるなんて、珍しいかも。
なんか、優越感。
「けむし。それは、け、無視ってこと。つまり、暗号から”け”っていう文字を無視して考えるの。だから、やっぱり一つ目の動物はクマじゃなくて、タヌキだと思うんだよね。タヌキだと、同じ法則でた、抜き。暗号から”た”っていう文字を抜いて考えられるから」
「はぁ、なるほど…。おもしろいな」
一度考え込む姿を見せたと思えば、そう言って、二っとくちびるの端を上げる。
おもしろい…、のかな?なんかよくわからないけど、納得してもらえたみたいでよかった。
「じゃあ、この暗号の”きょてんはにたかいのかけいぎしつにあるけほんただなうけらた”から、お前の話の通り、”た”と”け”を抜いて考えると…。きょてんはにかいのかいぎしつにあるほんだなうら。つまり、拠点は二階の会議室にある本棚の裏にあるってことだ!」
星川君が自慢げにそう叫ぶ。
なんか、またテンション上がってる?
一応私が考えたんだけどね…。
少々不満に思いながらも、声を出す。
「じゃあ、犯罪拠点に行こう!」
「2階の会議室って、ここのことだよね?」
「あぁ、2階には他に会議室はないはずだ」
うなずく星川君を見てから、角の壁に隠れたまま、扉が開いたままの会議室の様子をうかがう。今は使われていないのか、人気もなくシンとしている。
中心にはよく見る感じの大きな長机が置かれていて、その周りにはたくさんのデスクチェアーが並べられている。
そして、壁際には紙に書いてあった通り、確かに木製の大きな本棚がおかれている。
特に、変わった感じはしない、普通の会議室に見えるけど…。
「どうする?入ってみる?」
「犯罪拠点の中がどんな構造かも、どのくらい人数がいるのかもわからないんだ。とりあえず、様子を見るぞ」
「わかった。…って、あ!」
そんなことを話している間に、向こう側から一人の若い女の人がやってきた。
そして、そのまま会議室に入って、なにやら周りに警戒しながら本棚に触っている。
「あの人も、オレオレ詐欺の仲間なの?」
「そうかどうかは、見てれば分かる」
なんだか、犯罪をするような人には見えないんだけどなぁ。
しかし、私の考えとは裏腹に女の人は本棚に手をかけて、そのまま勢いよく押した。その瞬間、本棚の後ろ側から、ドアが現れた。そしてそのまま、女の人はドアを開けて、光の中へと消えていった。
すぐに、本棚が動いてドアを隠していく。
「やっぱり、あそこに部屋があったんだな。犯罪拠点なのは間違いないだろう」
「すごい、からくりみたいな仕掛けだね…」
「あぁ。オレオレ詐欺をやっていることは社内でも本当に一部の人間しか知らないらしいからな」
なるほど。だったら、こんな仕掛けになるわけだ。
「じゃあ、私たちも入る?」
あんな仕掛けを動かして、犯罪拠点に入るなんて緊張するけど、ちょっとわくわくするかも。
「いいや、あそこが拠点であることを確認できただけで、結局構造や人数は分かっていないだろう。この状況じゃ、入ってもうまくいくとは限らない」
「じゃあ、どうするの?」
純粋な疑問としてそう聞くと、星川君は楽しそうにフッと笑った。
「あそこから入る」
星川君がそう言って指さした先は…。
「天井?」
「天井にある通気口から天井裏に入る。事前に見た地図では、確かこの部屋ととなりの拠点の部屋は天井裏でつながっていたはずだ」
「事前に見た地図って…。ここに拠点があるって知ってたの?」
「いや。でも、構造としては変な部分がいくつかあったから、候補の一つではあった」
まじか…。
思わずそんな思いがあふれだす。
どこまで予測しているんだか…。
ていうか、そんなことより、通気口って…。
天井に取り付けられた、小さな網目のふたをみつめる。
あれを外して入るってことだよね。大きさ的にはギリギリってところだけど、問題はあんな高いところにどうやって登るか。
足をかけられそうなところもないし、踏み台になるものも椅子じゃあ届かなさそうだし…。どうするんだろう。
「ねぇ、星川君…って、あれ?」
気が付くと、星川君がいなくなっていた。
どこに行ったんだろ…って、もう会議室の中にいるし。
慌てて私も会議室に入ると、既に星川君は、この間溝端さんからもらった、簡単に伸縮のできる棒で通気口のを外していた。
早っ。
「ねぇ、星川君。どうやってここに登るつもりなの?」
「どうやってって…。まぁ、普通に」
そう言ったかと思えば、通気口のある天井から少し離れたところまで移動してまるで助走をつけるかのような姿勢をつくった。
えっ。まさか、ここから飛んで通気口に入るつもり?
地面から天井までは、3メートルくらいある。
どう考えても、不可能にしか思えないんだけど…。
しかし、そんな思いが届くはずもなく、星川君はすでに走ってしまった。そして、通気口下の少し手前で勢いをつけて飛んだ。
「…はっ!」
その手は通気口のふたがあった部分に…、かかっていた。
「ふぇっ!?」
まじで!?
そのまま手の力を使って、体ごと天井裏に乗り上げた星川君が、さも当然かのように声をかけてくる。
「早く来いよ」
「えぇ…」
あの、運動できなさそうな星川君が飛べるなんて…。
まさか人間って、実は元から跳躍力が備わっているものなの?
意外にも、私にも飛べたりして…。
ちょっとした期待を背負って、私も助走をつける。そして、星川君が飛んだのと同じ位置で、私も勢いをつけて足を上げた。
飛べるっ!
…が、しかし。
「うっ、」
10センチくらいしか飛べず、通気口に触れることすらできないまま床に着地した。
やっぱり、星川君が異常なんだ…。普通の人間には、こういうことはできない。
「なんだ、飛べないのか」
「当たり前じゃない!」
改めて見上げてみるけど、こんなに高いところまでジャンプするなんてありえない!なんでこんなことができるのか。
「ラボで受けた、スパイの講習で教えられたんだ」
なるほど、スパイの講習なんてあるんだ。
にしても、いくら教えてもらったとしても常人技ではない。
ていうか、星川君そういうの絶対に受けなさそうなのに。意外。
「佐倉さんたちに無理やり行かされたんだよ」
星川君の苦々しい顔が見える。
なるほど。
「ほら、それより引っ張り上げてやるから早くいくぞ」
「え、う、うん」
手を出してくる星川君の白くて細い腕をつかむ。
本当に持ち上げられるの?
