少女騎士団 第八話

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チチッ、チチッ。  暗闇の向こうで何かが鳴いている。身体が怠く、いつもよりベッドに沈んでいる。手をつき上半身だけ起こして眼を開くと、隣のベッドはもう抜け殻だ。戦場から帰って四日。みんなが普段に順応していくっていうのに、あたしはまだ下半身が海に沈んだままだ。手を見ながら握ったり開いたりし、少し耽った。まだ海の中で踏み潰した『あれ』の感覚が残っている。枕元の時計は〇五三六時で、いつもなら再び眼を閉じてベルが鳴るのを待つけれども、今日は床に脚を下ろしてベッドに座った。 「姫は健気だねえ」  頬杖をついて、ナコ姫が毎朝『それでも散歩に行く』と決めた意思に感心していた。城壁に囲まれた城を越えられないとわかっていて、毎朝、王子さまを一眼見に行くお姫さま。彼女のベッドは綺麗にシーツがたたまれていて、枕も定位置を寸分違わず、全てが綺麗で美しく、一ミリメートルの違いなく整えられている。ナコはいいお嫁さんになるだろう。清潔で、一途で、おんなのこらしくて、強くて、料理も上手で、やさしく、かわいい。 「ティーチャーはナコのどこが気に入らないんだ?」  姫に比べ、あたしはどうだ。なんとなく、おんなのこでいることが面倒なくせに、なんとなく、おんなのことして扱われたい。おしゃれもそこそこ、チヤホヤされていたことを捨てたリトに嫉妬し、ファブの妹的人気もいいなと思うし、姫の『これこそ乙女』な雰囲気もまとってみたい。大きなあくびをし、天井に向かって両腕を突き上げ、身体を伸ばして「たまにはあたしも」と散歩に出ることにした。  今日も曇り空、今にも雨が落ちそうだから玄関ホールに余っていた緑色の傘を持って寮を出る。来月には色づき地に落ちる葉、湿った空気が髪に巻きつく。朝の空気は生まれたてで新鮮だ、とか言って勘違いをしているひとが多い。こいつらは、昨日も、その前も、ずっと前からここにいた。ただ、もしかすると風に乗って、あたしらが知らない土地から知らない匂いのやつが、ここにやってきただけだ。道路脇の芝生が気持ちよさそうだから、裸足で思いっきり走りたくなる。姫は毎朝、こんな時間を独り占めしているのかと思うと早起きをして、散歩をするのも悪くない気がする。重い空に、重たい音で、規制解除前だというのに輸送機が上がっていった。その後ろを続いて戦闘機が四機上がっていくのが見える。 「あれの名前はなんだったっけなー」  姫が言っていた「昔、ティーチャーが乗っていたんだよ」という空軍主力機だということだけは覚えている。あたしの記憶力というヤツは興味のないことに対して、この程度しか発揮しない。並木道を歩いて噴水の近くに来たとき、ナコとティーチャーが談笑しているのを見つけ、思わず樹の影に隠れてしまった。 「もうすぐコートを持ってこないといけないな」 「なんだか、わたしがそうさせているみたいな言い方ではないですか」 「違うのか?」 「違……います。………わたしはっ」  あたしは樹に背中を預けて座り込み、気づかれないようにゆっくりと傘を開いた。朝にナコが散歩をするのは、ティーチャーと会うためだという事は知っていた。だけど、こんなにまで親しく話しているなんて思っていなかった。その声たちは、あたしが知っている声たちとは、ずいぶんと違うように聴こえる。 「持ってきた傘が緑色でよかったなー」  傘をゆっくり回す。この深い緑色なら、うまく最期に向けて光合成を行う葉のなかに溶けこむだろう。ナコは、その身を捨てられ、突き放され、近づくことも許されないくらいになるまで、触れられなくても近付けるところまで近付きたいくらいにティーチャーが好き。 「その分だけ苦しむのにねー」  例え、深く傷ついたとしても一ミリメートルでも近付きたいくらいに好き。彼女は毎朝、この数分の会話のために早起きをして、髪を梳き、鏡を見て、制服を正しく着て、寮を出る。もしかしたら、毎朝、ティーチャーと別れた直後には、もう明日話す内容を考えるのかもしれない。そもそも、会える保証なんてものもないのに、一秒でも長く、一言でも多く、ティーチャーの声が聴きたいから、毎朝誰よりも早く起きる。それくらいにティーチャーのことを……………………。  