心の帰り着く場所

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心の帰り着く場所

 引揚船の中で神崎という退役中尉と知り合ったのはほんの偶然だった。  多くの復員兵の中で、これといった特徴のない件の中尉は、自分より七つ年長で広島が故郷だと言った。彼のかける丸眼鏡のレンズが、何かの拍子にポロンと取れて転がってきたのだ。それを拾ってやったのが縁で、彼は「まことにありがとう」と丁寧に頭を下げた。それが乗船一日目の出来事だった。  六日の昼過ぎに大連を出た船は、順調に進めば一週間前後で舞鶴へ到着する予定だという。  乗船前に港で見上げた船には信濃丸とあった。記憶が正しければ日露戦争にも就役した仮装巡洋艦が同じ船名だったはずである。建造されてから半世紀が経とうという船は老朽船そのもので、大波がきたらひとたまりもなかろうと思われる。  この船に三千人余りもの日本人が、祖国復員のため相乗りするのだ。無事に行けば一週間後には日本か、と万感があるかと思い胸中に呟いたが、がらんどうの胸の内には何の反響もおよぼさなかった。  乗船三日目。頭上は相変わらず鉛色の冬空だったが、海上は穏やかで二月とは思えぬ気候だった。途中細かな雪が吹き付けてきたので、それで船内に避難したのだが、船の中では膝を抱えてじっとしている他なく、あまりの手持無沙汰に戸惑う。  周囲では花札をする人やサイコロを振って遊んでいるひとが大勢いたが、一体なにが面白いのやらさっぱり判らない。持ち込んだ本が何冊かあるのだが、船中の乏しい明りでは、揺れもあいまって小さな字を追うだけで気分が悪くなってしまう。  それで仕方もなく相部屋の船室でじっと蹲っていたのだが、夕方の五時頃になって糧食を配り始めたので、姿の見えなかった神崎を探しに甲板に出た。黙っていると貰いそびれてしまう。他人の分は寄越してくれないので、本人が受け取りにいかねばならないのだ。  それで神崎を探しに来たのだが、甲板をぐるりと回ってみたところで、舳先(へさき)に立つ彼の後ろ姿を見つけた。件の元中尉は夕陽を背中に浴びてじっと海を見ているようだった。 「神崎さん、下で握り飯を配ってますよ。貰いに行きませんか」  味噌汁も貰えるらしいから配食している船倉に行こうと誘うと、神崎は振り向きざまに目元を袖で拭った。吹き付ける風にまかせて彼は滂沱として涙を流していたのである。 「どうかしたんですか」 「いや」  驚いてつい訊ねてしまった。男泣きの様子にふと立ち入ったことを聞いてしまった迂闊さを悔やんだが、神崎は拘る様子もなく鼻をすすった。尻のポケットからハンケチを取り出して顔をぐしゃぐしゃと拭う。 「なに、一度思い切り涙を流してみたかったのだ。舳先に立つと背中に夕陽が熱くてね。死んだ女房を思い出したりしてしまった」 「奥方を」 「ああ、妻は中国の人だったが日本語が流暢でね。気立てのいい(ひと)だった」 「それは、なんというか……ご愁傷様でした」  何と言っていいものか判らず、おずおずとした気持ちで向き合うと、涙を流した人の目は、まるで洗われたかのようにとても澄んで見えた。翻って自分の瞳はどれほど濁っていることだろうと思いめぐる。  そのうちに糧食を貰った人たちが、それを食うために甲板に上がってきたため、あたりは俄かに賑やかになった。神崎は大きく深呼吸をすると船内に戻るため背中を向けて言った。 「呼びに来てくれたのだったな。私たちも飯を貰いに行こう」  甲板からタラップを伝って船倉へと降りる。すれ違う人たちはみな一様にどこか何かしら欠けたような表情をしていた。戦争が終わって、大陸を追い出された人たちが、この大きな船に乗り合わせているのだ。