雨洞

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事の発端は簡単だ。世の中ってのは大抵が同じ繰り返し。戦争は繰り返す。共産主義や宗教絶対、みてえな社会は破綻する。暴力は乾いた拳で殴り合うくらいが可愛いが、切ったり抉ったり突いたりするとグロテスクだ。銃で撃つと、無味乾燥だ。殺した気がしない。 策略なんかは一番最低。小説で言うなら伏線って所だろう。なぜって?大体が策略した人間の手は汚れないからだ。弱い奴が、弱い奴を討つ。それを手を叩いて上の奴が喜んでいる。 今度の話も極々ありきたりの話だ。あるところに情に厚い親分さんがおりました。皆々から大変好かれておりました。その上の親分さんからも大変信頼がありました。それを妬む者もまたおりました。妬み嫉む者は、親分さんの娘を拐かし、何人かの男を雇って手酷くいたぶりました。哀れ娘さんは心を病み、親分さんが急用ででかけている間に親分さんのおかみさんと鴨居に紐をかけ、えいや、と踏み台を蹴飛ばしたのです。親分さんは気が狂わんばかりになりました。 いいえ、きっと狂ったのです。 親分さんは組を解散しました。そして復讐を誓いました。でも、一人ではどうにも出来ません。生きるためにはお金も必要です。だから、 だから、俺の出番という訳だ。 「復讐が終わったらどうするんだい」 「さあ…解らん。死のうか」 「やめてくれよ」 「ふふ、なんだ、同情してくれるのか」 「同情じゃない、同情じゃねえけどさ。同情じゃない感情を言おうとしたら何も出てこねえんだ」 「じゃあそうじゃないのか」 「違うんだ。きっと、ぴったり当てはまる言葉がないだけだよ」 俺の寝床は神谷町の外れにある。与太者の街、神谷町。尾崎探偵事務所、と一応名前を掲げちゃいるけど、その実はちょっと危ない便利屋扱いだったりする訳だ。俺は男やもめにウジが湧く、を地で行く男なので、探偵事務所の中は非常に汚い。そこで男が二人。もちろんどちらもそんなに家事が上手いわけではないので、コンビニ弁当をつつく毎日だ。 「もう、俺の名は隅々まで回ったかな」 角ばった顔、一重の切れ上がった目、俺より体格の良い山田がコンビニの弁当を完食するのを、この一月見たことがない。腹が減らないんだという。だから血色の良かった頬はこけ、反対に目はギラギラとしている。放っておけば飯も食わない。復讐の鬼とは、こういう男の事をいうのだと思った。 「まあ少なくとも北海道までは。あんたを捕まえようと躍起になってるようだよ、連中は」 「そうか…。尾崎、お前もそろそろ俺を見捨てるべきだ。俺は私情の為に同胞に手をかけたよ。だからあいつらは地の果てまで俺を追ってくる」 「後悔はしてねえんだろう?」 「ああ」 「じゃあいいじゃねえか」 「お前は相変わらずだなあ」 「俺は現実主義者じゃないからね。無駄な感情が大好きさ。仇討、結構な美談だ。今の日本はそうするべきだよ」 「時代錯誤さ」 「歴史は繰り返すのさ」 さて、なぜ俺がこいつを匿っているのかと言うと、昔、駆け出しの探偵だった頃、助けてもらった恩義がある。だからだ。 という建前だ。 山田にコーヒーを入れてやる。一月、俺はこいつを匿ってやった。山田の娘を陵辱したチンピラを一人捕まえて山田の気を晴らした。 そこで俺は山田が見ていない間にコーヒーに白い粉を入れる。勿論情に厚い親分さんは俺のいれたコーヒーを飲むだろう。 そして十分位したら俺の顔を訝しげに見ると思う。 体がどうして動かないのかって事を俺に問いたげな顔をする。 俺は黙って携帯で連絡する。もしもし、藤堂さんですかと。その時山田は悲惨な顔をするだろうな。それが気持ちよく感じる俺もまた狂っているのだ。 チンピラ一匹で鯛が釣れましたね、と俺は依頼主と笑うだろう。 「という作戦でいいかね?」 「お前はつくづく、策士だよ」 「まあ、歯の2、3本や、尻の穴の処女の喪失は堪忍してくれよ」 「あいつは俺に迫っていたからね。喜んで食いつくだろう」 「坊主憎けりゃ…って奴か。脱出は各自で頼む。隠れ家は目白の●●だから。後、失敗しても俺は責任をもたない。くれぐれも、俺に迷惑をかけてくれるなよ」 「ありがとう」 山田は微笑んだ。いい顔だ。 俺は痺れて動けない山田の頬を撫でながら携帯のリダイヤルから藤堂の番号を押し、耳に携帯をあてた。 トゥルル、トゥルル、そんな音を聞きながら、山田にふと、聞きたくなった。 慈悲の反語って知ってるかい。 慈悲の反対は憎悪だという。 それならあんたの本性は、どちらだ。家族を無くしたという憎悪という感情故に動いているのか、慈悲深さ故に、娘恋しさ故に動いているのか。 俺は山田の本心を探る術を知らないので、聞いてみたところでやっぱり、解らないのだ。
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