思わずそんな疑念がわいてくる。だが、その瞬間、ものすごい力で私の体が持ち上げられた。
「うわっ、」
気が付いたころにはすでに暗くて狭い天井裏にいた。
えっ、意外と力あるの?
これも、スパイの講習とかだったなのかな。
そう思っているすきに、星川君が四つんばいになって、ずんずん進んでいく。
「ゴーグルつけとけよ。それと、ここからは音をたてないように」
「うっ、わかってるよ」
そう返事をしてから、ポケットからゴーグルを取り出す。
暗視機能付きだから、暗い場所でもよく見える。
音をたてないように、慎重に進んでいく。
しばらくすると、通風口のすきまから光が漏れているのに気が付いた。
星川君とうなずいて、中をのぞきこむ。
学校の教室くらいの大きさの部屋にたくさんの机が並べられている。
机の上にはそれぞれ1台ずつ、固定電話が並べられていた。
あれで、詐欺の電話をかけているんだよね。
人の数は、お昼時を狙ったから合わせて5人しかいない。
これなら、いけそう。そう思い、星川君に視線を移すと、スマートフォンをもって、なにやら通気口のすきまから部屋の中を撮影しているようだった。
「撮影しておけば、これも証拠になる。それより、隅にあるあの金庫が怪しいな」
小声でそう言って、部屋の隅っこを指す。そこには、縦横50センチ程度ある直方体型の銀色の箱があった。近くにはカレンダーみたいなものがかかっている。
「あそこに詐欺の手順書が入っているの?」
「あぁ、多分な。さて、今人がいない間にやっておきたいけど、どうする?どっちが下に降りる?」
「うぅん…」
計画上、二人でいっしょに降りて行動するよりも、それぞれ近い位置でバラバラに行動したほうが一方に何かあったときでも、もう一方が自由に動けるから、ここはバラバラに行動したほうがいいということになっていた。
問題は、どっちが行くか、だよね。
降りて行動するほうが確実にリスクは高い。でも、降りなくても指示をしたりと役割は大きい。
うぅん…。
「…私が、降りるよ。だから、星川君は見張りと指示出ししてくれない?」
降りるのは責任重大で緊張するけど、正直指示出しは私がやるより星川君がやったほうがいいと思うし、星川君謎解き多分下手だし。
確か、あそこの金庫を開けるのにも、謎解きが必要なんだよね。
「わかった。じゃあ、イヤホンとマイクつけておいて」
「うん」
そう短く返事をしてから、耳元の小さなスイッチを押す。
今私と星川君の耳には、ぱっと見、ついてるってことが分からないくらい小さなワイヤレスイヤホンが付いている。
これと、服のえり元についてるマイクを使えば、離れていても簡単に会話ができちゃうんだ。
これも、さっきのゴーグルも、スパイの必須道具だって言われてラボでもらったものなんだ。
「それじゃあ計画通りに、これから10秒間だけこの部屋を停電させる。その間に、お前がここから降りて催眠ガス入りのボムでここにいる人たちを眠らせた後に行動する。この人数だったら、催眠ガスも効くだろう」
「うん」
ポケットから、直径10センチくらいのボールを取り出す。
これを地面に投げると、このボムが弾けて、催眠ガスがあふれだすんだよね。
さっきのスプレーよりもガスが広範囲に広がるし、私たちはマスクをしておけばガスを吸い込むこともないから、スパイにとってはかなりの優れものだって佐倉さんが言ってた。これも、星川君が作ってくれたんだよね。
ほんと、星川君って何者なんだ…。
すると、星川君はスマートフォンを何やら操作し始めた。
「じゃあ10秒後に、このスマートフォンを使って停電を起こすから」
「う、うん」
事前にスマートフォンを使って停電が起こせるとは聞いてはいたけど、まさかそんな簡単にできちゃうだなんて…。
いや、実際は簡単じゃないと思うんだけどね。
絶対、普通の人はできないもん。もちろん私も。
そんなことを思いながらも、天井裏で身構える。
緊張する…。
「...3,2,1」
バチン!
部屋の電気がいっせいに消える。
「な、なんだ…?」
部屋の中にいる人たちが、突然の停電に驚き始める。
それと同時に、私は部屋にしかれたじゅうたんの上に勢いよく着地した。
そして、すぐにボムを思いっきり地面に投げつけた。
パン!
ボムが弾ける小さな音が鳴って、すぐに煙が充満していく。
ゴーグルもマスクもしてるけど、かなり煙たい。
これはかなり効果抜群かも…。
そう思った瞬間に、パッと部屋が明るくなった。
突然の明るさに、まぶしくて一瞬目がくらむ。
「おぉ…!」
目を開けると、部屋にいた5人の大人全員がばったりと目を閉じたまま、床に倒れこんでいた。
よかった、よかった。これなら大丈夫そうだ。
『催眠ガスの効き目の時間もある。彼らが起きないうちに急ぎ目で行動するんだ』
『うん』
そううなずいてから、隅に置かれた金庫に近づく。
金庫は4ケタの数字を入れて開ける方式のもので、特になんの変哲もないように見えた。
『本当にここに証拠が入っているの?特に暗号とかは見当たらないけど…』
さっきみたいに変な文字とか、暗号らしきものは見当たらない。
『本当に何もないのか?暗号じゃなくても、少し変わったものとかでもいいんだ』
『変わったもの、変わったもの…』
辺りを見回していく。
変わったものなんてあるかなぁ?いつもと違う何か…。
…ん?
その時、ふと、あるものが目にとまった。
『何かあったかのか?』
上から私の様子を見ていたのか、星川君が聞いてくる。
『あ、いや。ちょっとこのカレンダーちょっと変わってるなぁって思って。令和3年って書いてる上に丸とバツが書かれてるんだよね。普通、こんなところに印ってつけるかな?』
『つまりそれが、暗号でその暗号を解いた答えを金庫に入力すれば、金庫が開くんじゃないか?』
『あっ…』
確かに。それなら納得できるかも。
でも、これって一体どういうことなんだろう?