何か連帯のようなものがこの空間には蟠っている。それは互いの足を鉄鎖で繋ぐような重い連帯感だった。  戦前戦中の立場や身分は様々だったろうが、今はみな同じ復員船の乗員だった。皆が互いにちょっとずつを譲り合って、船の中の秩序が保たれている。  中尉と伍長が肩を並べて海を眺めているその状況も、そうした世の中の流れならではのものだろう。とは言えこちとら、伍長と言っても下士官教育など受けていない野戦任官だ。何をか言わんや、である。  いずれ舞鶴の港に着いたら、国中のそんな様子に出くわすのに違いない。希望なんてどこにもない。郷愁だって本当の感情なのかどうか判別すらできない。じっと手を見て思うことは、故郷を出た頃の自分は、今はどこにもいなくて、姿かたちだけ同じな人間が、別な魂を入れて成り済ましているようなものだと思うのである。  故郷は、故郷の人たちは健在だろうか。手紙を出しても返事の戻ってこない故郷が、胸の中に浮かびかけて不意に立ち消える。帰る場所は本当に今もあるのだろうか。あるとして、そこに帰る自分は本当の自分なのだろうか。 「そう言えば聞いていなかったが、君は、細君は」  味噌汁の列に並んでいるとき、前を譲ってくれた神崎が周りには聞こえないくらいの小声で訊いて寄越した。 「まだ貰ってません。婚約者のような娘はいますが」 「そうか、きっと健在だろう。君の帰りを待っているに違いない」  前を向いたまま背中に神崎の声を聴き頷いた。ただの幼馴染と言えばそれまで。年の近さから親同士が冗談めかして言っていたことを、当人たちは半ば信じて育ったが、今となっては何の約束もないこの関係はいったいなんと呼んだものだろうか。  配られた握り飯は二つずつで、味噌汁に実は何も入っていなかった。だが食べることは身体に確かに力を与えてくれるようで、塞ぎかけていた気持ちが少し明るさを取り戻したような気がする。味噌の塩味が枯れた唾液を蘇らせて、頬肉の内側を弛緩させた。  飯を食い終わるとすぐに灯が入った。だがやはり読書をするには心許なく、ただ眠るには邪魔な行火である。  神崎とは割り当てが違うので夕食の後別れ別れのなる。同室の男たちは手作りの麻雀で遊んでいて、誘われたが遊び方を知らないと言って断った。これと言ってすることもないので、薄い毛布にくるまって船倉の床に寝転がっているしかなかったあと幾日かはこんな夜が続く。それは、早く終いにしたいような、その日を怯えるようなよく判らない心境である。  床からはスクリューを回すエンジン音がゴロンゴロンと響いている。この広くはない空間にどれほどの人が居合わせているのだろうか。隣で丸くなっている見知らぬ人は既に眠っているのか寝返り一つしない。  その夜、眠りは波のように寄せては返して、眠っているのか起きているのか判別もつかないないまま、朝が迎えに来るまで何も考えず、ただただ埃の匂いのする毛布にくるまっていた。  ◆◇  翌朝、やはり舳先に立つ神崎を見つけたが、今朝は声をかけずに人込みの中から退役中尉の背中を眺めていた。  同じ部隊に居たわけもなく、同郷と言うわけでもない。増してや友人になったわけもなかった。ただ姿を見かけたからと言うだけで、気軽く声をかけるような関係性ではないと思い直したのだった。  船べりにもたれて空を見ていると今日はよく晴れているのに気付いた。大きな白雲が西から東へ流れていくのが見える。このまま日本へなど還らず、どこか遠くへ行ってしまうのも悪くない、などと空想をしながらぼんやり過ごしていると、いつの間にかこちらを見つけた神崎が「やあ」と声をかけて寄越した。  手には非常糧食の乾パンの缶詰を持っている。