雨洞

9/12
前へ
/79ページ
次へ
「い、いてええ、痛えよお!頼む、頼む、佑一、ぎゃ、ぎゃあああ」 「うるせえ、うるせえ」 「いてえ、いてえ、もう、殺してくれ、頼む、死にたい、いてえよ、なにもかもが、いてえよ…」 佑一も痛かった。なにも気持ちがよくなかった。上座を見ると、藤堂が笑い転げていた。佑一と目が会うと、笑いすぎて涙を浮かべた目をこすりながら、音には出さず、唇を動かした。 (これで、お前も、私と同じだね) そうだ、これは。 山田の娘がされたことの再現なのだ。 そう、思った瞬間、どうでもよくなった。 自分の下で雑巾のようになった男の足を掴むと自分の肩に乗せ、深い所まで突き上げた。 叫べ。雨洞さん。痛いか。そうだろう、俺だって痛い。なにもかも痛い。 人の尊厳もなく、こうやって、俺は人でなしをしている。してはいるがこれは雨洞さん、あんたの為だ。だから、叫べ。あんたが叫べば叫ぶほど、藤堂という男は手を叩いて喜ぶんだ。そうしたら満足するんだ。俺はそれを解ってやっている。人助けをしているんだ。 「これは俺の女だ、いいですね、藤堂さん、いいですよね!もう誰にも手出しをさせないですよね!俺だけのものですよね!」 「勿論だとも!」 藤堂が大きく頷いた。 それで、全てがうまくいくとは限らない。ただ、雨洞の意識はまだ健全であったのだ。誰も望んでいない鑑賞会が終わると、立てもしない雨洞を泣きじゃくっている裕二と二人でとりあえず、とあてがわれた藤堂の家の二階にある応接間に運んだ。生臭い匂いを少しでも和らげようと、少しだけ、窓を開けた。 「お前なんか、目をかけるんじゃなかった」 「すみません、こうするしか」 「うるせえ、顔も見たくねえ」 「…すみません。ー湯を、とってきます。とにかく体を拭きましょう。おい佑二、ちゃんと雨洞さんを見ててくれよ」 「うん解ったよ兄ちゃん」 一階にある台所で、バケツに湯をはる。…しばらくそうしていた。なにもしたくはなかった。 それからどうしても堪らなくなって中庭に出た。ここは中庭の喫煙所以外は煙草が吸えないのだ。ポケットから煙草を取り出そうとして気がついた。手が震えている。舌打ちをしながら、ようやく口に煙草を咥えた。火をつける。 ふと、空を見上げた。 なにかが目の前を横切った。 鈍い音がする。コンクリートで塗り固めた部分に、なにかが、大きな何かが、落ちた。ボキ、と乾いた音。人間が、落ちてきた。 声にならない悲鳴が出た。 「兄ちゃん、ごめん、ごめんよ、いきなり雨洞さんが走って…」 二階から弟が体を乗り出して喚いている。 目をつぶった雨洞が、すみません、と呟いた。
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加