改めて、カレンダーを見て考える。
『令和3年の上に丸とバツがあるってことは、令和3年は丸でもあって、バツでもあるってことだよな』
それとなく、星川君が口にする。
それって、つまり…。
『令和3年ではあるけど、令和3年じゃないってこと?』
そう言ったときに、ビビッと頭に電気が流れたように、何かがつながった。
『あっ、わかったかも』
その瞬間、耳に大きな声が響いた。
『答えは何なんだ!?』
声おっきい!
あれだけ気をつけろって、言っておいて!
焦って周りを見たけど、誰も起きる様子はなかった。
よ、よかったぁ。
ほっと一安心して、口を開く。
『令和3年であり、令和3年ではない。それはつまり、2021年ってことなんだよ。だから、暗証番号は2021』
問題を解けたスッキリ感とともに、金庫についたボタンを押して入力する。
すると、すぐに。
ガチャ。
カギが開く音が響いた。
銀色に光る取っ手を握って、力を込めて引く。
意外と重い。
扉が少しずつ開いていく。
扉の奥には、うすいクッションみたいなのがしかれていてその上に分厚い冊子みたいなのがおいてあった。
『これが手順書?』
引っ張り出して、手に取るとずっしりした重さがあった。
もっと、うすいものだと思ってた。
冊子の表紙には、「手順書 厳重保管 さわるべからず」と書いてある。
『あぁ、早くしまって行くぞ』
『わかってるよ』
せっかくのミッション達成なんだから、もっと喜べばいいのに。
でも、思ったよりもあっさりと終わったなぁ。
ま、でもこれが成功ってことだよね。
そう思い、持ってきていた小さなショルダーバッグのなかにしまい込む。
『よし。じゃあ、これから戻って』
星川君がそう言いかけた時だった。
「おい、お前!そこで一体なにしてる!?」
ドアの方から大きな声が響いた。
その事実に、心臓が大きく跳ねあがる。
誰かが入ってきた!?
反射的にバッと振り返ると、そこには数人の男の人たちが立っていた。
やせ細った体型の人から、強固な体つきをした人までさまざま。
ど、どうしよう!
「子供か?いや、そんなはず…」
幸いゴーグルと布製の黒いマスクをしているから、顔は分からないようになっている。どうやら、向こうもまだ状況を理解していないみたいだ。
『星川君、どうしよう。通風口に入ればいい?』
『落ち着け。今、通風口に入っても、結局出入り口が限られているから、袋のネズミ状態になる。だったらこのままのほうがいい。相手はお前一人だと思ってるだろうから、僕も動きやすくなるし、脱出の可能性が高まる』
『じゃ、じゃあどうしたら』
『向こうが近づいてきて、出口にすきまができた瞬間を見計らって閃光弾を投げて逃げろ。相手のスキを狙うのは、お前の得意技だろ?』
得意技って。確かに相手のスキを狙うのは得意だけど、こんな大人数相手にはしたことない。
でも、やるしかないよね。
目の前の状況を見る。じりじりと近づいてきていて、いつ飛び掛かってきてもおかしくない。
『…うん、やるよ』
そう言葉にしたとき、集団の一人が私の方を指さして、大きく声を上げた。
「おい!金庫が開けられてるぞ!」
「なんだって!?」
全員が私の後ろに隠れた金庫に視線を変えて、大きく身を乗り出した。
今だっ!
ポケットから取り出した、閃光弾を勢いよく床にたたきつける。
その瞬間、閃光弾から真っ白な光が急激にあふれ出した。
一気に光が部屋の中にまん延する。
「うわっ、なんだ!」
「目が!目がぁ!」
光の中で、男の人たちが目が抑えて倒れこむ。
そのすきを狙って、光も遮断できるゴーグルをつけた私は走って出口から部屋の外に出た。
『よしっ、そのままビルを出るぞ。こいつらはいつ起きてくるか分からないからな。僕も様子を見て降りる』
『わかった…ってうん?』
広い廊下のはしっこまで出たところで、違和感を感じた。
『どうした?』
『いや…。なんか、音がしない?こう、ドタドタって』
一度立ち止まって、耳を澄ましてみる。
下の方から聞こえる…?
これって…!
『足音だ!』
星川君の声が響いた瞬間、廊下の反対側から人影が出てくるのが見えた。
「あっ、いたぞ!あそこだ!」
私の方を指さしてくる男の人を先頭に、数十人の集団がそこにはいた。
や、やばい!
ていうか、なんでバレたの!?そんなに大きな音は鳴らさなかったし、停電もあの部屋だけだったのに。
「あいつが、俺のポケットに紙を入れたんだ!こないだの契約書の紛失もあいつのせいに違いない!」
先頭に立つ男の人の顔を見て、即座に分かった。
新井田だ!やっぱ気づかれたんだ!
「俺がこの前、書類をなくしたのも、スマホをタクシーに落としたのも、家で大事な食器を割ったのも、全部あいつのせいだー!」
いや、今のは絶対違うじゃん!私、関係なくなってるもん。
でも、ど、どうしよう!もう睡眠ガスのボムも、閃光弾も残っていない。ていうか、たとえあってもこの人数には効かないし。
新井田たちのいる場所からここまでは、200メートル近くある。
逃げきれないことはないけど、まだ下にもいそうだから、下には逃げられないし…。
『とりあえず、上に逃げろ!支持はだすから!』
『わ、分かった!』
勢い良く返事をしてから、近くの階段を駆け上がる。
「上に逃げたぞ!追え!」
新井田の声が辺り一面に響く。
こんな状況じゃ、他の人たちに気づかれるのも時間の問題かも。
それに、上に逃げ続けたって、出口はない。
『さっきの倉庫に入れ!そこで計画を練り直すぞ!』
『う、うん!』
なんとか返事をしつつ、私は全速力で走り抜けた。
『ふぅ…』
倉庫の鍵をしっかり閉め、さらに簡単に開けられないように重たそうなものをドア前に移動させてからそんな息を吐く。
さすがに疲れた…。
『大丈夫か?』
『うん…。なんとか』
外からはまだ、ドタバタと足音が聞こえてくる。
あんなに探してるんだもん。ここにいることもいつかはバレちゃうよね。
うまくいったと思ったけど…、やっぱりスパイって本当に命がけの仕事なんだ…。
『それで、どうするの?これから計画を練り直すって』
『あぁ…。さっきスマホで監視カメラをハッキングしてみたが、どうやらこの騒ぎはすでに会社中に広まっているらしい。どこの出入り口もすべて鍵がかかられていて、警備員が立っている。新井田や社長は必死にお前のことを探しているそうだ』
ひぃぃ。
思わずそんな声が出そうになる。
見つかったら、もう終わりだ…。出入り口もふさがれているなんて、もう、絶体絶命じゃない!?
