蟲毒の壺

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戦争時に使用された古い地下道を掘り進めて作られた私設闘技場である。住人は少なくとも常時百人はいるだろう。刑務所のようではなく、かといって自由ではない。 「ここに堕ちてくる者の罪の様々さと言ったら、本当の地獄と変わらないものだ。姦淫の罪、裏切りの罪、勿論純粋に借金、なんてのもあるがね。人に騙されてここに来た連中もいる。ともかく、ここのルールはたった一つ、生き延びることだ。無慈悲は自分を救い、慈悲は自分を殺すのだ。…ここを作ったのは、お偉さんがたってのは馬鹿でも解る事だが、お前達はその憂さ晴らしによって死んでいく。戦う意思がなければ、戦わなければ死ぬ、戦っても死ぬ。…中国のある部族が呪いに精通していた。「100の虫を壺の中に入れ、その中で一匹だけ生き残った虫を蠱と呼ぶ。その蠱を呪いたい相手の食べ物や酒に混ぜるとたちどころに死ぬと言う」そういういわれを上の人間は面白がったのだ。だからこの地獄の事を「壺の中」と呼び、我々を虫けらのように扱う。ここから出られるルールは一つだけ、99人、殺すことだ。月二回の試合で、死闘をお偉方に見せねばならない。あの、リングの上で」 そう言って老人が指を指すのは、広いホールの真ん中に嫌味のように建てられた大きなコンポート型のリングだ。あれを眺めて生きねばならぬのだ。いや、仮に生き抜いたとしても。 「【蠱】になったからといって自由があるわけではないのだ。99人戦って殺したって、誰かの飼い犬になるしかないのだ。自由などないのだ、お前たちには。なぜなら虫けらなのだからな。日本で飼われているものも、勿論珍しさに外国に連れて行かれて無残に死んだ男も女もいる。ただ、ここにいるより死ぬ確率が少なくなった、それくらいだ。いや、陽の光が見られるならば、少しはましなのだろう」 ここのルールは簡単だ。カウントだよ。自分がここから解き放たれる数字は、自分が殺した数だ。勿論殺さなくともいい。その代わり自分のカウントは減らない。殺さない限り、永劫にだ。 そう言って、老人はまた卑屈に笑った。それから、その子に名前はなかった。ここには通名しかなかったから。 リングの上で戦い、少なくとも3回は勝たないと名前はもらえない。なぜなら、一度で死ぬ奴はごまんといるからだ。 その子の父は毘沙門天と名付けられた、その子の母は吉祥天と名付けられた。 毘沙門天は雄雄しく賢い男だった、吉祥天は美しく逞しい女だった。歳は毘沙門天が30代後半、吉祥天は20代後半だったと思う。 幸か不幸か。 二人は同日に此処に連れてこられたのだ。二人はお互いを一目見て恋に落ちた。毘沙門天も吉祥天も武芸の道に秀でていたし、二人の恋というのはけして優しいものではなかったので、二人はお互いリングの上に立っては勝利を勝ち得た。二人は与えられた住居の内の一つだけに住んだ。いつも一緒にいた。 そして吉祥天は身篭ったのだ。 毘沙門天は上の人間に掛け合った。 己が代わりに吉祥天の分まで戦うと。 その代わりに吉祥天が子供を産むまでそっとしておいてほしいと願い出たのだ。 上の者は面白がった。彼らには二つの財源があった。一つはこの地獄に放り込まれる人間共の捨て賃。今時ゴミを捨てるにも金がかかるのだ。大方一人50万、厄介ならば百万以上というところだな。この施設も金がかかっている。もう一つは、一番の金儲け、賭け事だ。月に二回行われる試合で、誰が勝つか、負けるか。 それを世界中を中継で結び、大博打を行うのだ。
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