あたしがティーチャーを好きだなんて、ナコにとってはなんてことなかったのだろう。もし、ナコが本心を言える女の子なら「イリアルが好きだとしても、そんなの関係ないよ」と笑い「わたしがティーチャーを好きなのは変わらないからね」と真っ直ぐな眼で言っていただろう。ナコはティーチャーが誰を選んでも好きでいられるんだ。他の誰かを愛する、そんなティーチャーも好きなんだろう。あたしが使う『一途』という言葉が安いものだと知った。 「本当に傘が緑色で良かったなー」 「傘を持ってきてよかったなー」  基地の、この樹々や芝のなかで深緑は迷彩色だから隠れられる、隠せる。 「ナコ………あたしはね、ティーチャーのこと…………はあ、かっこわる」  寮に戻り、食堂に行って、ナコ姫がコレクションしている紅茶の缶たちが入った棚を覗いた。ずらずらと並ぶ缶の中から、姫が一番口にしている色のラベルが貼っている缶を取り出し、お湯を沸かして、そろそろ帰ってくるであろう姫を待った。今日は姫の代わりに、あたしが紅茶を淹れよう。カップもふたつ用意していよう。嬉しそうに話す、ティーチャーの話をたくさん聴こう。しあわせな話はひとをしあわせにすると聴いた、風邪よりも感染力が強いとも聴いた。わたしにもうつしてもらおう。 「おかえり、姫」 「ただいま……?あれ?イリアルが早起きっ!?」 「うん、なんとなくね。たまにはさー、朝の空気も吸いたいじゃん?」 「ねえ?ナコ………?」 「なに?………イリアル?」 「あ。いや、紅茶……紅茶淹れたんだ、飲む?」 「うん、飲む」  今日もあたしたちの普通が始まる。 …………………………  教師に教材を運ぶように指示されたので、それらを持ち教室に向かう途中でホムラ中尉に会った。 「あらミトエ准尉、それは?」 「教材です。運ぶように言われました」 「貴女は貴女で噂……通りね?」  変人、と言いたいのだろう。中尉の眼を見る、私の眼で察したのか「失礼」と言って微笑み、新しい制服と搭乗着が届いたことと、学校が終わったらハナミズキ隊で隊長室に来るように伝えられた。  全ての授業が終わり、ハナミズキ隊の四人で隊長室に向かう。廊下の角で制服を正すように言い、ファブのネクタイを直して「ありがと、リト」と笑顔で言われてから、隊長室のドアの前に立ち、ひと息。 「ハナミズキ隊リト・ミトエ准尉以下、ハナミズキ隊四名、入ります!」  開けられるドアはユアン中級准尉が開いてくれたもの。隊長室に入るとティーチャーとホムラ中尉が話をしていて、シュタイン少尉、デルリッヒ中級准尉が「おつかれさま」と声をかけてくれた。学業は私たちに課せられた任務のひとつであり、特に「おつかれさま」と言われるようなことはしていない。ユアン二級准尉が「隣へ」と言って、会議室に案内してくれた。二級准尉の手で段ボール箱に入っていた、それぞれの服が長机に並べられる。 「きれい……だね」 「すげーな」  ナコとイリアルの眼が輝いていた。ファブは制服よりも搭乗着の方が気に入っているようだ。そこにティーチャーが入ってきて、簡潔に閲兵式での役割が伝えられた。私たちハナミズキ隊はパレードには参加せずに警備に当たる。イリアルとファブは残念そうな顔をしていたが、私は光栄なことだと思う。寮の部屋に戻るとファブが抱きついてきて「リトは残念じゃないのっ?」と言うのだが、私にそんな感情はない。彼女なりの思いやりなのか、身体に巻かれた腕に触れて「いいや、全く。光栄なことだと思うよ」と素直に伝えると、ファブが余計に複雑な顔をするのだ。  私は『ヤマユリ』から『ハナミズキ』に志願し異動した変人だ。理由は簡単。少女騎士団にアイドルとして入り、月華という力を手にしながら行使することなく、皆に笑顔を振りまいて猫なで声を使うのが不快だったから。少女騎士団として重要な仕事のひとつだとは理解していたが、私には『広告組』の仕事が向かないと分かり異動を申し出た。  ただただ、戦いたい。それだけだ。国を守るために戦う、それが変人扱いされる世の中では無いだろう。 「何を考えているんだ!」 「どういうことか分かっているのか?」 「考え直せっ!」 「人を殺すんだぞ!」 「あなたみたいな人間はさ、和を乱すんだよね。しょーじき、ひくわー」  本当にお可愛い。それら言われたことや考え方に、人間は可笑しな生き物だと改めて思った。