ていうか、星川君もスマホで監視カメラをハッキングって、どういうことなの!?
そういえば、前に佐倉さんが星川君のスマホは、ラボのデータと星川君の頭脳をフル活用して作ったもの凄いものだって言ってたっけ。
『幸い僕のことはまだ気づかれてはいない。だが、下には警備員がうろついてるから、僕も簡単にここから出ることはできない。一応、予備の閃光弾がひとつ余っているけど、さすがに範囲が限られてるから出入り口には行けない。正直言って、絶体絶命だ…』
星川君の暗く、しょんぼりとした声が耳に届く。
『ちょ、ちょっと!何弱気なこと言ってるのよ!』
星川君まで、そんなことを言うなんて。
この状況がどれだけヤバいのか、ひしひしと伝わってくる。
『だって、思いつかないんだ。今後の計画が、なにも。もう、無理かも知れない…』
『そんな…』
あの、星川君がなにも思いつかないんて…。
でも、このままじゃ…。
『まぁ、大丈夫だよ。最悪佐倉さんたちに頼めば何とかしてくれるのかもしれない』
『…本当に、本当にそれでいいの?私たちの、初めてのスパイとしての仕事なのに、二人でできなくて、そんな簡単に人に頼んでいいの!?』
のんきな星川君の声を聴いて、思わず気持ちがあふれてしまった。
絶体絶命かもしれない。でも、簡単に助けを求めてしまうのはどうかと思う。よりによって、記念すべき最初の仕事で。
『そんなこと言ったって…。じゃあどうすればいいんだよ!お前、ここで捕まりたいのかよ!!』
『そんなことは言ってない。でも、私たちまだ何もしてないじゃない!もっと考えようよ!もっと話そうよ!脱出の可能性が1パーセントでもあるなら、私はそこにかけたいよ。わたしたちの力だけで、できることはきっとあるはず』
『そんな簡単に言うなよ!そんなこと、わかってるよ。でも、これ以上は』
『わかってるなら!わかってるなら、少しでもいいから一緒に考えよう。私も、この計画を星川君やみんなに頼り過ぎていたと思う。…だから、2人の力で乗り越えたいの』
ここまでの過程で、お父さんお母さん、そしてラボの人たちにたくさん助けてもらって来た。それはすごくすごくありがたいことだけど、逆に言えば私たちは助けがないとここまでこれなかった。最後くらい、自分たちの力だけでやりたいじゃない。それは、自分たちのためにも、助けてくれたみんなのためにも。そして、誰かの笑顔を守るためにも。
沈黙は長かった。
いや、実際は2,3分程度だったのかもしれないけど、体感的にはその何倍も長く感じられた。
いつの間にか足音も遠のいていって、静かな部屋の中に私の胸の鼓動だけが響く。
『…』
小さな吐息のあとに、星川君の声が届いた。
その瞬間、胸がドキンと大きく弾ける。
『…そう、だよな。うまくいかないからって、すぐにあきらめようとしてた。スパイの仕事をなめるなとか言っておいて、一番なめていたのは僕だったのかもしれない』
『星川君…』
伝わったんだ。
その思いをしっかりとかみしめる。かみしめればかみしめるほど、胸がキューっと締め付けられるような気がした。
『考えよう。僕たちの計画を!』
『…うん!』
この時私たちは、ようやく初めて同じ気持ちになれたんだ。
2人で一つの、スパイに。
『じゃあ、さっそく作戦会議だね』
私がそう言うのと同時に、また、どたばたと足音が聞こえてきた。
やっぱり、まだ探し続けてるよね…。さすがに忘れてはくれないか。
『脱出するためには、まず星川君が誰にも気づかれないように天井裏から降りること、そしてそのまま敵をまいて出口まで移動すること。私も同じように敵をまいて出口に行くことだよね』
とりあえず現状を整理してみる。
よく、お父さんから分からなくなったら現状を整理してみろって言われてたのがこんなところで役に立つなんてね。
『あぁ。天井裏から降りるのは様子をうかがいながらなら、閃光弾を使えば降りられるだろう。問題はそのあとだ』
ごくりとツバを飲んだ。
程よい緊張感がそこにあった。
『1階は出入り口が多数あるから、その分警備もすごいことになっている。どうにか1階にたどり着けても、その先は厳しい』
『うん。でも、つまり1階の警備をどうにかする方法を思いつきさえすればいいってことだよね!』
私がそう言うと、耳にフッと笑い声みたいなのが響いた。
えっ、あの星川君が笑った?
その事実に困惑してると、また声が届いた。
『あぁ、確かにそうだな。そういう考え方、いいかもしれないな』
明らかに笑顔を浮かべながらだった。
その声に思わずドキッとしてしまう。
び、びっくりするじゃん。急にそんな声出すなんて、反則じゃない?
『んー、でもどんな方法がいいんだろう…』
『そうだな…』
親権に戻った星川君の考える声をききながら、私はなんとなく辺りを見渡す。
倉庫というだけあって、結構いろいろあるけど…。
机やいす、大きなつぼや、なぜか調味料とかまでおいてある。
そのときふと、一枚のチラシに目がとまった。
『宝探しゲーム…?って、さっきのモニターのやつか』
そこには宝探しゲームの商品や、お宝を探す暗号なるものまで載っている。
ほんと、謎解き好きなんだなぁ。ていうか…。
『ていうか、ゲームの景品が香辛料って…。これ、一応子供向けなんだよね?』
なんで、小さな子供もいる中で辛い香辛料なんて景品にするんだろう。
お菓子とかにすればいいのに。大人が喜ぶだけじゃない。
あの社長、私とぶつかったときといい、絶対子供好きじゃないね。
『なんか、社長が謎解きと同じくらい好きなのが、香辛料らしいぞ。この景品は社長のプロデュース商品だとか』
『へー』
プロデュース商品ねぇ…。興味、ないなぁ。
だって、あの社長が作ったとか言われても、別に買いたくもならないし。
『ロビーのグランドピアノとかシャンデリアといい、なんだか布団屋さんとは思えないねぇ』
『確かに、そうかもしれないな。実質ここは布団屋ではないしな』
確かに。こんな詐欺とかいっぱいやってるもん。
…と、作戦について早く考えなきゃ。
足音もまだやりなんでないどころか、どんどん数が増えているような気がする。
そんなことを思っていると、星川君が何かに気が付いたようにあっと声を上げた。
『わかったぞ!ここを脱出する方法が!』
『えっ、本当!?』
やった!でも、一体どんな方法なんだろう。
この警備を出し抜くなんて、相当な方法だよね。
そう思ってると、星川君が慎重に、でもどこか楽しげに声を出した。
『あぁ…。でも、この方法には、お前の謎解きの力が必要なんだ。やってくれないか?』
『…え?』
「うぅん…。わっかんないよ!難しすぎじゃない?」
目の前の紙を見て、頭を抱える。
脱出するには、宝探しゲームの景品である香辛料が必要だから、謎を解いてくれって…。
香辛料が必要って、どういうことなの!?計画の内容もまだ練ってる途中だからって教えてくれないし。
しかも、この謎も意味わかんないもん!
