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なにも知らないって幸せだ。 無知は幸福。 無自覚は正義。 鈍感力、なんて言葉が昔流行ったくらいだ、いろんなことを知らずに生きていくのは、人生を幸せに生きるためのひとつの手段なんだろう。 だから俺も幸せだった。 すぐそばにあった辛さも、悩みも、苦しみも、なにも知らず、俺には関係ないって顔をして、生きていられた。 でも、なにも知らないままの世界は、どうしたって「それまで」だ。 手を伸ばしてまで「ほしい」と思う意味や、価値は、その中には存在しない。 俺はどこまでも幸福で。 どこまでも、傲慢だった。 ……けれど、だからこそ。 必死に足掻いて、それでも叶わなくて、情けなくて、みじめで、泣きたくなるくらいの想いに駆られて、ようやく、ようやく知れたものを、なによりも──尊く思った。 なにかを知ることは不幸せだ。 博識は不幸。 認識は悪徳。 だけど、きっと、それこそが。 顔を上げて。 胸を張って。 ……そして、笑って。 ここで「生きる」、ってことなんだ。 ・・・ 「あー。ヤりてー」 「またかよ。いい加減がんばって彼女つくれー」 他愛ないやり取り。 いつもの風景。 大学の隅っこで、今日も耕太は、俺を描いてる。 「やー。晴樹誰か連れてきてくんね?お前の顔なら一発っしょ?」 「いや、人に頼んなよ彼女づくり。だから耕太はダメなんじゃん」 「んなことねーって」 「んなことあるって」 ばかなことを言うこいつ、土本耕太(つちもとこうた)と俺は、高校からの付き合いだ。高校の入学早々、いきなり耕太から話しかけられて、そのまま友達んなって、たまたま大学も同じとこへ行くことになったから、今もそのゆる~い関係が続いてる。 お互いサークルにも入ってないし、一緒の講義も多いから、ひまさえあればこうして一緒にメシ食ったり、ダベったりしてる。お互い一人暮らしだからそれぞれの家に行くことも多い。まだ1年なのにこの交友関係の狭さでいいのかな、と思わないこともないけど、耕太といると気を使わないでいいから楽なんだよな。 でも、エッチなことを当たり前に言ってくる耕太は相変わらず甘えんぼのキモオタだ。まぁ、キモオタなのは主に中身だけで、見た目は今どきのオタっつーか若干ぽっちゃり?ってだけだけど。 あ、俺は天中晴樹(あまなかはるき)。 趣味は特にないけど、耕太に勧められたアニメとかマンガを見るのが好きだ。 「いやぁ、しっかし晴樹クン。キミはホントに顔がいい」 「しつけーな。耕太も飽きないね」 iPad片手に俺へアップルペンシルをかざして、毎度のポーズをとる耕太に、俺はあきれる。 こいつはオタク──美少女とかが好きなわかりやすい二次元オタクで、自分で絵とかも描いてる筋金入りだ。俺も描くたび見せてもらってるし、絵とか載せてるSNSのアカウント(SNSだと耕太は『yomi』って名前を使ってる)も見てるけど、フツーにめっちゃ絵うまくてビビる。アカウントのフォロワー数もすごいし、それこそ現実とSNSじゃ耕太とyomiの存在は別モノで、それが時々、不思議でたまらなく思ったりもする。 「飽きるかよ。この絶妙にオンナっぽくありつつもオトコの顔だよな。いやー、マジで筆がとまらん。せめて身長がもうちょい小さけりゃなぁ……マジで男の娘女神として裏垢界席巻できたぞ。俺がプロデュースしてやりたかった……」 「いや、席巻したくねーわ……」 やけに早口な言い回しで、もう何回聞かされたかも覚えてないことを、耕太はまた俺へまくし立ててくる。 男の娘女神って、ばかじゃねーの。 男の娘(女の子にしか見えない女装男子のこと)も女神(エロ写真とかエロ動画投稿してくれるシロウトのこと)も、なんも興味ないっての。つかそんなことしたって、人気出るとか思えねーし。(ちなみに単語は全部耕太が勝手に説明してきた。) 「ホント、もったいねーよなー。こんないい顔なのによー」 「……。」 でも、なんの屈託もない褒め言葉は、俺にとって素直にむず痒い。 こんなことを堂々と言ってくるように、耕太は俺の顔が「すき」だ。 高校の時、明らかに住む世界が違うってわかってた(らしい、耕太的には)俺に声を掛けたのも、「クソ好み」だったのが理由らしい。なんたって、最初のセリフが「描かして!」だった。 つまり耕太は、ドツボにクソ好みだった俺の顔を絵として「描きたかった」から、俺に声を掛けたわけだ。まぁ、簡単に言えばモデルってこと。 だから俺と一緒の時はだいたい俺をスケッチしてるし、基本、iPadを手放さない。いつでも俺を描けるように、って準備万端にしてる。 耕太が描く俺はわりとイラストっぽくされてるけど、それでも顔は似てるし、描かれてる仕草とかマジで俺だなーって思う。でも、俺を描いた絵がSNSに上げられてるのは見たことない。