そうだよ、私は人を殺したいんだ。同胞の嫌味や偽物の笑顔を振りまくだけの仲間はいらない。生死をともにする強い意志で結ばれた仲間が欲しい。 「私は第八騎士団ハナミズキ隊の隊長をしている。君が欲しい、来るか?」  世界中が敵に回ったように感じていた時、どこかに行くと言って、真っ白な車に乗らされる直前にティーチャーが、私を引き取ってくれた。だから、貴方や貴方の期待を裏切ることは許されない。ファブの頭に手を置いて、やさしく撫でる。 「行こう、エド中尉が待っている」  私たちに新しい制服と搭乗着が届いたんだ、早く袖を通したい。今の制服と搭乗着は他人の命を吸いすぎて重いと感じていたところだ。また純白から始めようじゃないか。私は、私の身が汚れようとも、自分の欲求には従順に立ち振る舞わせてもらう。人を殺してまでも、そこに行けるなら屍の山を作るさ。私は自分の……が欲しい。 「リトは変だと思うけどなっ」  口を尖らせて言ったファブが、不覚にも可愛いと思ってしまった。 …………………………  新しい制服に袖を通した少女は、とても美しくて、神秘的で、触れれば壊れてしまいそうなくらい、純白。私にもこんな時代があったのだろうか。 「ねえっ、中尉!似合う?」 「ええ、とっても」  すっかり懐いてくれたファブは、くるりと回って見せた。私が彼女に初めて会ったときは子どもだったのに、今では女性の色も見せるくらいに成長した。  彼女たちは全国民の娘であり、姉や妹、あるいは歳の離れた恋人。そして、アイドル……崇拝の対象であり、象徴。国民を守り、兵士から守られる儚い少女でなければならない。だけど、あなたたちが「ティーチャー」と慕う人間は、あなたたちをね……………なんて、伝えるくらいに、まだ私は美しいだろうか。  私も、あなたたちをね…………。  副首都行政区の大通り、その両側は閲兵式のパレードを見ようと多くの民衆が集まり、歓声と国旗で埋め尽くされた。楽隊のマーチに合わせ行進する陸軍兵。その様子を沿道に配置された燦華の前で敬礼をし、見送る。 「警備に推したのは少佐ですか?」  私は、いつも光が当たらない彼女たちが閲兵式で輝けるものだと思っていた。しかし、閲兵式でも光が当たる事がない警備に配置された事に少々苛立っていた。 「まさか。私にそんな力はないよ」  嘘。本当に嘘が下手ですね。 「何か起きますよね?」 「こんな晴れの舞台に物騒な事を言う」 「誰も聴いていませんよ」  閲兵式に出席する高官たちは、出世の証である胸のバッヂの数と大きさや重さ、敬礼の美しさを競い、国民の歓声と揺れる旗を自分たちの物だと勘違いして、酔っている。 「新しい制服を着た彼女たちを見ましたか?」 「いいや。今朝、搭乗着を見ただけだ」 「制服も美しいですよ」 「そうか」 「この歓声の中に彼女たちの親族がいるかもしれないのに」 「それはない」 「酷い言いようですね」  母親や歳の離れた姉のような心境と言えば、嘘だ。しかし、彼女たちこそ『ヤマザクラ』や『ヤマユリ』より歓声を浴びるべきだと思う。あんな小さな身体で前線を駆け戦う少女。うつむいて、きっちりと敷かれたレンガを踏みつける靴たちを見ていると、大きな歓声が私の視線を前にやる。 「君の憎むべき相手かな?」  閲兵式仕様に美しく、純白なカラーリングされた月華のカウルハッチを開けて、手を振る陸軍の広告塔。私が彼女たちに喝采と歓声を贈る理由はない。 …『ザッ!こちら本部、ハナミズキ隊配置へ』 「こちらハナミズキ隊ハイイロギツネ了解。全員、聴いての通りだ。さあ、仕事をしよう」  私は燦華に乗り込む少佐を見届けながら『ヤマザクラ』へ向けられた喝采と歓声に苛ついていた。 「エド。しっかり見届けて、早く基地に戻ろう」 「………はい」  少佐。いつも不機嫌な表情の貴方が、今日は微かに笑っているんです。楽しい出来事を隠しきれない子どものように。  ……何か、楽しいことがありますよね? ………………………… 少女騎士団 第八話終 Das armee Spezialpanzerteam 3, Mädchen ritter Panzer team 8."Hartriegel" Drehbuch : Acht Ende.
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