目の前の紙に、ついイライラをぶつけそうになってしまう。
いったん落ち着こう。イライラしてたって、なにもできないもん。
私たちの脱出のためにも、みんなの笑顔を守るためにも、この暗号は絶対に解かないといけない。
とりあえず、もう一回暗号を読んでみよう。
【数字を当てはめて、文章を作ってみよう!この文章の場所にお宝があるよ!
ネコ…①◦〇 カラス…②〇②〇 ひよこ…〇③〇③ にわとり…④〇④◦④〇 ①②いの②いだん③④=?
ヒント 牛…①〇 馬…〇〇〇② ①②=門】
この問題のレベルの高さといい、景品の内容といい、絶対、子供向けの内容じゃない!
多分、この丸の中に言葉を当てはめていって、数字の部分を後の文章に入れれば、?になっている部分の文章が出来上がるってことなんだろうけど…。
さっぱりわからない。
ネコ、カラス、ひよこ、にわとり…。
全部動物だよね。ということは、動物に関係する何かだと思うけど…。
ネコは英語でキャット…。うぅん、これじゃあ4文字だから丸の中にはまらないよね。多分小さい丸はぁ、とか、ぃとかの小さい言葉が入るんだとは思うんだけど…。
だめだ、全然わからない。
『この手の問題は、ヒントから考えていけばいいんじゃないか?』
『星川君、問題知ってたんだ』
私が問題にとりかかろうとした瞬間から、計画を考えるとか言って何もしゃべらなくなったから、問題は知らないはずなのに。
『宝探しゲームが始まるときに紙をもらったんだ』
そっか。私はトイレにいってたからもらえなかったのか。
でも、ヒントからかぁ。
確かに、ヒントのほうが明らかに文字数も少なくて簡単そうではあるよね。
牛が二文字で、馬が四文字。
それで、数字を組み合わせた答えが門、だからきっと…。
近くに転がっていたペンで、頭の中を整理するようにメモしていく。
「こういうことか」
【牛…も〇 馬○○〇ん】
「牛は、も、から始まっている2文字のもので、馬はん、で終わる4文字のものってことだよね」
自分で改めて再確認するように、わざと声に出してみる。
なんか、これ、見覚えあるような…。
「牛が、も…。馬が、…ん。なんだ!?これ」
絶対知ってる!
そう思うけど、なかなか答えが出てこない。
牛や馬のことを想像したらわかるかな。確か去年、家族で牧場に行ったとき、馬も牛もいたよね。
あの時、牛や馬は…。
そう思いだしたとき、もやもやとした霧が一気に晴れ渡った。
心に真っ青な青空が広がっているような、そんな感じがした。
「この法則を使えば…!」
頭の中の考えとともに、最初の文章にも当てはめてみる。
すると、パズルのピースのように、かっちりとはまった。
そして、気がつけば文章が出来ていた。
そうか、こういうことだったんだ…!
自分の気持ちを確かめるように、大きくうなずいてから星川君に届くように声を出した。
「解けたよ、この謎が!」
「本当かっ!?」
言葉を出した瞬間に、そんな声が耳に響く。
あまりに大きな声過ぎて、私の体がブルっと震えた。
そんな大きな声出して、気付かれないのか…?
『それで、一体答えはなんなんだ!?』
あせらせるように、星川くんが聞いてくる。
『そんな、あせらせないでよ。まぁ、説明するから』
ごほんっと咳払いを一度する。
なんか、楽しくなってきたかも。
『この問題を解くカギは、ヒントにある。牛はも、から始まって馬はん、で終わるもの。それは、動物の鳴き声!』
『動物の鳴き声?』
『そう。牛は、モー、馬はヒヒーン。これを丸に中に当てはめて、それぞれ数字の部分を並べて読めばもん、つまり門になる。この方法を問題にも適用すると、ねこはニャー、カラスはカーカー、ひよこはぴよぴよ、にわとりはコケコッコー。そしてそれぞれの数字を、当てはめれば…にかいのかいだんよこ。つまり、二階の階段横にお宝があるってっことよ!』
『なるほどな!わかった。ありがとう』
ドキッ!