それはもう開封されており、差し出されて反射的に手皿を作ると、掌の上に四つ五つと乾パンが転がり出てきた。 「荷物の中に残っていたのを見つけたので、君と分けようと思って探していたんだ」 「俺を、ですか」 「ああ、そうだよ」  神崎は不思議そうに小首を傾げた。 「……いただきます」  口に入れた乾パンは、柔らかいような堅いような歯応えで、しがんでいるうちにちょっとずつ甘みが染み出て来る。神崎は「失礼」と言って隣に忍びやかに腰を下ろした。  しばらくの間は黙ったまま二人して流れいく白い雲を眺めていたが、不意に神崎が身じろぎをして顔だけこちらに向けた。 「君は故郷に戻ったら何をするつもりだ? 私は元の銀行員の口でも探そうと思うが」 「広島でですか」  つい反射的に聞くと、神崎は遠くを見つめなおしてゆっくり頷いた。  彼だって広島に何が起こったのか、当然のことながら知っているはずだ。  戦争が終わって一年が経っているのだ。ようやく復員船にありついて本土に帰る船中、不安がないはずはない。きっと口にすることで悪い考えをせぬようにはかっているのだろう。  ならば、と頭の中で考えていたことを口の端に乗せた。考えていただけで誰かに言ったことはないことだ。 「自分は教職に戻るつもりです。傍らで家の田んぼをやりながらですけれど」 「そうか。確か君の故郷は丹波だったか」 「はい、柏原(かいばら)と言う町があって、古い小さな城下町なんですが」 「確か織田公二万石だ」 「ええ」 「では途中まで一緒だな」  神崎は広島に帰るのに一度大阪へ出てから山陽線で行くという。大阪までは舞鶴から阪鶴(はんかく)線が走っており、途中神戸や岡山で知人の安否を訪ねながら帰るらしい。柏原は舞鶴から大阪の路線の半ばあたりの田舎町で、神崎の言う通り古くは織田氏の領地で、覚えている限り山と川と田畑、小さな商店街と寺と山の上にある神社、それと学校、それだけの町だったと思う。  田舎町だから空襲には一度もあっていないだろう。近くの篠山には師団が駐屯していたから攻撃を受けたとかどうと言う話を聞いたが、噂話にも篠山以外の丹波の町の名前を聞いた覚えはない。出征した日のまま、あの町はあそこにあるはずで、そう思うと空っぽだと思っていた胸が急にいっぱいになった。  ◇◆◇  舞鶴での出迎えは盛大だった。月に何便も引揚船を迎えるはずで、そのたびにこんな歓迎ぶりだと町の人たちはうんざりしないものだろうかと心配になる。  だが、出迎えてくれる人たちの目は正真正銘の親身さで、出迎えを受ける身で恥じ入るばかりだった。  戦争が終わって一年あまり、この頃の舞鶴は一週間に二、三便の引揚があるらしい。最初の頃は、到着するなりすぐに帰郷となったそうだが、今では引揚者用の寮があって、数日滞在できるようになっていた。援護局言って、ここで戦後の法改正や社会情勢などについて手引きをしてくれるという。  神崎とはこの援護局の寮で、列車の割り当てを待つために三日ほど留め置かれることとなった。港には迎えのある者もあって、そこいらですすり泣く声がいつまでも耳朶の奥に残っている。誰も待つものがいない自分は早々に割り振られた寮へ引きこもった。  留め置きの間、神崎は方々へ出かけて、その都度一緒に見物に行かないかと誘いに来たが、不調を理由に何もかも断ってしまった。  舞鶴では神崎とは別々の寮だったが、偶然なのか列車は同じ時刻のものが割り当てられた。大陸で隣り合った部隊に所属していたためだろうか。ともすれば神崎が割り当ての担当者に相談したのかもしれない。  なんとなく世話を焼かれているようで業腹な気もしたが、同じ列車と知ってほっとした気持ちがあるのも本当のことだった。  