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ここまでで、みなは絶望したように思う。
暗い話だ。だが、真実はもっと陰惨だ。
その夜、リングがある広場で結婚式が行われた。インドラに部下たちがおめでとうございます、と口々にお世辞を言った。ありあわせのテーブルクロスの上に配給された食べ物が乗った机を囲んで、みなは祝う振りをした。上座では、鎖に繋がれ、椅子に縛られた毘沙門天と、一人だけ機嫌のよいインドラが座っていた。
暫くみながほうぼうに飲食をしていたが、部下の一人がインドラに耳打ちをした。するとインドラは口を拭うと、立ち上がって皆にこう告げた。
「今日は特別な日だ。俺と女房が家族になる日だ!だから特別に、試合を行うことにした!祝いの場にぴったりな、女同士の戦いだぞ!」
歓声を上げる列席者達、リングの上に青い顔の吉祥天が現れた時、女の格好をさせられた毘沙門天は悲鳴をあげた。椅子をガタガタと震わせて吉祥天の元へいこうとしたが、インドラはそんな毘沙門天を後ろから抱きしめて、耳元で囁いた。
「どうだ、我が妻よ。これで未練は消えるのだ。赤子が大事なら、黙ってみていることだぜ」
「インドラ、貴様というやつは…」
「俺が憎いか、毘沙門天。憎いなら、憎い分だけ俺を愛するんだ。俺はな、初めて人に惚れたのだ。それがお前だ、我が妻よ」
「吉祥天になにかあれば、殺してやる!」
「その前に赤子の首を捻ってやろう、ええ?三人仲良く死ぬか?」
「うう…!」
そして、吉祥天の相手が現れた。
吉祥天の出産を手伝った女の一人だった。その胸元には。
その女の胸元には何かをくるんだ布が縛り付けてあった。ずしりとした重みのある包みの中からは、泣き声が聞こえた。
それに、女には長剣が与えられたが、吉祥天には短剣一つが与えられたきりであった。
吉祥天は、女の胸元になにがあるか、悟った。そして、リングの上から毘沙門天を見下ろした。毘沙門天も吉祥天を見上げる。
見つめ合い、そして、吉祥天は笑った。
短剣の鞘を払い、自分の胸元に切っ先を当てると、彼女はリングの上から飛び降りた。
毘沙門天の叫びは高く、高く、吉祥天は次第に低く、低く、落ちていく。そして、毘沙門天の前に、背中まで刃が刺さった吉祥天が落ちてきた。
最早息絶えた吉祥天の体からは赤い水の海が広がった。毘沙門天の慟哭が、さながらその場を葬列に変えた。
心あるものは、みな吉祥天を悼んだ。
ただ、インドラと、その類の者は。
今夜は毘沙門天とインドラの婚儀だと、疑わなかった。
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