地獄みたいなところ

1/7
前へ
/79ページ
次へ

地獄みたいなところ

なにか、おかしい。 萩原は思った。 萩原は小悪党である。 罪を犯し人を騙すことになんら罪悪も感じないし、むしろ自分が持てる力の最小限の熱量で最大限の利益を生み出すことに快感を得られる人間である。狡いとか、セコイとか、人は萩原のことをそんな風に揶揄することもある。要するに前述の小悪党という名称は、萩原にお誂えのものなのだった。 だから、なにかがおかしいと感じるのはそのせいだ。 小悪党は、自分の身辺の異変に気が付くのが早い。なぜなら些細なことに気がつかない鈍感な者は小悪党と失格なのだ。ちょっとしたことでもおかしなことになると、命取りになる可能性があるからである。 (なんか、おかしいんだよな。俺はそういうところに勘が働く奴なんだ。なのに、なんでだろうかね。俺はなにかに感づいているはずなのに、それがよく解らねえんだとは。俺もヤキが回ったなあ) 藤堂の屋敷では中庭以外は禁煙である。山田が姿を消してから数ヶ月、萩原もここに住むようになった。 水の入った灰皿に煙草の吸殻を投げ捨て、自室に帰ろうと廊下を歩く。 …左から女のすすり泣く声が聞こえてくる。三浦の女が囚われているのだ。 右の部屋からは男の喘ぎ声が聞こえてくる。 三浦が佑一に犯されている。雨洞の真似を何回も何回も教え込まされて、それでも本物ではないと暴力を振るわれながら犯されている、それをまた、扉を開けっ放しでやるもんだから、三浦の女が臓器が口から出そうだと言わんばかりの苦しい声で泣くじゃないか。 そして大部屋を通れば下っ端の男達が陰鬱な顔でこちらを見て挨拶する。少なくとも以前より、生きているのが辛いような顔をしている男達。まあ当然だ、俺達は上を選べない。忠誠を誓った親分の命令を聞いて、死ね。いかに狂った男の下であったとしても、それはお前の運命だ。そう思いながら萩原は二階へ行く。今日は確か高坂が来ていたと思う。 そう思いながらふと、廊下の窓ガラスに写る自分の顔を見た。 (…おいおい、なんだお前は。随分ひでえ面をしているじゃねえか。土気色をした肌に、げっそりとした表情。お前はなんだってこんな顔をしているんだ、俺) 思わず立ち止まって自分の顔をまじまじと見た。 俺は、なにか忘れている気がする。というか、忘れたいことがある気がする。 この家は、なにかおかしい気がする。 俺はこの家で、なにをしていたのか。 そう思う萩原の背中を誰かが叩いた。ノロノロと後ろを見る。 女がいた。歪な女。藤堂が真珠と呼ぶ女は萩原を見上げて微笑んだ。 「なんだ、こんな所にいたのね」 美しい女が微笑むとき、萩原は心底嗚呼、と思うのだった。 (俺はどうして忘れてしまうのだろう。毎日、毎日。こいつに会うまで記憶喪失になるのはどうしてだ) 女は手を取り、萩原を誘う。いつものことです、そんなことは。 廊下の窓ガラスに写った不幸な男に言います、助けてくださいお金ならいくらでもあげますから。 俺は一体なにを悪くしてこんな罰を受けるのだろう。 その部屋はなんにもない畳の部屋だ。布団部屋のような小さな部屋、湿気のある匂いがするそこは、煎餅布団が一枚しいてあるだけの場所だ。 女は部屋へ行くとまず、立ったままの萩原の上半身の服を剥く。素敵よ、と言いながらまだ洗ってもいない萩原の胸についた赤い飾りをちうちう、と吸ってみたり、かじってみたりする。飽きたらキスマーク、なんかでたらめに肌に残して、それからズボンのベルトを外してやりながら萩原を嘲笑ってやるのだ。
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加