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雨洞
ある話をしよう。
先日俺は新宿で飲んでいて終電を逃した。どうせなら始発まで飲もうということになって、いざその時間が来たら、俺は深い地の底にある地下鉄の駅に行くのが嫌になった。飲んでいた奴に渋谷までどれくらいかかるんだと言うと、大概45分ほどでいけると陽気な口調で答える。俺も酔いが心地よかったので、そうかそれならいけるさとぶらぶら歩き出した。普段歩いていないと、徒歩ってやつは楽しいもんだ。15分程歩いた頃か。
あるレストランの軒先の庭に檸檬が成っていた。俺は立ち止まってしげしげと見た。檸檬の木の節々には赤い、蕾のようなものがついていて、完全な檸檬は二個成っていた。
これは偽物だろう、と思った。
しかし本物かもしれない、とも思った。
そこで俺は笑いだした。
俺は檸檬の生態を何一つ解っちゃいないのだ。それが本物か偽物か。
目の前の檸檬をかじってみるまでさっぱり解らないのだ。
【慈悲の反対は憎悪】
魚のように飛び跳ねる体の背中を、男は慣れたような動作で膝で押さえつけた。痛いか、痛いだろうな、痛くしているんだから。なんという三段階の言い方。暴れる魚のごとくの男の口はガムテープをしていて、手には結束バンド、目は、一つなかった。溶けていた。上から押さえつけている男の手には、半田ごてが握られていた。
倉庫の中は初夏でも半分腐ったような匂いがする。
鼠が死んだような匂いと糞尿と、ダンボールが黴に腐食されて嫌な臭い、それらが全て混じり合っている。
俺はその中で寺島修司を読んでいた。面白くもない本を、小難しい顔で読んでみる。俺達がこの倉庫に持ち込んだのは、折りたたみの椅子とビニールシートと、小型の発電機、それと生身の体が一体。後は諸々の小道具だ。
折り畳みの椅子は俺が使い、ビニールシートは山田という男が暴力の為に使用している。
「痛いか。泣けよ。お前はここで俺の娘にもっと酷いことをしただろう?三日三晩、なにをした?懺悔をするか?しても無駄だと思うけどな。だって許さないんだもんな。俺の娘はもうどこにもいないから、許せる筈はないんだもの。俺の女房と娘は首を吊って死んだよ。これからの人生に悲観した娘があの世でさみしくないようにと、優しい俺の女房が、一緒に逝ったんだよ。俺が極道ものだから、こんなことになったんだと、優しい女房が俺に恨み言を書いて、死んだんだ。だからお前も、お前の仲間も、指図したあの大馬鹿者も、俺は恨まなければならんよ。恨むって、なんだか女々しいだろう?でもな、男の恨みは体現なんだよ。苦しめよ。死なない程度に、傷つけるから安心しろよ。目を二つ貰って、金玉も二つ、竿を一つ、耳の鼓膜を破って、足を折って、指と耳と舌を切って、ミキサーに入れて目の前で回してやろうか。全部終わったらロープを巻いて、海の浅瀬に捨ててやるよ。塩は傷口に痛かろうな。おい、チンピラ。痛がっていないで聞けよ。性根が据わってないからお前は駄目なんだ。これがお前の五体満足の最後だぜ。俺を睨みつける位はしてくれよ。そうじゃなければ、弱い者イジメに思えてならない。ほら、ガムテープをはずしてやるから、見得の一つ、切ってみろよ」
山田の声音は一定だ。激高もしない、が、優しくもない。山田が獲物の口からガムテープをはがすと、チンピラが泣き出した。許して。許してください。
「すみませんでした、俺、反対したんです、三浦さんからクソ女がいるから始末してくれって言われたけど、車の窓からみたら普通の子だし、賢い高校の制服着てたから!おれ、おれェ言ったんです、言ったんですよお!本当にあの子ですかって。あんな可愛い子ヤッていいんですかって!言ったんですよ、言ったんです、許してくださいよ、勘弁してくださいよ、死にたくない、死にたくないよ、帰りてぇよお…」
「殺さないって言ったろう?ただ、壊すだけだよ。お前らもそうだろう?死なない程度に綾子をボロボロにしてくれたからな。後は好きにしろよ。三浦と藤堂に伝言があるけど、お前はもう舌も目もなくなるから、背中を借りるよ」
「あああああああああ」
背中に半田ごてを押し付けられてチンピラがえづく。後、五人だ。山田の唇が囁いた。
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