突然の感謝の言葉に思わず胸がはじける。
初めてありがとうとか言われたかも。
その事実にじわじわと胸が熱くなって、その温度が全身にまで浸透していく。
…て、ここまで感謝の言葉ひとつもなかったのもおかしなことだけど。
私のそんな考えもつゆ知らず、星川君が今日一番楽しそうな声で言った。
『それじゃあ、早速作戦実行と行くか』
『いたか!?』
『いや、まだだ』
『…ちっ、ったくどこ行ったんだよ』
『まぁ、落ち着けって。監視カメラもあるんだ。もうじき見つかるだろう…って。なんだあれ!?』
そんな声が耳元のイヤホンから聞こえてきた瞬間、ぽんっと何かが弾けるような音がした。すると、男の人たちの叫び声が聞こえてきた。
『…うわっ!目がっ!』
『ぎゃあぁぁぁ!』
すごい声。
『…っと、うまくいった。今からゲームの景品を取りに行ってくる。頼んだぞ』
『うん』
短くそう返事をして、周りの物を確かめる。うん、大丈夫だ。
たった今、星川君が閃光弾を使って天井裏から降りた。
これから計画に必要な香辛料を取ってくるらしい。
そして、私も…。
すると、倉庫のドアの外から慌ただしい足音と声が聞こえてきた。
『忍び込んでたやつが、やっと2階に現れたらしいぞ!』
『2階に行くぞ!急げ!』
どうやら星川君のことを、私だと勘違いしているみたい。
私も星川君も、同じゴーグルとマスクをつけてるし、背格好も同じくらいだからそう思うのも仕方がない。
というか、計画通りだしね。
足音がすっかり消えたのを確認して、私は倉庫の扉を開ける。
みんな星川君のことを追いかけてるのか、廊下には誰一人として見当たらなかった。
よし、今のうちに…。
廊下を撮影しようと動く監視カメラに写らないようによけながら、私は自分でもわかるくらいニッと口角を上げた。
『…ふぅ、こんなもんか』
目の前の仕掛けを見て、息を漏らす。
うんうん、これなら大丈夫そうだ。
そう安心した瞬間、下の方から大きな声が聞こえてきた。
「待てぇ!」
「あいつだぁーー!」
吹き抜けから下をのぞき込んで見ると、1階のエントランス付近で、ゴーグルにマスク姿の一人の人物が数十名の集団に追われていた。その中には社長や新井田の姿があった。そして、追われてるのは…。
星川君だ…!1階までこれたんだ。
だけど、星川君と集団との距離は走るたびに狭まっていた。このままじゃ、いずれ捕まってしまうのは間違いない。
と、その時、星川君が走りながらこちらを見てきた。バチっと目が合う。
来た…!
その瞬間、星川君が走りの速度のゆるめて私めがけて何かを投げてきた。
追いかけてた周りの人たちも、その行動に驚いて足を止めた。
「とった!」
吹き抜けに乗り出して、星川君の投げたものをキャッチする。
それは、大きな袋に入った香辛料だった。
パッケージには、【あの激辛好きの社長が監修した、超激辛スパイス】と書いてある。
「よしっ」
一言気あいを入れてから、私は持ってきていた伸縮できる棒をさっき天井に取り付けておいた、倉庫から持ってきたロープに引っ掛ける。
これ、マジックハンドにもなっていてものをしっかりつかめるんだよね。
そして、吹き抜け部分の手すりに飛び乗って、そのまま手すりから足を離した。
すると、ターザンロープのようにロープを下って、天井に取り付けられた大きなシャンデリアまでたどり着いた。
棒を離して、シャンデリアに全体重を乗っける。それと同時に、香辛料の袋を開けて、下に向かってばらまいた。
ばさーっとビニールの袋から真っ赤な粉が下の集団向かって降り注ぐ。
「な、なんだ?…ぎゃあぁぁぁ!辛いっ!」
「目が、のどが痛いー!」
粉をあびた集団たちが叫びながら、いっせいに目をおさえて倒れこんだ。
「な、なんなんだ…!?」
少し遠くから見ていた新井田や社長、他の人たちは訳が分からないというように、あっけらかんとしていた。
『よしっ、うまくいったな』
『うん。でも、これ大丈夫なの?すっごい苦しそうだけど』
超激辛って書いてあるだけあって、近くでにおいをかぐだけでも、目とのどに痛みが走る。
そんなものが顔に降り注がれたら、どれだけ痛いのだろう。
『大丈夫だ。何日か痛みは残るけど、特に命に危険はない』
命に危険はないって…。
まぁ、でも私たちがここで捕まったら、命に危険があるからしょうがないことなんだけど。
「おい!あいつを捕まえろっ!」
ようやく正気を取り戻したのか、社長が大声を出して私の方を指さしてくる。
その怒号に、男の人たちがおびえながらも私を捕まえようと階段を上がってきた。
だが、
「うわぁぁぁ!」
階段を上ってくる途中でそんな声が聞こえてくる。
シャンデリアにのりながら、下をのぞくと階段で多くの人が倒れていた。
その周りには、緑っぽい液体がまき散らされている。
「な、なんだ!?」
度重なるトラップに、社長たちがまた混乱を見せる。
ちなみに今の液体はオリーブオイル。
さっき倉庫にあったものを、ばらまいておいたんだけど、効果発揮したみたい。
油だから、つるつる滑っちゃうんだよね。
そのおかげで、1階にいた数十人の集団は、今や社長と新井田を含めて10人くらいまで減っている。
「お、おい!あの二人を捕まえろ!」
社長が大声でそう指示をするけど、誰も動かない。
目の前で、仲間があんなひどい目にあっているのを見たら、そりゃあ怖くて動けないよね。
でも、ここまでは計画通り。
こんな大胆な計画を思いついちゃうなんて星川君って、どんな頭してるんだか…。
でも、本番はここからなんだよね。
そう思い、下をのぞく。
すでに人は減っていて、強引にいけば脱出できるかもしれない。
でも…。
私はさっき、倉庫での会話を思い出す。
『ここまでやれば、強引に脱出することは可能だろう。...だが、このままでいいと思ってるか?』
『え?このままって…。脱出できれば、証拠も手に入れたし、あとはお父さんたちがオレオレ詐欺を明らかにしてくれるんでしょ?』
星川君が、なにを言いたいのかが分からなくて混乱する。
『あぁ。でも、初仕事だ。せっかくなら最後まで、捕まえるところまで2人でやらないか?お前もさっきそう言ってただろ』
た、確かに。2人の力で乗り越えたい、とかいろいろ言ったけどさ…。
『でも、どうやって…』
『大丈夫だ。ちょうどいい、案がある。それも、最高にトリッキーで、迫力満点のやつな』
自信満々に星川君が答える。その声は笑っている。
最高にトリッキーで迫力満点って、一体どんな案なんだろうか…。
恐怖で一瞬体が震える。でもそれと同時にからだがワクワクとしてくる。
悪者をやっつけるって、スパイっぽい!
