キスひとつ

2/3
前へ
/239ページ
次へ
自転車を階段の下の空き地に放り投げ、駿太は階段を駆け上がった いつもは駿太の呼び掛けで出てくるのに、その日は祠の外に出て月を眺めていた 「今宵は来ないかと思っていた」 月の光がフフの瞳に反射して金色に輝いていた 緑色の瞳孔が大きく見開かれて、見透かされているような気分になった 「ごめんっ!ごめんっ!」 駿太は泣きながらフフの前に膝まづいた 自転車に乗ってる間、涙が止まらなかった 「何を謝る…ははあ、さては誰かにマーキングされてきたな」 「マーキング…?!」 「俺以外の男の臭いがプンプンする」 フフは尻尾を地面に打ち付けながら、長くて湿った舌で駿太の顔を舐めた 「くすぐったい」 「のんきなものだな」 「フフ、もしかして怒ってる?」 尻尾の振り方がイラついてるように見えた 「久々の男の贄が昨日の今日で横取りされそうになれば、それは面白くはないな」 「フフ、焼きもち妬いてるんだ」 「贄に対して焼きもちも何もない」 そうは言っても、フフは身体中から不機嫌さを醸し出している 駿太は嬉しくなってフフの首に抱きついた 「そういえば、贄ってなあに?生け贄のこと?」 「そうだ。ここ何百年も、使いに来るのは給仕役の女ばかりだったが」 「生け贄って食べるんじゃないの?」 「食べたら一瞬で終わってしまうじゃないか。俺はイヤだね」 「もしかして、ばあちゃんもそうだった?」 「ああ、(なみ)か」 浪とは、祖母の名前だ 「え、ばあちゃんのことも知ってるの?」 「ああ、おおらかで、気持ちの優しい女だったな。飯は…まあ貧相だったが…お前に代替わりしたということは、浪は死んだのか」 駿太がうなずくと、フフはフンッと一回鼻を鳴らした まるで涙をこらえているかのようだった 祖母がフフとこんな風に会っていたなんて知らなかった その前の人も、その前の人も 駿太の胸のなかにモヤモヤしたものが沸き起こった 「その…ばあちゃんとも、昨日みたいなこと、したの?」 フフは目を大きく見開いて駿太を見ると、大きな口でニヤリと笑って、「なんだ、駿太も焼きもちか」と言った
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

108人が本棚に入れています
本棚に追加