戦争中、伍長だった身分からすると、神崎との階級差は雲泥のものがあったが、戦争が終わればそうしたものは遠くに聞こえる残響のようなもので、本当にそんな時期があったのかとさえ思うことがある。このときもそうした気分に押し流され、いつしか有難いと感じる気分が多勢になった。 ◇◆  列車に乗る前の晩、寝苦しい中何度も目が醒めたが、途切れ途切れの眠りの中に夢を見た。うすぼんやりとした明りの中で、自分の手に何かぬるぬるとしたものがまとわりついている。それは拭っても拭っても払いのけられない。そしてそのぼんやりとした視界の向こう側から声がした。 『こうちゃん、あなたいったい何人殺してきたの』  それは間違いなく咎める声だった。ぶるぶると首を左右に振って叫ぶ。  「……仕方がなかったんだ。戦争だぞ。そうしなければ俺が殺されていた」 『言い訳はいいの。何人、中国人やロシア人を殺したの』 「…………」 『ねえ、何人殺したの』  声の主はぼんやりとした明りの中にいて誰とも判別がつかない。女の声なのは判ったが、それが誰なのか、知っている人であるのかどうかさえ判らない。  翌朝、しっかりと覚醒した時には布団を蹴り飛ばしていた。じっとりとかいた汗が気持ち悪く、無暗に胸元を搔き乱した。バリバリと爪を立てて、気が付くと血が滲むほどに掻き毟っていた。 「君、ずいぶんと憔悴している様だが、平気かい」  列車に乗り込むとき、三日ぶりに面と向かった神崎にそう問われたが、何も答える気分になれず、小さく首を振ることしかできなかった。  援護局で持たせてもらった握り飯の包みにも手を付けられず、水筒からぬるくなった水を時折口に含むくらいしかできなかった。  それでも列車は順調に進み、福知山を出たあたりでようやく気分が落ち着いてきた。時間は午後を大きく回って、柏原につくのは夕方に差し掛かる頃だろう。神崎はそれまで黙って隣に居たが、夕日を横ざまに受ける頃になって、哀歓をないませにした声を出した。 「そろそろお別れだな。支度をした方がいい」  車窓から遠くを見ていた神崎が不意に言ったので、それまで黙っていた反動からか、つい「神崎さん」とすがるように声をかけてしまった。 「なんだ」 「神崎さんは、大陸で何人殺したか覚えていますか」  生唾をごくりと呑んで、俺は十七人、殺したと思います、と言っていた。  神崎はじっとこちらを見て、それから左右の両肩に手を乗せた。 「いいか伍長、戦争だった。そうするしかこうしていられる方法がなかったのだ。だが、そんな詭弁はこの先君の人生を苛むだろう。それは君がいつか死ぬ時まで背負わねばならん業だ」 「俺、これから普通に生きていけるんでしょうか。子供に読み書きを教えて、人が食うものを作って、そんな資格が俺には」 「伍長、人は生きねばならない。死ぬ時が来るまで、ただ生きるしかない」 「い、生きるためにたくさん殺したんです」 「生きるしかないんだ伍長。君にその資格があったかどうかなんてことは、君がいつか死ぬ時が来るまで誰にも判らん。君にも判らん、私にも判らん」  そう言う神崎の目にも涙があふれ、両肩を掴む左右の手はわなわなと震えていた。その目の奥には空虚な闇がある。それはきっとこの時代の人たちの誰もにあるものなんだろう。  何かを欠けさせたまま、人々は日常をただ生きている。目の奥の仄暗いそれは、失った心なのかもしれない。 「お、俺は故郷に帰って、町の人たちに会うのが怖い」 「大丈夫だ。君が一旦失ってしまったものは、きっと先に故郷に帰っている。取り戻しに行くんだ。私もそれを取り戻すために広島へ帰る」 「神崎さん」 「大丈夫だ、きっと大丈夫だ」  う、ううと言葉を詰まらせたまま、神崎の腕に縋ったまま蹲った。