それに、星川君の考える計画なら、きっと面白いに違いないもん。
『うん、やろう!』
『お前なら言ってくれると思った。じゃあ、まずは…』
「ふぅ~」
最後の計画を目前にして、息を吐く。
うぅ、さすがに緊張してきたかも。
計画はもちろんばっちりだけど、その壮大な計画に緊張感が走る。
『緊張してるのか?』
星川君の声が耳に響く。
あれ、これって…。その言葉は聞き覚えがあった。
そういえば、ここの会社に潜入する前にもこんな会話があったっけ。
あの時と同じく、緊張はしてるけど…。
『うん、大丈夫。だって私信じてるもん。自分の力と、星川君の力を。きっと二人合わせたら百人力でしょ?』
『ふっ…。言ってくれるな。まぁ、僕もそう思ってるけど』
きっと大丈夫。
あの時と違って、信じられる最高の相棒がそこにはいた。
私たちは二人で、一つのスパイなんだ。
『よしっ、じゃあ、行くぞ!』
『うん!』
私は短く返事をするのと同時に、下に向かって思いっきり叫んだ。
「え~。もう終わりですか?せっかく盛り上がってきたところなのに」
年や性別をごまかすために、念のため声色を変える。
「き、きさまっ!もう許さんぞ!サッサと降りてこい!」
「そ、そうだ!そうだ!卑怯な手なんか使うな!降りて俺たちと勝負しろ!」
社長と新井田が叫んで、私の真下へとやってくる。
それにつられて、他の人たちもやってきた。
「それってつまり、オレオレ詐欺の手順書を返してほしいってことですか?でも、詐欺っていけないことですよね?」
「あんなジジイやババアから金をとったって、誰も不幸にならないだろ!むしろ話し相手になってやってんだ。金取ってもらって、嬉しいんじゃないか?」
「そうだ、そうだ!社長の言う通りだ!」
なんて人々なんだろう。
想像以上に悪者過ぎる。お金を取られて、だまされた人は悲しんでるのに。
ふつふつと怒りがわいてくる。
もう、こんな思いをしてしまう人が、笑顔を失ってしまう人が出ないことを祈って…。
私は社長や新井田から見えないようにポケットからボトルクリッパーと呼ばれる、ペンチの形をしたハサミを取り出した。
さっき倉庫で発見したものだ。
「…わかりました。じゃあ、あなた方のお望み通り、降りますね」
そう言って、ボトルクリッパーをシャンデリアと天井をつなぐ鎖部分にかけた。
星川君に言われた通り、さっき、あらかじめ塩をかけておいたから、錆びていて、茶色く変色している。
「お、お前、何を…!」
クリッパーに精いっぱいの力を込める。
鎖の錆びた部分なら私の力でも切断できるって星川君が言ってくれた。
私は、星川君を。
そして、自分の力を信じてる。
『のぞみ!』
「いっけええええぇぇぇ!」
ブチッと鎖が切れる音がして、その瞬間シャンデリアが天井から離れた。
落ちていく風圧で、一本にまとめた髪が大きく揺れる。
「うわぁぁぁぁ!」
社長や新井田たちが目を見開いて、そんな声を上げる。
その上から、シャンデリアが大きく音を上げながら、落ちた。
ガッシャン!
何かが勢いよく落下した、大きな音に思わず耳をふさぐ。
あらかじめ手すりにロープを巻いて、私の体とつなげておいたから私はシャンデリアと一緒に落ちることはなく、吹き抜けのところで宙ぶらりんになっていた。
「…にしても、結構大事になっちゃったかも」
下の様子を見つめて、そんな声を出す。
シャンデリアは完全に、社長たちに覆いかぶさっている。
周りの人々も倒れていて、なにかあったってことは一目でわかる。
あっ、ていうか。
『うまくいったな。脱出するぞ、降りてこい』
『う、うん』
星川君の声で、ハッと我に返ってロープで体を持ち上げた。
そして、そのまま手すりをこえてロープをほどき、オリーブオイルに気を付けながら階段を下りた。
「おい、こっちだ!」
1階に着くと、星川君が入り口付近で待っていた。
その近くでは、大きなシャンデリアが落ちていた。
シャンデリアの下から人が出てくる気配はない。
まぁ、こんな大きなものが落ちてきたら動けないよね。普通。というか、それより。
「これ、大丈夫なの?生きてるよね…?」
「このシャンデリアはこう見えてプラスチック製のものだ。ガラス製は高いから金を出し渋ったんだろうが、そのおかげで重さも軽いから命にかかわるようなものではないだろう。まぁ、3階から落ちてきた分その衝撃はあっただろうけど」
「そうなんだ…。よかったぁ」
悪者をやっつけるのは大事だけど、やりすぎはよくないもんね。
「それより、もう行くぞ。この騒ぎに気付いて警察が近くまで来ている」
「わ、わかった!」
星川君に聞きたいことがあったんだけど…。ここを脱出してからでもいいよね。
と、そのときだった。
「…くっ、て、てめぇ!」
体をふらつかせながら、新井田がシャンデリアの下から這って出てきた。
全身はボロボロながらも、その顔は怒りに満ちている。
そんな頑丈そうな体つきには見えないけど…。強すぎるその感情だけで、体を動かしているのかもしれない。
「てめぇ、よくも俺の邪魔をしてくれたな。それも何度も!もう許さねぇ。お前なんかこのナイフで…」
そう口にして新井田がポケットに手を突っ込んだ。
ナイフ…!
