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「では次の手紙です。名前はアビー・グース。年齢は三十代」
若いジョニーの声が機材を通じて波形に広がる。
「三十代ってまだいるんだね。ジョニーは十代だろ?」
「ああうん。そうだけど。まだ運動も出来るし」
僕は得意げに「まだ二十代」と言ってから快活に笑う。
「僕達っていつまでもすがっているんだよな」
「だよな。俺も年齢の概念がいまいち掴めないし」
「いつからだっけ? 年齢が輪のようになって成長できなくなったのは」
「まあ、そんなことを考えても俺達はいずれ消えるんだけど」
二人は弾けるように笑う。
「じゃあ手紙読んでよ」
「了解。ええと」
ジョニーは手紙を読み進めていく。
「ジョニーさん、ハッチさん。選んでいただけたことに感謝します。私は世界創造仮説というものを考えました。言ってしまえば、この世界は複数の『誰か』によって作成され、消去されたとしても復元できる技術を持っているというものです。お二人はどうお考えですか?」
「ええっと、結構難しいなこれは」
ハッチが唸って考え込む。
「ジョニー。この人の考えていることわかる?」
「箱庭みたいなものって言いたいのかね」
「昔、『夜明けの蝶』って映画を見たんだけど、その時の少女を思い出すんだよね。ポーラ・オーブリーっていうんだけど」
「あれってどういうあらすじだ?」
ジョニーは乾いた咳を交えて言った。
「内容は簡単で、世界平和のために四人の少年少女が立ち上がるって話だ」
ハッチが昔を懐かしむように言葉をつなげていく。
少なくともまだ国家が存在していたころの話だ。主人公はサミュエル・ネストという少年で、両想いのガールフレンドと遊び仲間がいる。ガールフレンドはポーラ・オーブリー。同年代の仲間にケリー・リンクスとパトリック・リンクスの兄弟がいる。四人が集まればどんなことも無敵と思われてきたが、世界創造仮説を唱える謎の団体にポーラの妹であるヒナタが攫われてしまう。四人はヒナタを助けるべく、旅を始めるという話だ。
古びた映画ではないが、少なくともテレビという一大ジャンルが衰退した今、映画も絶滅危惧種のような扱いになっている。そもそも人間が視覚ではなく聴覚に娯楽の焦点を捉えたかというと、エルドルフという学者が提唱した「聴覚型新人類進化説」という仮説が世の中に広まったためであった。人間は視覚や聴覚といった五感で生物や無機物を判断しているが、それは間違いであるとエルドルフは主張した。彼は聴覚の進化がより重要であると主張し、脳細胞への処理速度反応から視覚よりも聴覚が優れているという定説を打ち出した。最も、この説は後々の研究で大いに否定される。ドラペトマニアやアフリカでの問題を考えると、人間がいかに単純であるかということが証明された歴史の場面だ。
映画の中で、少年少女たちはささやかな日々を送る。窮地になれば助け合い、機会に恵まれれば分け合う。どんなことも四人なら立ち向かえる。プロパガンダのような側面もあったが、純粋な娯楽としては名作と意見する人間も意外と多い。映画が絶滅しなかった理由の一つにこの作品があると言っても過言ではない。
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