プライバシーってやつなのかなと思ってるけど、別に今はSNSでも顔出しフツーの時代だし。 だからあんだけ描いてるなら、1枚くらいは絵上げたっていいのにって思う。そんなに夢中で俺のこと、3年越して4年目突入してまで描き続けてんだから、俺の存在、ちょっとくらいは匂わせたっていいんじゃん?って。 「なー耕太ぁ」 「ん?なんだよ」 「俺の絵、Twitterにあげねーの」 「だからあげねーって。晴樹も大概しつけーな」 「だってさー。俺の顔すきで描いてんだろ?毎日毎日。それ、見てもらいてーって思わねーの?」 「だから、まだ表に出せるって思えるモン描けてねーの」 「こんな描いてんのに?耕太すげー絵うまいじゃん」 「いやシロウトはマジそれな。俺なんて底辺だっての、いい加減お前もわかれ」 「え、耕太、底辺の意味わかってる?辺の底。底だよ。オーライ?」 「いやハナからオーライだよ」 「フォロワ4桁いるのに?4桁すごくね?」 「数なんて関係ねーの。俺がどう思ってるかなの」 「ふーん。オタクってメンドーな?」 「それな。オタクって面倒なんだわ。でもお前は顔がいい」 「まだ言う?」 「言う。悪いけど一生言うね」 一生か。激重。 でも耕太から顔がいい、顔がいい、って褒められるのは、正直、悪い気はしない。他のやつらにもそういうこと言われたりするけど、なんかを自分で「つくる」やつにそう言われるのってちょっと特別だ。 だから最初に耕太から「描かして」って言われた時も嬉しかった。そうやって誰かに「選ばれる」のなんて、俺は初めてだったから。だからそういう変な優越感も、俺がずっと耕太と一緒にいる、理由のひとつだ。 「まー耕太、エロ絵はひでーもんな。それは俺がモデルじゃなくてよかったかも」 「おまっ、それ言うな!どいつもこいつも俺の純潔をバカにしやがってッ」 「純潔て。おとなしく童貞って言えよ」 「言わねえ!クッソ、なんで俺のエロの情熱は届かねえ……!?」 「だから童貞のせいじゃん?」 「だからそれ言うなッ!!」 耕太はすげー絵うまくて、フォロワからも「神絵師」とか言われてやたらちやほやされてるけど、いちばんやる気あるエロ絵だけは、毎回ぼろくそ言われてて笑う。「萌えない」とか「抜けない」とか散々な言われようで、周りからの童貞煽りも日常茶飯事でネタ化してる状態だ。 実際耕太は非モテと童貞拗らせてるから、他のやつらの言う通りではある。出す話題の半分は、エロとエッチのことだし。 「クッソ……俺だってヤりさえすりゃもっと抜ける絵描けんだよッ」 「そっかぁ?別にエッチしただけじゃなんも変わらんよ?」 「うっせーッ!!!非童貞は黙ってろこのイケメンがッ」 「やーい、ドーテ~」 「クッソッ……今度の遠征、お前が食費払えよッ!」 「はぁっ?なんでだよっ」 「この前家キャンっつって俺んちの缶詰根こそぎ空けたろ!?」 「あー……それな。あったなー」 「あった!だからこの前話してた高級缶詰ッ!絶対だぞッ」 「……」 ビシッと俺を指差して主張する耕太に、一個400円の高級缶詰、と俺は脳内できちんと反復する。 耕太はこんなんでいろいろアレだけど、なんだかんだやさしい。家キャンの時も、缶詰結局、好きなだけ開けさしてくれたし。こいつのおかげで、俺もわりとオタクのアレコレにも詳しくなった……気がするし。 あ、家キャンってのはそのまんま「家でキャンプ」だ。耕太はしばらくゆるキャン△にハマってて(この「△」つけねーと耕太はすげー怒る)、聖地巡礼も一緒に行ったし、その流れでふたりキャンプもしたりした。買ったキャンプ用具がもったいないからって、今度もまたふたりでキャンプに行く。遠征、ってのはその話。 耕太は基本ヒキだけど、好きなものに関してはがっつりアウトドアでフットワークも軽いから、そういう耕太にくっついてあちこち付き合う時間は楽しい。俺だけじゃ知らない世界を見せてくれる。 だからこそたまに、俺にはなんにもないな、と思うことがある。 なにかを夢中で好きんなったり作ったりしてる耕太と違って、俺はなんもしてないな、って。別に俺には作りたいものなんかないし、やりたいこともないから、そう思ったところでどうしようもないけど。 でも、ふと、時々思う。 じゃあ、俺には、一体「なに」があるんだろう、って。 「──」 強いて言うならさっき耕太が言ってたみたいに非童貞で彼女居たことある、とか?でもそれでマウント取るのなんてマジでダサいし、別に俺は耕太にマウント取りたいわけじゃない。 ただ、本当になんとなく、そう思うだけで……。 「……」 耕太は、今日も、俺を描いてる。 一生懸命。一心不乱に。無我夢中で、俺を描いてる。 でもあとで見た耕太の絵描きアカウントに、今日も俺のスケッチは、どこにも載っていなかった。
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