その瞬間、星川君が半ば反射的に前に出た。
「お前は先にいけ。ここは僕が何とかする」
「いや、でも」
「いいから先に行くんだ!ここは危ない」
「いや、でもね、あのナイフ…」
私がそう言いかけた時、新井田の顔が変わった。焦りと困惑の表情に。
「あ、あれ…?ナイフがない?ここに入れていたはずなのに」
それを見て星川君も訳が分からないといった表情に変わる。
そんな二人を見て、私はポケットから取り出したものを掲げて声を出した。
「ごめんなさーい!あなたのポケットに紙を入れるついでに、ナイフがあったので取ってきちゃいました。まぁ、特に役には立たなかったけどね」
そう。新井田のポケットに紙を入れるときに、ナイフが入ってることに気が付いたので、何かに使えるかも、と思って取ってきてたのだ。
まさか、まさかの展開でこんなことを予想してなかったけどね。
「な、そ、そんな…。俺は…」
そうフラフラとしながら言うと、新井田はその場に倒れた。
その目は白目をむいている。
「えっ、大丈夫なの?」
「失神してるだけだ、よほどショックだったんだろうな。ほら、それより行くぞ!」
「あっ、うん!」
いつも通りに戻った星川君に声をかけられ、迫りくるパトカーの音を聞きながら私は重くなった体をよろよろと立ち上がらせた。
「はぁ、はぁ…」
ビルからかなり離れた、人通りの少ない路地まで来ると、前を走っていた星川君は足を止めた。
「ここまでくれば大丈夫だろう」
「はぁ…、っ、うん…」
辺りはすでに夕焼け色に染まっていた。
ゴーグルとマスクは途中で外してきた。
目立つ格好だから、すぐに怪しまれちゃう。
足を止めて、ひざに手を当てると、足が震えてるのが分かった。
映画や小説とかで見たり読んだりするのとは違う。
本物の真剣勝負。それも私だけじゃない命や、平和のかかった。
こわかった。
でも、やり遂げられたんだ…。
責任さえ、背負えなかった私が。
うれしさで、ふぅと一息ついて顔を上げると、そこには笑顔の星川君がいた。
その満面の笑みに、思わず胸が跳ね上がった。
「やったな、大成功だ」
「うん…!星川君、あらためてありがとう!」
「いや…。こっちこそだ。お前がいなかったら、僕は途中であきらめてたから」
そう言って、またはにかむような笑みを見せた。
そうだ。そういえば…。
「そういえば星川君、シャンデリアが落ちるときに私の名前言ってなかった?のぞみって…。いつもはお前、とか、おい、なのに」
そう。シャンデリアが落下する直前に星川君が私の名前を呼ぶのが聞こえたんだ。
そう言うと、星川君は顔を真っ赤にした。よくよく見ると耳まで赤くなってる。
「うっ…、いいだろ!別に」
「別に嫌だなんて言ってないけど…。むしろずっと名前で呼んでほしい。だって、お前とか、おいって言われても私のことだとはわからないし、スパイとして活動するには不便でしょ?」
「わ、わかったよ!分かったから、この話はもう終わりだ!」
そっぽを向けて、そんなことを叫んだ。
なんか、星川君の意外な一面をみれたかも…。
「星川君って意外と紳士的なところもあるんだね。新井田がナイフを出そうとして時も守ってくれたしさ」
「あぁ!もう、帰るぞ!…のぞみ」
今、のぞみって言ったよね!
星川くんやっと認めてもらえたような、本当の相棒になれた気持ちがして、気持ちが舞い上がる。
「うん!」
そう短く返事をして、私は走って星川君を追いかけた。
「よくやったな!」
「えぇ、二人ともお疲れ様」
「うんうん、頑張ったね」
「二人だけで乗り切るなんて、ブラボーーーっっだ!」
ラボに着くと、お父さんお母さん、そして佐倉さんと溝端さんが待っていてくれた。
やっぱり、溝端さんのキャラの濃さにはまだ慣れないけど…。
「それで、手順書は?」
「あ、うん。そのことなんだけど…」
カバンから手順書を取り出して、星川君に目配せをする。
「この後の処理も、僕たちに任せてくれませんか?最後まで自分たちの力でやりたいんです」
帰ってくる途中に星川君と相談して決めたこと。
私たち二人の力で何とか乗り越えたから、そのあとも責任もって二人でやりたいって思ったんだ。
そう言うと、お父さんは腕を組んで、うーんと口にした。
やっぱ、だめなのかな?
すると、お父さんが大きく両手を広げた。
「いーいじゃないか!まさか二人からそんなことを言うなんて…。成長したなっ、うっ」
なんでか分からないけど、涙まで流し始めた。
なんか、よくわからないけど…。でも、認めてもらえてよかった。
そうそう、ビルには星川君が警察に向けてのメッセージを残してきたんだって。
内容はよくわからないけど、スパイのことを知っている一部の警察の人ならわかるメッセージなんだとか。
まぁ、つまりスパイが来たってことは分かるんだって。
だから手順書を匿名で警察に送れば、警察も動いてくれるみたい。これで、みんなの笑顔が守れるといいな。
でも、法的にはいろいろしちゃったから、追われる身にはなるみたい。
「私たち、追われてるのかな?」
「まぁ、わりとぐちゃぐちゃにしてきたからな。…でも、それがスパイだ。スパイもいいものだろ?」
楽し気な口調で、星川君が口にした。
その雰囲気が私にも伝染してくる。
「…うん!そうだね。スパイも悪くないかな、なんて」
そう言うと、星川君がやさしそうに笑った。
「…そういえばさ、星川くんってどうしてスパイになったの?」
「それは…」
その時だった。
「ふっ、ふっ、ふっ。それはな、この俺に近づきたかったからだ!」
「溝端さん?」
そこにはいつものテンションで、ううん。
いつもよりもメガネをきらりと光らせる溝端さんの姿があった。
「…えぇ、本当ですかぁ?」
溝端さんと星川くんってなんかキャラ違いすぎるけど…。
「あっ、そうだ。佐倉さん、のぞみにもスパイの講習してくれません?通風口にも入れなくて大変だったんで」
「あっ!確かにそうね!じゃあさっそく今からやっちゃう?」
「oh!二人ともそんな恥ずかしがるなよ!」
くねくねと動く溝端さんを完全に無視して佐倉さんと星川くんが話しかけてくる。
「ね、どう?のぞみちゃんやってみない?」
「お前にはいい機会だ」
スパイの講習って確か、星川君が言ってたやつだよね。
いろいろ面白そうだし、やってみたいかも。
しかも、佐倉さんが教えてくれるならやさしそうだし。
「おっと、気をつけろよ。みやびくんの講習はスパルタで有名だからな」
「そうね。でも、のぞみには必要なことだからね」
「あっ、やめてくださいよぉ。私そんなに厳しくないですって。私的には」
お父さんとお母さんにそう言いながらも、佐倉さんの目は笑ってない。
ひぇ、これ絶対厳しいやつだよぉ。
…でも、
「やります!やらせてください!」
「あら、意外とやる気なのね」
「はい!だって、私もっとスパイの仕事がしたいんです。…星川君と一緒に」
もっともっといろんなことを習得して、みんなの笑顔を守れるようなスパイになりたいんだ。星川君と二人で。
そう言うと、星川君はフッと笑った。
「…じゃあ、僕もやろうかな。僕たちは二人で一つのスパイだしね」
そっか。星川君もそう思っててくれたんだ。
その事実にじんわりと胸が熱くなっていく。
きっとこれからも大丈夫。だって、私たちは二人で一つなんだから。
「じゃあ、行こうか?」
「だな」
私たちはうなずきあって笑顔で歩き始めた。
新しくて、まぶしい未来に向かって…。
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