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インドラは首輪を毘沙門天にはめなかった。
代わりに背中で眠っている阿修羅ごと抱きしめた。最早、彼らは家族だった。
その日から彼らが三人で剣の稽古や体術を阿修羅に教えているのをよく見かけた。
三人は特殊な家庭だったというべきだろうが、それが不幸であったと言えば違うのではないかと儂は思う。
インドラは毘沙門天から愛する妻を奪い、子の名前さえ勝手につけ、阿修羅をわが子として名づけた男だ。あまつさえ毘沙門天から男としての一切を奪い、女として扱ったのだ。
…時は矛盾を解決し、時はあれは定めであったと、運命であったと諦められるようになることもある。薄情なようだが人間はいつまでもその時の感情のままではいられない。
ましてや阿修羅という可愛らしくも素晴らしい我が子が目の前におり、憎き敵を父さまと呼び、実の父を母さまと呼ぶ。
インドラは素晴らしい夫であり、父になった。献身的に家族を思いやり、妻を愛する。
次第に彼ら三人は実の家族へ昇華されていったというのは、誰にも責められぬことだろう。
相手を憎み続けるにも体力が要る。
慈しみ合えば、血は流れぬのだ。
インドラが愛しい妻よ、と毘沙門天の手を握り抱き寄せると伏し目がちにそっ、と視線を逃すが、もう一度優しい声でインドラが呼びかけると彼は花の蕾が開く様、ゆっくりとインドラをみつめ返すのだった。
完璧だった。
全ての調和は完璧だったのだ。
…だが、時というのは優しくもあると同時に残酷だ。
風はひとところに留まらない
川の縁にある石は水の流れで削れていく
人は生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみを産まれた時から持って産まれ、死ぬのだ。
時は残酷であるから、優しい。
完璧な時間があるがゆえ、崩れてもいくのだ。
崩れ始めたのは、インドラの部下の心からであった。
元々インドラを慕って徒党を組んでいたわけではない。
打算やインドラの力が己より強いとみて、インドラに頭を垂れた烏合の衆の集まりだ。
インドラは、まともになりすぎた。
妻を思い、子を思い、無駄な殺生や強姦をせぬようにしたばかりか、それを配下にも義務つけた。心の拠り所のない男達にとって、インドラは次第に敵になった。あれは、以前のインドラではない。最早不要だと、そう言いふらすものが出てくるようになる。その名をシヴァと言う。この男は一点の曇りなき悪党で、いつもインドラの第一の部下という顔をして付き従っていたが、その裏では自分がその座を奪い取ろうと虎視眈々としていたのだ。
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