同じものを背負った人が近くにいてくれるのは心強かった。  やがて列車は速度を落とし、車掌が「柏原」を告げる。自分たちの物ではない、誰かのどこかの日常に迷い込んでしまったような気がした。ここは本当に自分の知る故郷の町だろうか。ここにいる人たちは、今の自分を知る人たちではないのだ。  その時、背中を強く叩かれた。大きな背嚢(はいのう)をぐっと押し付けられて、荷物の隙間から見ると神崎が今度は惜別に涙を流していた。 「伍長、お別れだ。君の失くしたものを、必ず取り戻すんだぞ。せっかく生きて帰ってきたのだ。無駄にするな」 「神崎さんも……」 「ああ」 「広島は、大変だと聞きます。もし、もし頼る先がなかったらここへ」 「……有難い。その時は必ずそうさせてもらう」 「ええ、必ず」  駅に降りる人はたくさんいたが、復員兵はどうやら自分だけのようだった。  この町からもたくさん若者が出征したはずだが、その人たちはどうしただろうか。一足先に帰っている者もいるだろうか。  ゆっくりと列車が動き出し、蒸気を逃がすためか、警笛がわんわんと二度鳴った。神崎は開け放った車窓に左腕を乗せていて、やがてこちらに手を振った。 「元気で」  神崎の言葉に、なぜかそうするのが一番しっくりくるような気がして、きっとこの先の生涯で二度とすることのない敬礼をした。列車が線路の先に小さくなって陽炎に消えるまでそうしていた。  いつの間にか駅には駅員を除いて誰もいなくなっていた。三十分に一本来るだけの次の列車を待つ人はまだいない。  足元におろしていた背嚢を背負い、駅舎に向かう途中、低いところを切り裂くように飛ぶシメを見かけた。冬の間ひとりで過ごすこの野鳥は、春になると大きな群れを作る。それはまるで今の自分を映しているかのようだった。  季節はもうすぐ春を迎える。駅の周りの田んぼはこれから土起こしで、今はまだ霜に凍えていた。  冬空を、白い、真っ白な雲がゆっくりと流れていく。その光景を見上げていると、引揚船で見た海の上の雲を思い出した。  ずっとこのまま船に揺られていたい、とその時は思っていたが、その船の中で神崎と出会った。帰らねば、と神崎と話すたびに思うようになったのではなかっただろうか。  駅舎を出ると露店があって花を売っていた。そろそろ店じまいをするのだろう。老爺が緩慢に後片付けをしている。  そこへ声をかけて、残っている花を全部買うことにした。花は墓参用のもので、家に戻る前に墓参りをしようと思いついたのだ。墓には、先に戦争に行った父と叔父が入っている。  棚にあるうちはそれほどとも思わなかったが、束ねて渡されると両手いっぱい抱えるほどになった。こんな夕方に、復員兵が大きな背嚢を背負って、両手には墓参用の花を抱えているのは異様な光景だろう。  通り過ぎる町の人は不思議そうに視線を投げて来るが、幸いにも知り合いには行き会わなかった。  少しの居心地の悪さを感じながら足早に歩き、墓のある八幡山まであと少しのところで不意に呼び止められた。それは小さな声だったが、足を止めさせるのに十分な強さがあった。 「こうちゃん?」  聞き覚えのある声にそちらへ目をやると、小さな肩を震わせている女がいた。帰ってきた実感が、その時ようやく五体の隅々にまで伝わった。  失くしたものは、神崎が言った通り、どうやら迷いながらもここへ帰ってきていたのだ。  ふと、女の名前を呼んだ。そしてそこへ歩み寄って、向き合ったまま、二人は陽が傾く中、舞鶴の港で見かけた多くの人たちと同じように、いつまでもすすり泣くのだった。
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